書評
2021年8月号掲載
経験上、狼が一番おいしいです
椎名誠『漂流者は何を食べていたか』(新潮選書)
対象書籍名:『漂流者は何を食べていたか』(新潮選書)
対象著者:椎名誠
対象書籍ISBN:978-4-10-603869-3
これまで七十冊は読んだという椎名さんほどではないが、私も活動柄というか生き方柄というか漂流物の本には関心があり、そこそこの量を読んできた。
でも悲しいことに生来記憶力がことのほか悪いため、読んだ本の内容をすっかり忘れてしまっている。
しかしそのおかげで、というのも何か変だが、本書を面白おかしく一気に読むことができた。ここに紹介されている本は何年も前に大体読んでいるが、でも中身をほとんどおぼえていないので、へえ、この人はこんなものを食べていたんだと、あらためて驚く話が多かった。
たとえば家族でヨットで航海していてシャチに転覆させられたドゥガル・ロバートソン一家のケース。漂流初期の段階からシイラを捕まえ、七日目には海亀をひきあげ、血まみれになって解体して何とか食べている。この漂流が特殊なのは年端のいかない子も含めた三人の子供たちも一緒だったことだ。私にも家族がいるので、もし同じ状況になったらうちの娘は解体直後の亀肉、亀卵を食すことができるだろうかと想像してしまった。
有名なヘイエルダールのコン・ティキ号が、専用の網を用意してプランクトンを採取しているのも興味をそそられた。ちっぽけな甲殻類や海の生物の幼生、小型の蟹やクラゲで〈どろどろした光る粥のよう〉になっているプランクトンは、〈ひとさじ口のなかにいれてみるとエビジャコのペーストかイセエビかカニのような味〉ということで、ちょっと旨そう。今度、カヤックでどこかを長旅するときに試してみたい。
また漂流といえばシイラが定番で、シイラといえばスティーヴン・キャラハンの漂流だ。キャラハンの救命筏のまわりには三十匹以上のシイラがつねについてきて、お互い顔見知りになってゆく。キャラハンはその馴染みのシイラを一匹ずつ殺して腹におさめ、シイラも、たぶんそれがわかっているのに離れない。知能が高く好奇心が強いのか、シイラはほとんどの漂流者の前に姿を見せるのだが、キャラハンのケースは特別だ。両者のあいだでは、殺しと食をつうじて生物種を超越した奇跡的かつ不可思議な関係が築かれており、感動的ですらある。こんな経験ができるのなら漂流も悪くはないと思えるほどで、忘れっぽい私もさすがにこのエピソードはおぼえていた。
本書を読んであらためて思ったのだが、海の漂流や極地での遭難というのはやはり究極の極限体験である。そもそもそれは、やりたくてもできるものではない。本書のなかには、やりたくてやった漂流、つまりコン・ティキ号などの実験漂流のケースも紹介されているのだが、これらは計画的なものなので、生還への必死さという点では遭難して漂流した人たちの迫力にはかなわない。椎名さんも随所で指摘しているが、本として刊行されているのは遭難者のなかでも生還できた稀な事例であり、その背後には単に行方不明として処理された無数の顔の見えない人々の影がつらなっている。そして、その生への努力がもっとも端的にあらわれるのが、食べ物と飲料水の確保なのである。
食というテーマで漂流者たちの行動を読んでいくと、何を食ったかという点も興味深いが、それよりもどのように獲ったかのほうが面白い。漂流者はきわめてかぎられた道具や素材を駆使して、あれやこれやと知恵をはたらかせて何とか魚を釣りあげ、水を確保し、海亀をつかまえる。文明の利器にめぐまれた普段の生活では絶対に思い浮かばない閃きに打たれ、そして結束し、今の生活環境をすこしでもよりよいものにしようと努力する。この試行錯誤と創意工夫のなかにこそ人間性の根源があり、そこに感動があり、漂流記の素晴らしさがある。たいして顔も知らなかった四人の男たちが漂流を契機に民主的な協力法をあみだし、やがて転覆したトリマランのヨットを快適な食の場にかえてゆくローズ・ノエル号のケースは、まさにその典型ではないだろうか。
ちなみに本書ではナンセンのフラム号や、シャクルトンのエンデュアランス号など、極地探検の漂流もおさめられている。彼らが食べたのは海豹(あざらし)や白熊などだ。北極の野生動物の肉は、私にとってはあまり珍しくないものなので本稿ではあえて言及しなかったが、せっかくなので、現段階における私の個人的な〈北極旨い物ランキング〉を記して終わりたい。
一位…狼 二位…白熊 三位…兎 四位…海豹 五位…海象(せいうち) *鳥類は除外しました。
(かくはた・ゆうすけ 冒険家)