書評
2021年6月号掲載
大人が読むべきファンタジー
フィリップ・プルマン『ブック・オブ・ダストI 美しき野生』(新潮文庫)
対象書籍名:『ブック・オブ・ダストI 美しき野生』上・下(新潮文庫)
対象著者:フィリップ・プルマン/大久保寛訳
対象書籍ISBN:978-4-10-202423-2/978-4-10-202424-9
今これを書いている私の仕事部屋の壁には、十年以上にもわたって一枚のポスターが貼ってある。鎧をまとった巨大なシロクマが雄叫びをあげる足もとで、守られるように佇む一人の少女。映画『THE GOLDEN COMPASS』(2007)のポスターだ。
もともと、大久保寛氏訳の『黄金の羅針盤』から連なる三部作の大ファンであり、映画版の日本語字幕の監修を手伝うことになって、その関係でロンドンでのプレミア試写会にも呼ばれて行った。縁の深い作品だった。
しかし残念ながら映画は、第一部だけで打ちきりになってしまった。宗教の存在意義や教会権力の腐敗にまで深く切り込んだ内容が問題視された、とも言われている。このシリーズはそれほどに、ファンタジーでありながらもおそろしくアグレッシヴな作品なのだ。
舞台は、私たちの知る英国とは似て非なるパラレルワールド。その世界では、人間の魂のかたわれは動物の姿をしており、一人につき一匹、決して離れることのない彼らは「ダイモン」と呼ばれ、魂の具現化であると同時に守護精霊の役割を果たしている。
個人とそのダイモンの結びつきは強く、物理的に離れるだけでひどい苦痛を伴うのだが――第一部の『黄金の羅針盤』では、教会権力を後ろ盾にした組織が、各地から子どもたちをさらってきてはダイモンとのつながりを切断する実験を行っていた。
主人公の少女、暴れ者だが聡明なライラは、親友の少年を助け出すため、よろいグマの王イオレクを味方につけて雪と氷に閉ざされた極北の世界へと乗り込んでゆく。
第二部『神秘の短剣』、第三部『琥珀の望遠鏡』と続く冒険を通して、ライラは勇気を知り、裏切りを知り、やがて愛と別れを知って大きく成長してゆく。三部作の執筆に合計七年、いくつもの文学賞を受けたシリーズとなったわけだが、原作者のフィリップ・プルマン氏にとってはまさしく魂を削って書きあげた作品だったのだろう。「お金のために続編を書く気はありません」と述べていた。
だからこそ今回、新シリーズの報に接した時には、思わず快哉を叫んだものだ。先の「ライラの冒険」三部作は新たに「ダーク・マテリアルズI~III」と位置づけられ、ここからの続編は「ブック・オブ・ダスト」と銘打たれている。その第一作となる『美しき野生』をいちはやく読んだ。
目次を見るだけでこれほど心躍る物語があるだろうか。時間軸としては少し遡り、ライラが赤ん坊だった時代から語り起こされる。『スター・ウォーズ』のエピソード1的な位置づけ、と言えばわかりやすいだろうか。
今回の主人公、少年マルコムは、怖ろしい陰謀と折からの大洪水に巻き込まれながらも、持ち前の機転と行動力でもって修道院に預けられていた幼子ライラを連れ出し、命がけで守って旅をする。ライラはある預言によって、将来この世界の秩序を根こそぎ破壊する忌まわしき申し子とされており、そのせいで教会権力から追われているのだった。
自分たちが生まれながらにして信じ込まされていた善は、ほんとうに善きものであるのか。そもそも善悪とは何なのか。宗教による支配や洗脳、権力の腐敗、異端を許さない監視社会......。マルコムが、そして後のライラが直面する戦いとはつまり、最新作『美しき野生』に記された言葉を借りるなら、こういうことになる。
「何が危うくなっているかを考えてください。自由に話したり考えたりする権利、いかなるテーマの研究も堂々と進められる権利、そうしたものがすべて奪われようとしているのです。戦うに値する、そう思いませんか?」
――どうだろう。あまりにも今の私たちの世界に通じているとは言えないだろうか。
生まれ落ちた赤子がいずれ世界の根幹を揺るがすと預言され、時の権力から命を狙われる、というのは、キリスト教の聖書における救世主誕生と同じ構図だ。プルマン氏自身、物語はミルトンの『失楽園』が大きなモチーフだと言っている。
蛇の姿をした悪魔(ダイモンならぬデェモン)の誘惑に乗って神から楽園を追われたアダムとイブは、本当に悲嘆の末に子孫をなしたのだろうか。じつは魂の解放と自由を得たのではないのか。「ダーク・マテリアルズ」から連なる「ブック・オブ・ダスト」の中で作者が描こうとしているのもまさに、魂の解放と真の自由を求めるための戦いであり、それを中心に据えた壮大な叙事詩なのだろう。
優れた児童文学は、大人が読んでも感動すると言われる。しかし中には、まず童心に返らない限り、読み進むこと自体が難しい作品もあるだろう。
安心してほしい。プルマン氏の紡ぐこのシリーズは、私たち大人が、成熟した心のままで読むに値する、どこまでも骨太な物語だ。
(むらやま・ゆか 作家)