書評
2021年7月号掲載
松田美智子『仁義なき戦い 菅原文太伝』刊行記念特集
人生を二度生きた男 菅原文太の意外な実像
対象書籍名:『仁義なき戦い 菅原文太伝』(新潮文庫改題『飢餓俳優 菅原文太伝』)
対象著者:松田美智子
対象書籍ISBN:978-4-10-133042-6
牙をむく狂犬、痩せぎすの狼、ガリガリに痩せた軍鶏――。映画「仁義なき戦い」(監督・深作欣二)に象徴される「飢餓俳優」菅原文太の足跡を追う本書は、序章から刺激的だ。
遅咲きのスター俳優には、なぜか希薄な人間関係しかない。誰も信じず、親しく付き合った相手はなし。時代の寵児となっても凋落の予感に脅え、時代と群れることのできなかった男。ファンの思い描く文太像と、素の文太。その大きな落差を、著者は様々な証言を掻き集め丁寧に埋めていく。
幼くして母が出奔し、家庭崩壊。居場所を求めて上京するも、大学は除籍。「食うか食われるか」の映画界へと足を踏み入れるも、振られるのは「脇」ばかり。大都会の片隅で酒と女に溺れた。本名を通したのは、生き別れた実母と再会するためだったとの証言もある。
本書の魅力は、不世出の俳優の陰影の濃い人生とともに、東映を中心とした映画界の内実が立体的に描かれ、それが「時代の物語」となっていること。同時代を女優として、同じ空気を吸って生きた著者自身の経験が貢献している。その時代の大波が、四〇に手が届こうとする文太の元へ押し寄せたとき、名作「仁義なき戦い」は生まれた。
「山守さん、弾はまだ残っとるがよう」
文太が凄みを利かせるラストシーン。その台詞は多くのファンの記憶に刻まれたが、実は私も遅れてきた一人である。
広島県警第四課マル暴(暴力団)担当から記者生活をスタートさせた私にとって「仁義なき戦い」は教科書、文太はアニキだ。台詞はほぼ頭に入っているし、熱が高じて主人公のモデルとなった人物を取材したこともある。
あるホテルのペントハウス、約束の時間に現れたその人には両足がなかった。切断面を私に見せつけるように大股を開いて座り、尖ったガラスのような眼差しを鈍く光らせる。かつての「極道」の迫力に圧倒されながら必死で質問を重ねるも、極めて不機嫌。ところが話が菅原文太に及ぶと、
「おう、ありゃエエ男じゃ」
そう言って破顔し、いきなり饒舌になった。男臭くて、不器用で、どこか愛嬌があって破滅的。スクリーンを縦横無尽に大暴れする文太に皆が惚れこんでいた。
続く主演映画「トラック野郎」も東映のドル箱シリーズとなり、一躍スターの座を駆けあがる。しかし絶頂にあっても彼はどこか冷めていた、と著者はほのめかす。共演する女優とは口もきかず、ロケ先では一般人と平気で喧嘩、ともに働いた仲間さえも突き放し、恨みをかうこともあった。同じスターでも、万事において気配りの高倉健とは正反対の無骨な生き方。なぜ、なぜと、頁をめくるたび焦らされる。
〈人間はお互いがいちばん必要な時出会い、必要でなくなった時別れていく。それが人の世の宿命である〉
文太と名コンビを組み、やはり決別した脚本家で映画監督の鈴木則文の言葉が重く響く。
時代は確かに文太を愛した。しかし彼はその身を完全には委ねなかった。犠牲を差し出さぬ者に、映画の神様は微笑み続けてはくれない。逆縁の哀しみも重なり、やがて彼は自ら映画界を去る。最後に選んだのは、土を耕し、社会で弱き立場に置かれた人たちとともに歩く道。まばゆいスポットライトは二度と浴びようとしなかった。そんな名優の晩年を惜しむ映画関係者は少なくない。
本書の最後の頁を閉じてから、確かめたくなった。亡くなる少し前、命がけで演台に立ったという沖縄県知事選での応援演説。その映像がネット上に残されていた。
両の頬はげっそり削げ落ち、往年の面影はもはやない。しかし発せられる一言一言は太く強く、浮かべる笑みはどこまでも優しい。
――弾はまだ残っとるがよう。
昔と変わらぬ気迫が満座を圧倒していた。
そこには虚像の文太でなく、実像の文太が確かに居た。彼は二度生きたのかもしれない、そう思えた。一度は「飢餓俳優」として、そして二度目は反骨の男・菅原文太として。そうして己の演出で、己の手で人生の幕を下ろしたのだと。
(ほりかわ・けいこ ノンフィクション作家)