書評

2021年5月号掲載

若手官僚の生の苦闘を体感しよう

周木律『あしたの官僚』

村上貴史

対象書籍名:『あしたの官僚』
対象著者:周木律
対象書籍ISBN:978-4-10-336993-6

 翌朝までの仕事を二十三時過ぎに依頼される。
 当然帰宅できず、段ボールでの仮眠がせいぜい。
 一方で"国民"からの長電話への対応も必要。
 他部門との仕事の奪い合い/押し付け合いもある。
 そうした業務が当たり前なのだ――官僚にとっては。
 周木律の『あしたの官僚』は、厚生労働省キャリア技官の松瀬尊(まつせ・たかし)という三〇歳独身男性を主人公に、官僚たちの日々を描いた長篇小説だ。総務省の接待問題や、厚生労働省官僚による多人数宴会での新型コロナ感染など、官僚に関してはネガティブな情報ばかりが伝わってくる昨今だが、本書の特徴は、若手官僚の日常が、とにかく克明に生々しく描かれている点にある。問題を起こした"高級官僚"たちの実態を暴く小説ではないので念の為。
 例えば、一行目に記した短納期の仕事について。官僚には、国会での質疑が円滑に行われるよう、質問者となる国会議員から質問内容を事前に情報収集し、答弁を行う大臣など政府側の人間に正確な回答を与えるという仕事が降ってくる。それも二日前までの事前通告という約束は守られず、前日深夜という(一般人からすると非常識な)タイミングで、だ。そして松瀬にも当然この仕事が割り当てられる。すると彼は、国会議員に連絡して「問いの内容を聴き取り」、頭を絞って「答弁を作成し」、適切な部門と連携して「内容を決裁、確定し」、最終的にそれを「大臣など答弁者に答えぶりをレクチャーする」ことになるのだ。今回のケースでは、〆切、すなわち大臣へのレクチャーが朝六時にセットされた。つまり、深夜の七時間ですべての作業を終えねばならないのである。今回は運良くソファで二時間ほど寝られたが、そうでなければ床に置いた段ボールでの仮眠か、あるいは徹夜だ。ときに議場で居眠りをしている議員もいるような国会だが、そこでのすべての論戦の背後には、こうした官僚の、ほぼ不眠の業務があることを、本書は教えてくれる。それも教科書的に淡々と伝えるのではなく、当事者の視点で、難関を突破するエンターテインメントとして語ってくれるのだ。だからこそ、その苦労がすんなりと読み手の心に入ってくる。
 そんな官僚に飛び込んでくるのが、一般人からの電話だ。本書の序盤で松瀬が受けた電話は、"国民様の指示に従うのがお前ら(松瀬たち官僚)の仕事じゃねえのか"とがなり立てる男からのもの。内容は、"隣の工事現場の音がうるさくて眠れないから対応しろ"である。環境省にも警察にも対応してもらえなかったから、国民公共保全法(公保法)を担当する松瀬の部署に電話を掛けてきたのだった。この法律は、攪乱、騒乱、暴動その他人命を脅かす危急の事態に即応するためのものであり、男の問題とは噛み合わないのだが、余所で対応を断られた彼は、"俺の不眠が、暴動以下だって言うのか!"と松瀬にクレームしてくるのである。こんな電話が、松瀬から生産的な仕事をする時間を奪っていく。ちなみに松瀬の肩書きは、「総務課公共保全専門官(併)総務第一係長(併)管理係長(併)評価課公共保全確認検査官(併)確認係長(併)指導係長(併)調査課調査係長(併)保安係長」である。要するに八つの職務を兼務しているのだ。役人を減らせ、という有権者の要望に政治家が応えた結果、松瀬の肩書きはこうなったのである。しかも、彼の上にいる面々はパワハラ系や窓際系で、一方で部下は、自分の仕事が終わればさっさと帰ってしまう。負担はより松瀬に集中してしまうのである。こうした先の見えない多忙さは、私生活にも影響を与え、松瀬の心を蝕んでいく。城山三郎の『官僚たちの夏』を読み、日本のためになる仕事をするという強い想いで官僚の職に就いた松瀬の心も、さすがに折れそうになるのだ。この精神状態の変化も、本書が備える克明さと生々しさの一つである。読者は、まさに自分自身の問題として、この官僚が経験する問題を体感することになるのだ。
 そのうえで、さすがに周木律である。メフィスト賞というミステリ関連の賞を獲得してデビューした作家だけあって、こうした国会答弁準備やクレーム電話、上司や部下を含めた人材配置といった要素が、一つの大きなストーリーのなかにきちんと織り込まれているのである。しかも、ある種の謎解き要素も備わっているし、真相の意外性もある。謀略に巻き込まれる様はスリリングだし、さらに"犯人"との対決もまた迫力十分。本書は、官僚小説として抜群に克明で生々しくありつつ、ミステリ要素を備えたエンターテインメントとして上質に仕上がっているのだ。
 多くの人に読まれるべき一冊である。

 (むらかみ・たかし 書評家)

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