書評
2021年6月号掲載
『決定版 日本の喜劇人』刊行記念特集
私の人生を決めた『日本の喜劇人』について
雑誌連載から50年、〈笑い〉を論じて初めて批評にまで高め、観客にも演者にも多大な影響を与えた名著が、加筆改稿されて愈々〈決定版〉刊行!
対象書籍名:『決定版 日本の喜劇人』
対象著者:小林信彦
対象書籍ISBN:978-4-10-331828-6
大切に保管していたものに限って、気がつくと失くなっている。
例えば、中学生の時に小林信彦氏から頂戴した、質問への回答ハガキだ。マルクス兄弟が晩年に共演したテレビ番組の8ミリフィルムを手に入れた中二の私は、知りたいことがあり、躊躇なく小林氏に往復ハガキで質問を送ったのだった。当時は作家の住所なぞ中学生でもすぐに調べられた。面白がってくれたのか、氏は、子供相手にも拘(かかわ)らず、万年筆書きの小さな文字で丁寧な説明を返してくださった。最後に「本当に中学生ですか? あまりの詳しさに呆れました」とあった。「すべては貴方の著書から学んだ知識ですよ」と返したい気持ちだったが、さすがに弁(わきま)えた。
たしか小学校六年生の時だと思う。当時は中原弓彦名義で刊行されていた小林信彦氏の初期の二冊の名著、『世界の喜劇人』『日本の喜劇人』を立て続けに読んでしまったことが、私のその後の人生を決定づけてしまったと言っても過言ではない。こんなことを迂闊(うかつ)に書く人もいるけれど、本当に過言ではないのです。だからこの原稿はきっと、書評なんていう客観的なものにはなりようがない。あしからず。
ってことで、この度「決定版」として刊行された『日本の喜劇人』は、1972年に出版された同名書と、1996年に出た新潮文庫『喜劇人に花束を』の二冊を合わせ、加筆されたものだ。加筆部分の最後には大泉洋について触れているから、乱暴に言えば「古川ロッパから大泉洋まで(芸歴からいうと「エノケンから大泉洋まで」と書くのが正しいか)を網羅した、喜劇人の芸と歴史についての評論本」ということになろうが、そんな簡単なものではない。ロッパを除き、「本人との直接交流」を基調にして書かれているという点で、本書は巷に溢れる他の評論・評伝本とは一線を画す。この度「決定版」のゲラが届いたので、まえがきを読み返せば、文末に「芸人への賛嘆は、その芸人(の人間性)への幻滅の果てにくるものではないだろうか」とあって、なんと申しましょうか、その覚悟のほどに改めてため息が出た。この本が最初に世に放たれた時分には、エノケンは亡くなって間もなく、森繁御大をはじめ、登場する喜劇人たちのおおよそが、現役か、少なくとも存命だったことを考えれば、ため息の意味もお分かり頂けるのではないか。
若き日の著者が書きつけた、詳細な日記やノートが大きな強味になっている点も他に類をみない。例えば植木等の章を読んでみると、1965年7月1日から4日間、東京宝塚劇場でクレイジー・キャッツの結成十周年記念公演があり、そこでどんなネタが披露され、終演後のパーティーで挨拶に立ったフランキー堺が何を言い、その後クレイジーの面々と何を話したかまで記されている。この項が書かれたのは90年代であろう。とても記憶だけで追いつくものではない。私なぞ去年起こった出来事と三年前に起こった出来事の前後関係すら怪しい。
巻末に付された最新インタビューにおいて、御本人も「時折、『日本の喜劇人』は作者の〈青春の終り〉〈青春の挫折〉の小説みたいだと評されもする」と発言しているが、それは本書に限ったことではない。小林氏の「喜劇人本」でいつも感動してしまうのは、対象となった喜劇人との(往々にして何十年にも及ぶ)日々の記述のなかで、植木等のことを書いていようが、藤山寛美のことを書いていようが、渥美清のことを書いていようが、横山やすしのことを書いていようが、萩本欽一のことを書いていようが、主人公たる喜劇人と同様に、いや、時としてそれ以上に、著者自身の状況や心情が、まさに青春小説のように鮮やかに浮かび上がる点である。同時に、昭和史、文化史、風俗史としても読めてしまうのもいちいち魅力であり、それもこれも、克明に記された日記あってのことだろう。私も日記をつけておけばよかった。
ところで、巻末インタビューには、1972年に最初の版が出た時、一番喜んでくれたのが由利徹だという一節がある。最後にこんな私事を書くのもどうかと思うが、実は私は由利徹さんと、日劇の彼の楽屋で、『日本の喜劇人』について話をしたことがあるのだった。日記をつけていないので日付けは不明であるが、おそらく高一の時だ。由利さんは『雲の上団五郎一座』の二十周年記念公演で座長を務めていた(エノケンの娘さんが出ていたと記憶するが、日記をつけていないので確かではない)。ジャズマンだった私の父は、ある時期、由利さんや森川信、(『日本の喜劇人』にもほんの少しだけ触れられている)泉和助らと雀卓を囲む仲だった。私がまだ赤ん坊~幼児だった頃の話だ。当時は、よく知るおじちゃん達がテレビに出ているのが不思議だったぐらいで、さしたる興味はなかった。が、『日本の喜劇人』を読んで以来、俄然興味が湧き、由利さんは特別な人になっていたのである。
その時の日劇公演は一人で観に行ったのだけれど、父の名前を出して楽屋に押しかけた。押しかけたはよいが、とくに話すべきこともない。口をついて出た言葉が「『日本の喜劇人』読みました」だった。由利さんが「へえ、ああそう」と感心したように笑ったのは憶えているが、そのあとは忘れてしまった。日記をつけていないからだ。由利さんにしてみれば、あの時の赤ん坊が高校生になっていきなり楽屋に現れたことに面食らったのだと思う。サイン入りの公演パンフレットをくれた。いや、ロビーで買ったパンフにサインしてもらったんだったか。日記をつけてないのだ。
いずれにせよ、そのパンフレットもいつの間にやら紛失してしまった。由利さんとはそれ以来会うことはなかった。大切に保管していたものに限って、気がつくと失くなっている。『日本の喜劇人』は、私ごときにはどうあがいても太刀打ちできない、名著中の名著である。
(ケラリーノ・サンドロヴィッチ 劇作家/音楽家/演出家/映画監督)