書評・エッセイ

2021年5月号掲載

光差す故郷の湖を語り継ぐ

中坊徹次『絶滅魚クニマスの発見 私たちは「この種」から何を学ぶか(新潮選書)

西木正明

対象書籍名:『絶滅魚クニマスの発見 私たちは「この種」から何を学ぶか(新潮選書)
対象著者:中坊徹次
対象書籍ISBN:978-4-10-603864-8

 世に魚や釣り関連の書物は少なからずあるが、このような表題の本は稀だろう。
 そもそもこの表題を見て「これは何だ」と問われても、正しく答えられる人はわずかではないか。
 かくいう私も、かつてクニマスが生存していた秋田県の田沢湖近くで育ったのに、この魚がいかなる魚なのか知ったのは、四十歳を越えて物書きになってからだった。
 知るきっかけとなったのは、たまたま直木賞を頂戴して多少世間に知られるようになって、地元のドヤク(秋田弁で親友の意)たちから、
「おみゃ(お前)もひとりまえの作家になったのだから、クニマスを田沢湖さ戻すことにかたれ(加われ)」
 と言われて、田沢湖にクニマスを呼び戻すことをめざして、一生懸命がんばっているドヤクたちの末席に座らせてもらったことだった。
 あらためてクニマスとは何か。それは、かつて田沢湖に棲んだ固有種の鱒のことで、今から八十年前に絶滅したとされていたが、平成二十二年、戦前期に移植されたまま忘れられていた山梨県の西湖で生き残りが発見された。ドヤクたちとともに発見の報を喜んだことを今でも思い出す。
 田沢湖には中学生当時から、夏休みになるとほぼ毎日のように泳ぎに行ったので、なじんでいた。水中眼鏡をかけて潜ると、水面越しに太陽がきれいに見えるほど透明なのに、魚らしい生き物がまったくいなかったのが不思議だった。田沢湖で命を育むことの難しさは、そのころから理解していた。
 田沢湖は元々、大きな流入河川がなく、私の故郷西明寺村潟尻から潟尻川として流出し、五キロほど下流で檜木内川と合流する。そして下流の角館近くで玉川と合流したあと、大曲で本流の雄物川と合わさり、秋田市郊外で日本海に流れ込むのが本来の形だった。
 それが昭和十五年、灌漑用水や水力発電に利用しようと、国策として毒水と呼ばれる強酸性の玉川の水を中和するために田沢湖に取り込んでしまったのが最大の問題だった。
 以来、田沢湖からはクニマスはもちろん、ほとんどの生き物の姿が消えた。
 玉川からの導水が始まった昭和十五年は私が生まれた年でもある。だから私はクニマスが泳ぐ田沢湖を知らない。だが、かつて母親がひとかかえもあるマスがよく捕れて食べていたと教えてくれたように、湖は近くに暮らす人たちの糧であった。
 また戦争が終わって大陸から復員してきた叔父は真っ先に湖に向かい、「日本が残っている」と言ったくらいに、みんなに親しまれていた。私もまたかけがえのないふるさととして、今も足しげく通い続けている。
 一昨年はスキューバダイビングを行った。これまで何度も潜ってきたが、少年時代に泳いだ浅瀬とは違い、三、四十メートルの深さである。しかし、それでも太陽の光を感じるくらいに湖は澄んでいて、「昔の田沢湖なんだな」と思った。
 ただ、川の水が流れ込むあたりに移ると、少し様子は違っていた。なんとなく靄がかかったように、水が白く濁っている。酸性になった水を戻すための石灰のせいだという。
 もはや昔の田沢湖を知る人はほとんどいなくなり、こんなちょっとした違いに気付くこともだんだんと難しくなってきている。それゆえ、ドヤクたちの活動も急がれるが、何よりも次世代に継ぐべき資料がなかった。そんなところに今回の本が出版されたのだ。これは本当にありがたい。
 西湖に残ったクニマスを発見した第一線の魚類学者ならではの厳しい視点がクニマスの知られざる生態を明らかにするのはもちろんのこと、古い文献を取り上げつつ当時の漁師たちの子孫にも会い、完璧を期して書かれている。クニマスだけではない、田沢湖に暮らした人々の生きざま、そして未来もここには記されている。
 日本では一番、世界では十七番目の深さとそれに見合う水の透明度。そこにしかいなかったクニマスがもたらした、田沢湖と人々が関わるさまざまなエピソードは、今も地元のみならず、日本人の心を把握する。

 (にしき・まさあき 作家)

最新の書評・エッセイ

ページの先頭へ