書評
2021年7月号掲載
ジャーナリズムの初志
「新潮」編集部編『パンデミック日記』
対象書籍名:『パンデミック日記』
対象著者:「新潮」編集部編
対象書籍ISBN:978-4-10-354051-9
「来年は東京五輪もあるし、いろいろ大きな出来事が起きそう」。そんな期待からクリエイターたちに一週間分を担当するリレー形式で日記を執筆してもらう企画が2020年元旦から始まった。
トップバッターは筒井康隆。おせちの話題は平和で静かな正月らしい。5日には近所のレストランで外食し、7日は神戸から東京へ移動、翌日は林真理子との対談だと書く。この時点で、対談とは相対し、時に唾の飛沫を飛ばし合って語り合う行為以外ではありえなかった。
初めてその「影」が落ちるのは2月5日。装幀者・菊地信義は「10人の新型肺炎の感染が確認され、乗客の下船の目安が付かぬという。(中略)3・11に次ぐ警告」と記す。いうまでもなく、新型コロナ感染症のるつぼと化して世界中が固唾を飲んで見守った大型クルーズ船のことだ。
ヤマザキマリは2月26日に「ネットでイタリアの新聞Corriere della Seraを読む。感染者330名、死者11名」と記載。しかしその夜はイタリアン・レストランに出かけて山下達郎・竹内まりや夫妻とその娘に、とり・みきというメンツで食事。まだ日本では外食は可能だし、それを書いてバッシングを受けることもなかった。しかし27日には安倍晋三首相が唐突に全国の学校に一斉休校を要請。ヤマザキは「"自粛の要請"なんて、イタリア語ではあり得ない」とコメントしている。3月11日、コロナのせいで中止や規模縮小になった東日本大震災から9年目の追悼式典について佐伯一麦が触れている。
こうして五輪の一年を記録するはずだったリレー日記は、予想と大きく異なる軌跡を辿ることになる。ついに日本でも緊急事態宣言が出された翌日の4月8日、石原慎太郎は「地球と人類の終末を予感させるこの事態の到来は、物書きとしての人間に稀有なる体験を強いてくれる」と記す。感染症専門家は人との接触8割減を求め、繁華街から賑わいは消えた。
5月3日、金井美恵子は「昨日の新聞の読者欄の投稿イラストは、昔の少年雑誌の表紙挿絵を思い出させるタッチ(下手だけど)のマスクをした少年と少女(それとも母親?)の顔に「負けません」という言葉。戦争中のポスターと標語みたい」と日記を記す。自粛を守らない店や人に自粛警察と呼ばれる「自警団」が食ってかかる光景もこの頃にはしばしば見られるようになり、確かにこちらも"いつか来た"道だ。
この一回目の緊急事態宣言は5月25日に全面解除。それに触れる演出家・飴屋法水の記述は一行だけと素っ気ない。一年延期が決まった五輪の、開会式一年前となった7月23日、白血病から奇跡の復活を遂げた競泳の池江璃花子が、女神のような白い衣装に聖火を携えて無人の新国立競技場でスピーチする。滝口悠生はそれには触れずにこの日、東京の新規感染者数が過去最多の366人になったことを記録している。
10月20日、柳美里はネットでみた映画『名もなき生涯』の字幕をメモ。「今後のことは今もわからない。良くなることは、まずない」。11月17日、柄谷行人はオンラインでの書評委員会参加に憂鬱となり、12月31日、文字化けする自宅パソコンへの蓮實重彦の呪いの言葉で2020年は幕を閉じる。
本書は『新潮』2021年3月号に一挙掲載されたリレー日記を一冊にまとめたものだ。クリエイターは時代の危機をいち早く察知するが、さすがにコロナ禍の到来を予見することは難しかったはずだ。しかし一度経験してしまえば、ものの見方や感じ方はすっかり変化してしまい、コロナ禍前の社会を省みる場合もパンデミックを知らなかった頃のようには描けなくなる。かくして世界には「コロナ前」と「コロナ後」の二通りの作品しかなくなる。
その点、日記は例外だ。名うてのクリエイターたちゆえに単なる日常雑記的な意味合いを超えた創造性が筆致には込められているだろう。だが、コロナ以前と以後に歴史を隔てる活断層がいかに走ったか、日単位で同時進行的に記録されている点には嘘も偽りもありえない。鶴見俊輔はジャーナリズムjournalismの語源が日録journalであることから、日記にはジャーナリズムの初志が宿っていると指摘した(『ジャーナリズムの思想』筑摩書房、1965年)。リレー日記はまさにコロナに侵食され、傷口を広げてゆく2020年の日本社会について報告する迫真のジャーナリズムとなってもいるのだ。