対談・鼎談
2021年5月号掲載
『わたし、定時で帰ります。ライジング』 刊行記念対談
正義の使者はいりません。
朱野帰子 × 青木祐子
Akeno Kaeruko Aoki Yuko
わたし、定時で帰ります。 これは経費で落ちません!
新時代を牽引する、大人気お仕事小説の著者ふたり。
領収書のチェック法、「四季報」愛、ドラマ化への希望……驚きの共通点が見えてくる。
対象書籍名:『わたし、定時で帰ります。ライジング』(新潮文庫改題『わたし、定時で帰ります。3―仁義なき賃上げ闘争編―』)
対象著者:朱野帰子
対象書籍ISBN:978-4-10-100463-1
朱野 「これは経費で落ちません!」シリーズは会社の描写がとてもリアルですね!
青木 ありがとうございます。新聞社の営業事務の仕事をしていたことがあって、その時の経験が生きているんだと思います。色々なことに耐えながら会社員をやっていた時の気持ちとか。当時を思い出しながら書いています。
朱野 経理のお仕事をされていたこともあるんですか?
青木 新聞社といっても地方支社だったので、割と何でもやっていたんです。所属は事業部でしたが、経理的な仕事もしていて。その頃は二十代で、色々な目に遭って「大人ってキタナイ!」と思いながら働いていました(笑)。
朱野 私も会社員時代の二社目では広報だったんですが、総務も兼務でやっていました。領収書のチェックをして、たまに筆跡鑑定をしたり。
青木 筆跡鑑定しますよね!
朱野 白紙の領収書をもらったのか、男性が必死に若い女性が書きそうな字を書いていたり。だから、「経費」を読んだ時に、これは私が働いていた会社のことだと驚いて。同じ会社にいた人が書いているんじゃないかと疑ってました。
青木 読者の方からも「自分のところの話かと思った」と反響があって。自分では全然仕事のことを描けていないと思っていたので、意外でしたね。「わたし、定時で帰ります。」もとてもリアルなお話ですよね。私は新聞社の後はシステム開発の会社にいたので、ああいう世界も分かると言えば分かって。チームで仕事する感じとか、一人抜けると大変になってしまう局面とか、何度も頷きました。
朱野 「わた定」は人間関係の話に集中して読んでもらえるように、専門的な仕事の描写は極限まで削ったつもりだったんですが......。
青木 そうなんですか? かなりがっつり仕事の内容について書いてるな、すごいなと思って読んでいました。それに比べると「経費」は、惚れた腫れたとか恋愛要素が多過ぎるなと思ったり。
朱野 私は森若さんと太陽の仲がどうなるのか、夢中になって読みました! 喫茶店で読んでいて、恋愛シーンで天を仰ぎ、そのまま下のフロアにある書店に続きを買いに行ったくらいです。
青木 それは嬉しいです。「経費」は集英社オレンジ文庫だから、恋愛があるのが大前提みたいなもので。
朱野 まずは恋愛に陶酔して読んで、もう一度読み返した時にやっとディテールを楽しむ余裕ができて。登場人物みんな仕事観が違うじゃないですか。だから、作業の仕方ひとつとっても違いが出るんですよね。そういう細かいポイントも堪能しました。
青木 私は逆に、「わた定」は仕事の話をまず楽しんで読んで、ところで結衣と晃太郎はどうなったんだっけ? と。
朱野 担当の編集者さんの間でも、恋愛要素を入れるかは意見が割れてます。
青木 「経費」もお仕事小説として読んでいる人と、恋愛小説として読んでいる人、どちらもいるみたいです。
朱野 そもそも「経費」は情報量がとても多いから色々な楽しみ方ができますよね。さっと読めるようでいて、一文の中にすごい量の情報が詰まっていると思います。
青木 軽く読んでもらえるのが何より大事なんです。通勤途中、電車に乗って降りるまでに一話読み終えてもらえるようなお話を目指しました。それと、東京から新幹線に乗って、新大阪に着くまでに一冊読んでもらえるようなイメージです。
朱野 「経費」は元々、『風呂ソムリエ 天天コーポレーション入浴剤開発室』のスピンオフとして生まれたんですよね?
青木 そうです。次を書くなら同じ会社を舞台にしようと思って。私自身も平凡な会社員だったのでそういう人を書いてみたかったんです。実は一巻を書いた時点では、経理の仕事をそこまでしっかり書こうとは思っていなくて、普通の会社員の生態を書くつもりでした。
朱野 意外です。一巻から経理のことがちゃんと書かれていた印象でした。
青木 やるからには勿論調べましたけど、一巻を読んだ方達が、案外経理の描写を楽しんで、「今までなかった!」と言ってくれていると聞いて。これは経理に特化しなきゃと思って、慌てて勉強して書いた感じです。
朱野 お仕事小説を読んでいると、会社を描いていても主人公の部署以外は白紙みたいに見えてこない作品と、「この会社は実在する」と感じる作品があります。「経費」は当然後者です。私は設定に凝りまくる設定厨の方の作品が好きで。
青木 私は設定厨じゃないはずなんですが(笑)。ただ、「四季報」とか就活生向けの会社案内とか読むのは大好きです。
朱野 私もです! 「会社四季報」「就職四季報」はいくらでも読んでいられますよね。データを見ながら架空の会社を細部まで創っていくのが楽しくて。そういえば、「経費」は最初に社員数と経理の人数を書かれていましたよね。
青木 書いちゃったんです。今になってみれば少な過ぎたなと思っていて。墓穴を掘ってしまいました......。
朱野 総務や経理のバックオフィス系の人数を書くと、そこから会社の規模も自ずと決まってしまうところもあるので、具体的な数字を出すのは難しいですよね。一回書いてしまうと後戻りできないので、悩むのはめちゃくちゃ分かります。今回、「わた定」最新作の「ライジング」で結衣の年収を書いたのですが、すごくドキドキして。一週間くらい眠れずに悩みました。
青木 最新作、とても面白かったです。確かに、年収をはっきり書いちゃうんだ、と驚きました。
朱野 今回は給料を上げさせようとする話だから、年収を出さないと成り立たないと思いまして......。
青木 生活のために残業を繰り返す人が出てきますが、「残業代に溺れる」というセリフが辛かったです。私が会社員だった時代も生活残業という言葉はありましたが、自分自身はそういう働き方をしたことがなかったので、まだいるんだなと思ったり。
朱野 生活残業だと意識してやっているかどうかも分からないですよね。
青木 そうそう。私は毎日一、二時間残業して数万円余計にお給料をもらうのなんてすごく嫌なんだけど、夫に聞いたら残業代を稼ぐどころか、サービス残業になってもいいから会社にいたい人までいると。
朱野 作中では「祭り」という言葉を使ったんですが、みんなでわいわい残業をすることをイベントのように捉えてしまうこともありますよね。
青木 私からすると衝撃でした......。結衣が生活残業問題を解決するために給料を上げようと思いつくのは、すごく共感しました。残業代ということではなく、働いた分、給料を上げてもらえばいいんだよ、と私も思いますもん。
朱野 「経費」の森若さんも残業はしないですよね。もし残業するとしても、自分の人件費が計算できてしまう人だろうなと。
青木 そういうところは、私自身の考え方に近いかもしれません。今はフリーですが、会社員として働くことは、会社と取引をしているということだと思って働いていました。
朱野 森若さんだ!
青木 「経費」では、そんないち労働者の哲学みたいなものを書きたかったんです。世の中、特殊だったり、格好良い職業ばかりではないですよね。そういう仕事じゃなくていいから、働いた分だけお給料を欲しいという人は沢山いるはずだなと思っていたので。
朱野 書き手としても、かつて会社員だった人間としても、とても共感しました。原作だけでなく、ドラマもすごく良かったですよね。映像化にあたって、青木さんからは何かご希望を出されたんですか。
青木 森若さんは別に正しい人ではないので、"スーパー経理"が、正論で悪い営業部員をバタバタとなぎ倒していく展開にはしないでほしいと伝えました。
朱野 え! ドラマ化の時に、私もほぼ同じことをお願いしました(笑)。
青木 「これは経費で落ちません!」と言うだけで問題が解決できるわけがないですから。
朱野 ですよね。そういうドラマも面白いかもしれないけれど、私はもっとままならない組織の現実と向かい合っている話を書いたという気持ちがありました。青木さんも同じじゃないですか。
青木 それはあります。正義の使者みたいな人が会社にいたらやっていられないと思います。森若さんは経理なので、大事なのは数字が合うこと。その他のことについては、いつも落とし所とか妥協点を探しているんです。
朱野 そういう考え方って、会社員にとっては全く新しくないですが、エンタメの、特に女性主人公の話ではあんまりなかった気がします。
青木 そう! でも、当たり前のことです。みんな落とし所を探しながら会社員をやっているはず。
朱野 「経費」も「わた定」も夢物語ではない、そんなリアルな部分が受けているのだとしたら、とても嬉しいですね。
(あけの・かえるこ 作家)
(あおき・ゆうこ 作家)