書評・エッセイ

2021年8月号掲載

幻想と現実の交わるところ

金子薫『道化むさぼる揚羽の夢の』

鳥澤光

対象書籍名:『道化むさぼる揚羽の夢の』
対象著者:金子薫
対象書籍ISBN:978-4-10-354171-4

金子薫が言葉を重ね、溶接と色付けを施した非在の世界で、人はいつも夢を見る。変容の、完成の、脱出の、再会の、楽園の、夢。小説の冒頭、天野正一は拘束具の中で羽化を夢見ている。機械工として召集された者たちが詰め込まれた金属製の蛹の硬質さを目にし、重量を感じ、それをぶら下げる鎖の太さと軋む音を耳にしながら、読み手であるはずの私は気づけば地下世界の天井を見上げている。時が満ち、《蛹から出て、この作業場へと下り、ついにおまえたちは蝶になる権利を得た》という監督官の声を聞き、《おまえたちの翅だ》と蝶を思わせる色柄の作業服を手渡されるころ、黒い文字と白い紙による隔たりはいよいよ存在感を薄め、自分の一部が天野のなかに移しかえられているような心地にもなるのだが、大丈夫、溶かし込まれているのは読み手だけではない。《今度こそ蝶になれるのか、再び蛹の眠りのなかに戻るのか、どちらがどうとも分からない》とは金子の前作『壺中に天あり獣あり』にある一文で、考えているのは語り手の光。『鳥打ちも夜更けには』で鳥を打っていた男もまた、天野正一という名を持ち、《海鳥たちが自由に蝶や幼虫を啄める楽園》作りに励んでいたし、『双子は驢馬に跨がって』の父子が待ち望んでいたのは、《夢の蛹を破り新しい身体を携え》た救世主だったはず。こうして物語が物語に入り込み、地下に広がる空間は読み進むごとに層を増やし、歴史が織り込まれ、緻密に築き上げられた言葉の迷宮が現在を照らし切り出し、血が滴るままに差し出してくる。
 蝶へと変態した機械工たちには真鍮や銅を加工して蝶を作る仕事が課される。金属製の樹木に囲まれ、澱む時間を巨大な投光器が朝と昼と夜とに分ける模造の世界で、砂時計のように象られた地下空間を往き来し、監督官の暴力に晒され、恒常的な飢えを抱えながら。それを常態として生きることを強いられる日々のなかで、主人公の天野は《私自身の意味》について思いを巡らせ、問い、《おまえの意味は殴られることだ》という監督官の言葉から、《地下工場にいる限り、蝶を作ることは即ち殴られることである。殴られたくないなら、蝶作りをやめなくてはならない》と考えるに至って、蝶から幼虫へ、芋虫への退行を夢見るようになる。創造による逃避の試みはやがて、彼のうちに《道化のアルレッキーノ》を現出させ、《殴る無意味》と《殴られる無意味》という監督官と機械工の関係をクニャリと曲げて、物語に閉じ込められた地下の世界に新たな局面をもたらす。
 金子薫の小説では、物語に持ち込まれる事物が、精緻に描写されてすみずみまで強度を持ち、ボリュームを増やしながらひしめきあっている。視覚以上に触覚と嗅覚を刺すようなイメージが、ただただ言葉だけで築かれていく。書かれる労働は辛く、殴打の衝撃は大きく、配給される食糧はわずかで味気ない。それなのに、気がつけばその世界へまた戻っていきたいと願ってしまう、この感覚には覚えがある。たとえばカフカ。たとえばガルシア=マルケス。たとえば聖書、いくつもの寓話。かつて書かれた文学が物語を横切って、無限の連鎖と増幅する幸せを予感させる。
 それにしても蝶はなんのために作られ、どこへ運ばれていくのか。機械工たちはなぜ《召集》されたのか。工場が地下に作られ(それは日本各地に遺る戦跡を思わせる)、虐待が許されているのはどうしてなのか(技能実習生や入管行政にまつわる報道を思い出さずにはいられない)。説明されないまま残る謎があり、狂気による解放もそこにはなく、道化師は悪魔になることも消滅することもできない。役割や言葉が意味から逃れ続けて《世界と言葉の釣り合いが取れていない》まま進む日常の異様さ、不条理さは、二〇二一年の日本に生きる私たちが知るそれとよく似てもいる。《冷静になどなってなるものか》と自らを励ましながら《膨らむより早く問いの芽を摘》んで日常をやり過ごそうとする心の硬さを、《人間らしさを演出するために、人間らしからぬ扱いを受けている人々がいる》世界を、知らないままに生きることなんて可能だろうか。どこかにある、あるいはどこにもない、架空であるはずのこの世界は、他ならない私たちの生きる世界でもあるようで、小説を読み終えて仰ぎみる青空は(いやこの際曇っていても雨が降っていても真夜中でもよいのだが)、その格別の美しさで、空の下に生きることの意味を考えさせる。誰が、幻想と現実を別のものとして、不条理を境界線の向こうへ押し返すことができるだろう。

 (とりさわ・ひかる ライター/編集者)

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