書評

2021年7月号掲載

母や妻である前に

森美樹『母親病』

三浦天紗子

対象書籍名:『母親病』
対象著者:森美樹
対象書籍ISBN:978-4-10-121193-0

 日本でも夫婦共働きは当たり前。既婚女性の多くが専業主婦となった、高度経済成長期のような風景はもうない。一方で、さすがジェンダーギャップ指数百二十位(2021年度の「グローバル・ジェンダーギャップ・リポート」より)の国らしく、「男だから」「女だから」という性別による役割分業についてはいまだ根強い部分もある。とりわけ女性たちは、「母らしさ」や「妻らしさ」からなかなか解放されていない。それは、家父長制的価値観の社会において強いられている部分もあるのだが、実は女性たち自身が自縄自縛になっていて、それでもなお出口を求めているからこそ苦しんでいるようにも見える。
 森美樹は、そのような「母や妻である前に」ひとりの女でありたい、私でありたいともがく女性たちを好んで書く。
 まず、2013年、Rー18文学賞読者賞を受賞した「朝凪」がそうだ。主人公は、砂を噛むような結婚に倦(う)んでいる専業主婦の美津子。〈いざという時のため〉の準備に、夫の出勤後、テレフォンクラブのアルバイトを始めた。夫婦のマンションの向かいにある男子寮には、三ヶ月前から金髪の若い男性が住むようになり、洗濯物干しをしている間だけの一方的な逢瀬に、非日常の喜びを見出している。家庭には食べ寝に帰ってくるだけに見える公務員の夫は、妻のそんな変化に気づきもしないが、彼女自身は、この閉塞感から逃れたいという希望と野心を自覚していく。妻と夫との決定的な亀裂が提示されるひんやりとしたラストに、むしろ胸のつかえが下りる好編である。
「まばたきがスイッチ」と改題したその受賞作を含む六編は、2015年に短編集『主婦病』として出版され、文庫化もされた。六編すべてに、少女から熟年まで年代を問わず、当事者として、あるいは関係者や傍観者として、女として生きるとはどういうことかと自問自答する女たちが登場する。
『母親病』は、そんな『主婦病』とも呼応するような、四編からなる連作集だ。一話目の「やわらかい棘」では食品会社に勤める四十歳の珠美子が、二話目の「砂の日々」では珠美子の母・園枝の介助をする訪問ヘルパー・平沼光世が、と各編で語り手を変えながら物語の時間は進む。
 始まりは、藤井珠美子が不倫相手と過ごした翌朝に受け取った、園枝の訃報だ。まだ六十六歳の母親が〈他殺か自殺か事故死か、死因は不明〉で、〈胃の内容物を分析した結果、小麦粉や砂糖や卵に混ざって有毒植物のドクウツギが含まれていた〉という不審死を遂げた。それだけでもショックを受けるだろう珠美子の前に、母の死に唯一慟哭する職業不詳の青年が現れるのだ。葬儀の芳名帳に〈聖雪仁〉と書いた二十五歳の彼がつぶやいた、母との深い関係を匂わせる数々の言葉。園枝の死の真相と、園枝と雪仁との関係の真実。二つのサスペンスフルな謎が、サイドストーリーとして全体を引っ張っていく。正体不明の美しい青年が女たちをつないでいく構成も、『主婦病』と重なる。
 だが、本書のメインテーマは、タイトルにもあるように「母親たろうとする病」に侵された女性たちの懊悩、そしてその呪縛から逃れようとする女性たちのもがきだ。珠美子は園枝が自負する〈家と身なりを整えて、常に子供の自慢でいる〉という生き方を嫌っているし、園枝もまた自分を否定するようにキャリアを積んでいく娘を〈女であること以外の仕事なんて〉と笑う。光世は離婚したDV夫と精神的に決別できないシングルマザーだ。娘の陽花はそんな母の煮え切らなさを疎み、母娘で険悪になることもある。園枝は、年若いヘルパーの柳瑠衣を通して、自分の結婚生活のまやかしを知る。特に、三話めの「花園」は秀逸。雪仁との関係の変化によって、園枝の、内側から崩れていく母親病の重篤さが伝わってくる。
 そんな物語を彩るのは"赤"。ドクウツギの実、薔薇を育てるのが好きな園枝の庭に咲くグランデアモーレ、母親との思い出の中で雪仁を縛るりんご飴、雪仁が園枝に贈ったマニキュア。『主婦病』でも、赤が活きていた。テレフォンセックスで男に音を聞かせるために使うトマト、聡明で潔癖な母と真逆の中年女性がまとう緋色のマフラー、ケチャップを塗りつけたオムライス。女性たちが生きている無機質で色のない世界に、女性が流す血を思わせる色が鮮烈に浮かび上がる。うまい、と思う。
〈母の役割〉という呪縛から逃れたときに、女たちはどんな貌(かお)を見せるだろうか。そのほとばしる生の手触りを味わうには、読むしかない。

 (みうら・あさこ ライター/ブックカウンセラー)

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