書評
2021年7月号掲載
自由であることの、強さと心地よさ
岩井圭也『水よ踊れ』
対象書籍名:『水よ踊れ』
対象著者:岩井圭也
対象書籍ISBN:978-4-10-354131-8
旺角(モンコック)の古びたビルの屋上を、和志(かずし)が訪れるくだりがある。香港の魔窟と言われた九龍城砦(カオロンシンジャイ)で道案内してくれた梨欣(レイヤン)にお礼をするため、彼女一家が引っ越した旺角に行くのだ。
ビルの屋上にはバラックが並び、それを天臺屋(ルーフトップ・スラム)と言うが、梨欣一家はそこに住んでいる。魔窟から引っ越しても、やはり魔窟なのだ。もっとも、梨欣の兄、阿賢(アイン)は「天臺屋に住めるのはまだましなほうだ。うちは両親だけじゃなく、俺も梨欣も働いているからな」と言う。阿賢が案内してくれた途中階のフロアには、次のような光景がひろがっている。
《四方を金網で囲まれた一畳ほどの寝床が、二段ベッドのように積み重ねられている。金網の箱は手前に二つ、奥に四つで計六つあった。うち三つに人が横たわっている》
籠屋(ケージ・ハウス)だ、と阿賢は言う。
「俺たちもいつ籠屋の世話になるかわからない。勤め先が潰れたり、ちょっとしたトラブルで職を失うかもしれない」
ようするに、普通の日本人はこんなところに来ない。梨欣のことは忘れろ、と阿賢は言うのだ。
これは十五歳のときの和志の回想だ。猥雑で奥深い香港の様子が、鮮やかに立ち上がってくるので強い印象を残している。物語は、それから五年後、交換留学生としてふたたび香港にやってくるところから始まっていく。梨欣のことは忘れろ、と言われたものの、忘れられずに和志は旺角を再訪する。梨欣があのビルの屋上から飛び下りてしまったからだ。なぜ梨欣は死んだのか。あのときはそのまま香港をあとにしてしまったが(家族が日本に帰るのでは仕方ない。幼い彼が一人で香港に残るわけにはいかない)、それがずっと気になっている。香港大学に留学を決めたのは建築を学びたかったからだが、梨欣の死の謎を解きたいという気持ちも強い。その謎を解かないと前に進めない、と和志は思っているのだ。
で、旺角のあのビルを訪れると、ベトナム人少女トゥイと出会う。とはいっても、ロマンチックな出会いではない。財布とパスポートを要求されるから、強盗に等しい。ここからさまざまな国籍の人間が登場して、さまざまな問題が語られていく。
ベトナムから流れてきたボート難民のトゥイ。保釣運動、つまり釣魚臺(ディウユートイ)(日本では尖閣諸島と言う)の領有権を主張する活動に関心を持ちながらも、香港人の民主派が向き合うべきは日本ではなく、北京だという通称アガサ。北アイルランドで生まれ育ったノエルは、連合主義と独立主義の間で揺れ動いているし、みんなが政治に翻弄されている。香港はその縮図といっていい。作者は、現代に生きる私たちの混迷と悲劇を、旺角に集約して描いている。
岩井圭也は、『永遠についての証明』で、第9回野性時代フロンティア文学賞を受賞してデビューした作家である。当時私はこの小説について、新刊評で次のように書いた。
「最後近くまで余裕を持って読み進んだことは告白しておく。いい小説だけど珍しくはないよな、と。ラスト一〇ページで、その余裕が吹っ飛ぶ。数学者とは何であるのか――先達の言葉はたしかに正しいのかもしれないが、どこかに納得し切れないものが残っていて、そのざらざらした気分が、このラストで綺麗に、瞬時に、気持ち良く、吹っ飛んでいく」
「しかも最後に登場する人物がいい。クマよ、君の人生はけっして無駄ではなかったのだ。そう言いたくなってくる。未来につながる希望が、本当に心地よい。これはそういう小説だ」
当時の新刊評を書き写していたら、『永遠についての証明』を再読したくなってきた。まったく素晴らしいデビュー作だ。その後も『文身』など、傑作を書き続けていることはここに書くまでもない。
実は今回もラストがいい。梨欣がなぜ死んだのか、その謎を解いたところで、何が変わるのか。そういう疑問がないではない。しかし二十数年後のエピローグを作者は最後につけるのである。二〇二二年、和志はまた旺角を訪れるのだ。そこで具体的に何をするのかは書かないけれど、未来に向けて歩きだす強い意思が、ここにある。水は自由だ、というラストのひびきが、なによりも心地よい。