書評

2021年6月号掲載

「新しい戦争」の時代

白石一文『ファウンテンブルーの魔人たち』

白石一文

対象書籍名:『ファウンテンブルーの魔人たち』
対象著者:白石一文
対象書籍ISBN:978-4-10-305657-7

 男と女はもう駄目だろうという気がする。
 この『ファウンテンブルーの魔人たち』という小説はそうした私の基本認識を土台にして書かれたものだ。
 子供の頃から私は男女というものが苦手で、好きではなかった。なかでも男の方がより嫌いだったので世間的には"女好き"のように見られたが、実は女性もそれほど好きだったわけではない。
 矛盾するような話だが、しかし、私は人間のことは大好きだった。ただ、私の好きな人間というのは、私と直接的な関わりを持たないか、深い関わりを持たない相手で、彼らは活字やニュースの世界、またはちょっと離れた場所に生息していなくてはならないのだった。
 そういう人たちのことを私は長年、念入りに観察しながら生きてきた。そして、最近に至って得たのが、冒頭に記した、「男と女はもう駄目だろう」という認識なのである。
 世界大戦やベトナム戦争、イラク戦争が終わり、米ソ冷戦も終結したいま、新しい戦争がこの世界を覆い尽くそうとしているかに見える。
 男と女の戦争だ。
 これは、人種間戦争やイデオロギー戦争、宗教戦争よりも、もっともっと私たちにとって根源的で深刻な戦争でもある。同時に、いつの日にか必ずそうなると宿命づけられた、起こるべくして起こった戦争でもあろう。
 もとから男と女は仲が悪いのだ。
 女は常にふるわれつづけてきた男からの性暴力に心底嫌気がさしているし、憎んでいる。男の方は、そんなふうに自分たちを憎み続ける女の存在に脅威を感じているし、一方で、彼女たちのために築いてきたはずの社会や紡いできたはずの殺戮史が、いつも女たちによってないがしろにされていることにうんざりしている。
 そうやって潜在的に続いてきた男女の対立が、この時代において顕在化し、戦争として再定義される段階にまで到達したのだろうと私は見ている。
 これにはやはり、女性の社会参加が認められ、彼女たちが自らの正当な権利や積年の怒りを広く社会に訴えられるようになったことが大きい。
 要するに女性たちはやっとのこと、それまで圧倒されてきた男性の暴力支配に異議を唱える力を獲得しはじめたのである。
 そこまで来た以上、この先、男と女はどんどん不仲になっていくに違いない。女性が原告、男性が被告の容赦のない終わりなき裁判が開廷したとイメージすれば分かりやすい。
 お互いがお互いを必要とするような関係性はどんどん希薄になり、加速度的に、男がいなくてもいい社会、女がいなくてもいい社会、つまりは男女がバラバラに生きてもちっとも不都合のない社会が構築されていくだろう。そして、そのために必要なツールがサイエンスやテクノロジーの成果としてふんだんに私たちに提供されるようになる。
『ファウンテンブルーの魔人たち』で登場させたAIロボットのマサシゲやAIアーティストのロロコロ&ハラスカ、人工子宮のHM1やHM2などはそうしたツールのほんの一例である。
 この小説でも書いたが、セックスというのはドラッグとよく似ている。快楽のためには恰好のアイテムだが、ドラッグによる精神崩壊がそうであるように、その副作用として女性や小児に対する深刻で残虐な性暴力を誘発し、社会全体を陰惨なものにする。セックスも本来ならばドラッグ同様に禁止してしかるべきだが、その手段以外に人類の繁殖を可能にする行為がなかったためにいつの時代も「追放の刑」を免れてきたのだ。
 しかし、急速に進化する遺伝子工学や生殖医療の力によって早晩、人間はセックスを必要としない繁殖方法を手に入れると思われる。
 そうした未来が到来したとき、男と女は一体どうなるのだろう?
「駄目」になるのはもう分かっている。だが、私たちは、たとえば殺し合ったり、どちらかがどちらかを奴隷化したりするのだろうか? それとも共存するのか?
『ファウンテンブルーの魔人たち』の最終場面はそのへんに思いを馳せながら書き上げたのだった。

 (しらいし・かずふみ 作家)

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