書評

2021年8月号掲載

ずるさも潔さもかけがえのない人物像

池田理代子『フランス革命の女たち〈新版〉激動の時代を生きた11人の物語』

中島京子

対象書籍名:『フランス革命の女たち〈新版〉激動の時代を生きた11人の物語』
対象著者:池田理代子
対象書籍ISBN:978-4-10-104871-0

 来年は『ベルサイユのばら』誕生五十年にあたるのだそうだ。あの偉大な作品が世に出てから、もう半世紀が経ったのか!
 女子高の入試問題にフランス革命が出題されたのでラッキーだった、『ベルばら』を読み込んでいるからフランス革命の年号も悲劇の王妃の名前も正確に書けたと、得意気に鼻を膨らませて言った同級生がいたのを思い出す。しかし、あのころの女子中学生はみんな『ベルばら』を読んでいたから、それが受験に有利とも言えなかった。わたしが高校受験をしたのは、1979年のことである。『ベルばら』は、宝塚歌劇の名作となり、テレビアニメとなり、劇場映画が作られ、その後もたいせつに読み継がれ、いまや古典と言ってもいい存在だ。
 本書は、1985年に「とんぼの本」シリーズの一冊として上梓され、ロングセラーとなったものだという。わたしは手に取るのがこの〈新版〉で初めてだけれど、『フランス革命の女たち』を読みながら、ルイ十六世と聞いて、瞬時に「錠前づくり」の趣味を思い出したりするのは、わたしの中にも深く『ベルばら』が根づいている証拠だと思われる。
 とうぜん、第五章の〈ロココの薔薇 マリー・アントワネット〉を読めば、スウェーデンの貴公子ハンス・アクセル・フォン・フェルゼンがパリ・オペラ座の仮面舞踏会でマリー・アントワネットと運命の出会いをするシーンを恍惚として思い出してしまうし、ヴェルサイユに押し寄せて王妃の首を要求する女たちに向かって、バルコニーで悠然とお辞儀をする名場面もくっきりと思い浮かぶ。別に一章を割かれているデュ・バリー夫人も、あのキャラクターが脳裏に像を結ぶ。
 おそらく、そういう『ベルばら』的教養が手伝ってということになるのだろう。フランス革命そのものに対するおおまかな知識が、本書に登場する十一人の女性たちの人生に彩られて鮮やかに立ち上がってくる。
 たとえば、マリー・アントワネットといえば、教科書にも載っているような有名な肖像画があるけれども、その作者には〈美貌の女流画家 ヴィジェ=ルブラン夫人〉として第四章が充てられている。女性の活躍が今よりずっと制限されていた時代に生まれた彼女が、十八世紀に画家として存分にその才能を開花させることができたのは、ほかならぬ王妃マリー・アントワネットに愛されたためだが、また、その事実ゆえに、大革命の大波に巻き込まれることにもなった。
 その大革命の揺籃期に、フランス革命を支える自由思想をはぐくんだ一大サロンの中心人物であった〈エスプリの女神 ジョフラン夫人〉の章も魅力的だ。本も読まない凡庸な夫のもとに嫁いだことにショックを受けつつも、自分の知的能力を〈閨秀(けいしゅう)サロン〉という時代の申し子のような場で花開かせ、グリム、ヴォルテール、ルソーなど、時代を造った人物を集わせた。天才モーツァルトが八歳のときにクラヴサンの演奏を披露したのも彼女のサロンでだった。ジョフラン夫人の先輩格にあたるタンサン夫人のサロンで、モンテスキューは『法の精神』を書き上げたという。フランス革命やそれを準備した啓蒙主義、自由思想の重要人物といえば、誰でもいくつかの名前を挙げることができるだろうけれど、いずれにしろ男性ばかり。本書はそれに対する、女性作家からの異議申し立てである。
 ただし、本書の魅力は、取り上げる女性たちがいかに後世に貢献したかのような視点からではなく、その時代を生きた、かけがえのない一人の女性として、長所も短所も、急進性も保守性も、ずるさも潔さも同時に持つ人間として、魅力的に描き分けている点だ。
 とにかく、稀代のストーリーテラーによる人物像は巻を措くにしのびないおもしろさ。
 そして、巻末のあとがきにも書かれているように、二十一世紀になってもあいかわらずの女性軽視ぶりがはなはだしい日本という国で、いま一度、ひろく読まれるにふさわしい、名著なのである。


 (なかじま・きょうこ 作家)

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