書評
2021年9月号掲載
二宮敦人『最後の秘境 東京藝大』累計40万部突破記念
いまも秘境で生きてます
――元東京藝大生の妻に夫がインタビュー
対象書籍名:『最後の秘境 東京藝大 天才たちのカオスな日常』(新潮文庫)
対象著者:二宮敦人
対象書籍ISBN:978-4-10-101231-5
*
――九歳年上の小説家と、付き合って一年ほどで学生結婚して、在学中に子供まで生んだ大学生。どう思う。
妻 それだけ聞くと、ひょええ~って思う。
――あなたですよ。
妻 てへへ。
――卒業制作には息子の石膏像を作って、卒業式にも息子と一緒に出たんだよね。
妻 うん。澤(和樹)学長がバイオリン弾いてくれたんだけど、それを聞きながら息子が「うっ、うっ」って目を輝かせてた。やっぱり一流の演奏は一歳児にもわかるんだなあって思った。
――謝恩会にも一緒に出てたよね。いづらくなかった?
妻 全然。みんな、ようきた、ようきた、みたいな。親戚のお兄ちゃんお姉ちゃんみたいな感じだった。いっぱい写真撮ってくれたよ。構図とか光の具合とか、みんな上手なんだよね。やったーって思った。
――懐が深いなあ。藝大、入って良かった?
妻 めっちゃ、ありがとって気持ち。彫刻科の同期は二十人いるんだけど、みんな穏やかで、仲良しだった。ライバルってよりも、仲間。昼ご飯とかだいたい集まって食べて。なんか、小学校の頃に戻ったような感じだったな。
――彫刻作るのって楽しいの。
妻 うん、楽しいよ。
――どういうところが?
妻 何か、凄く……変わるんだよね。平べったい、ふっつうの金属の板が、こんこん木槌で叩いているうちに……柔らかそうな形になったり、冷たそうな形になったり。雀を作ってて、全然似てこなーいって思っても、ちょっと嘴 (くちばし)の付け根に手を入れると、うわ、一気に似てきた! ってなったり。見てはっきりわかるから、飽きないよ。
――あなたの作品には、色んな大きさのものがあるよね。浴槽くらいのサイズの巨大な雀の木像もあるし。掌に乗るくらいの、ちんまりとしたハリネズミの粘土細工もある。どれくらいの大きさがいい、とかあるの?
妻 ん。どっちもいいね。
――大きくて良いことって何?
妻 えっと。でっけえ!
――……他には。
妻 んー。乗れる、とか。しがみつける。
――小さくて良いことは?
妻 ちっちぇー。あと、持てる。身につけられる。
――あなたは、大きいのと小さいのとどっちが好きなの。
妻 んー。どっちもいい。
――中くらいのは?
妻 それもいい。ぜんぶいい。彫刻は、いいんだなあ。
――ところで、なんか今日のファッションは凄いね。
妻 え。そうかな。
――いや、そのスウェット、膝のところでハサミで切ったでしょ。切れ目がぼろぼろで、だいぶみすぼらしいよ。
妻 暑いから、切った。
――半ズボン買わないの。
妻 どうせ、外に着ていかんし。新しく買うの面倒だし、お金もったいないし、これで用は足りるし……。
――何か、変なところ節約するよね。学生時代、ティッシュ箱の底にメモ取ってなかった? なんか、この作品で表現しようとしたことはうんぬん、素材と構成の意味はかんぬん……みたいなことを。底だけじゃ書ききれなくて、側面まで書いてたけど。
妻 うんうん。近くにあるものに書いた方が早いし、メモ帳を取りにいく間に忘れないですむでしょ。それにティッシュ箱って、立体だから。
――立体だから何なの。
妻 メモと違って目立つから、なくならない。
――……先生の前でティッシュ箱見ながら発表して、何か言われなかったの。
妻 君は変な人だねえ、って言われた。
――どう思った?
妻 へへっ。
――あなたは何かを身の回りのもので代用したり、手近なもので作ったりするハードルが低いよね。最近も割り箸をカッターで削って、耳かきとか作ってたけど。
妻 そうね。あれは、耳かき探してて……すぐ作れるし、買いに行くより作った方が早いなって思って。
――お皿が割れちゃったとか、ここにハンガーをひっかけたいんだけど、とか相談すると、すぐに直したり、作ったりしてくれる。
妻 うんうん、嬉しいからね。わーい、ちっちぇー仕事がもらえたーって思う。
――でもこの戸棚も、テレビ台も、ラックも一人で組み立てたでしょ。大変じゃないの?
妻 いや……むしろ私だけで楽しんじゃって、あなたに悪いかなあ、って思うくらい。
――僕はできればやりたくないけど……手伝わなくていいのかな、とは思ってる。
妻 全然。一人でやると、難易度が上がって面白いよ。子供の面倒見ながら作ると、さらに難易度が上がる。
――それは楽しいの?
妻 楽しいよ。
――そっか……最近、何か作りたいものは?
妻 色々あるよ。浅瀬のあるビオトープを作りてえ。それから、家族の人数分だけ石のある指輪作ってみたいし……あなたの小説のジオラマとか、あと蝋燭作りたいし、みんなの分の茶碗や皿。あと3Dプリンタ使ってみたい。
――いいね。でも今は子育てで、お互いなかなか時間が取れないよね。
妻 うん。まあ粘土も蝋も腐らんから、いつかやろって感じ。子育てはしんどいけど、死なん程度ではあるから……そのうち賢くなるだろうし、今は頑張る。子育てって、しんどくない人いないよね。みんななかま。おまえともだち、おれともだち。がんばるど。
――でも、何かが作れるってのは、僕は憧れるなあ。あなたは、こういうことができたらいいな、って憧れるものはある?
妻 そうね、言語化が上手な人って憧れる。
――あなたの言語センス、独特だもんね。
妻 あとは、部屋を毎日綺麗に保てる人とか……子供への声かけが上手な人とか。
――声かけってどういうこと。
妻 子供が何かしてると、つい、じっ……て眺めちゃうんだよね。あ、今声出すの忘れてた、ってなる。「そうそう、上手」とか「それは青だね、いい色だね」とか、もっと言いたい。何で忘れちゃうんだろうか?
――知らんよ。子育てで困ってること、何かある?
妻 だいたい困ってる。夜寝ないとか。次男が泣いて、長男もつられて起きて、みんなパニック、の流れとか。
――あれは困るよね。
妻 でも、そのうち寝るのは上手になるだろうし、時間が解決するかな。あ、あれだ! あれに困ってる! 公園行くとき。長男と次男が、別々の方向に走り出すと、ああ……ってなる。だから手が四本になれば。あ、手じゃだめか。分身したい。分身できるようになりたい。
――できるといいね。そんな子供たちとの生活は、この雑誌で「ぼくらは人間修行中」という連載にさせていただいて。東京藝大であなたや、あなたの友達に取材させてもらった話は『最後の秘境 東京藝大』という本になったわけだけど。自分が本の登場人物になるってどんな感じなんだろう。
妻 よい。
――もうちょっと詳しく。
妻 うーん。嬉しい。自分が経験した出来事でも、違う視点から見られるから、へーって思う。でも、いいのかな? ただ暮らしてるだけだし。私じゃ役不足じゃないのかな。あれ、役不足って逆か。力不足?
――作家の妻になってどうだった?
妻 よい。
――……もうちょっと詳しく。
妻 最初はもっと、大変かと思ってた。お金がなくて常に一家心中とのせめぎ合いで、畳食ってるとかを想像してた。あとは作家の浮気とか、精神病んじゃうのを支えるとか、消息不明になったのを探したりするとか思ってた。
――畳って美味いのかな。
妻 まずいと思う、でも食べられると思う。たぶん煮るんじゃないかな……めんつゆとかで。めんつゆ買うお金あったら、畳食べなくていいのかな。
――しかし、そんなのを想像してたのに、よく結婚したね。
妻 そうね。最初に会った時にたぶん、大丈夫かなと思った。
――だって友達の紹介で会ってすぐに、あなたは僕にプロポーズしたでしょう。付き合うより前に。
妻 うん。付き合うのが先かなとは思ってたけど、とりあえず言っておこうと思って。
――で、結婚したいと思った理由が……。
妻 前から小説を読んでいて、この作家さん、ずっと追いかけたいなあと思ってたんだよね。でも、私はものぐさだから、たぶんそのうち新刊情報とかチェックしなくなって、忘れちゃう。それは嫌だったの。だったら、結婚しちゃえばいいかなって。絶対、新刊が出るの忘れない。
――光栄だけど、別に結婚しなくても、追いかけられると思うんだけど。
妻 ううん、むり。これが最善。自分でわかる。
――そう、なのかな……? 学生結婚への不安とかはなかったの。
妻 特にないよ。どうせいつかは結婚するつもりだったから、早く済ませちゃいたかった。あなたと結婚できなかったら、婚活サイトに登録しようと思ってたもん。宿題とかも、早く終わらせた方が得でしょ。
――うーん、そのたとえでいいのか……? ご両親の反応はどうだったの。
妻 結婚を考えています、って言ったら「ええやん、ええやん」って。あっさりしてた。妹は、「へー」って言ってた。
――子供できた、って報告した時は?
妻 「おー、やったね」って言ってた。だから、「いえい!」って言った。へへっ。
――凄いバイタリティに思えるんだけど。自信がなくなることはないの?
妻 あるよ。藝大に合格したときも、結婚したときも、親になったときも、本になったときも、自分でいいのかな、自分なんかで大丈夫なのかな、っていうのは心のどこかでいつも思ってた。でも、ダメだったら退学させられたり、何かしらするだろうし。そうならないってことは、どうやらいいらしい……と。悪いことは、それが起きたときに考えようって思ってる。
――なるほど。
妻 へへっ。
――わかったような、わからないような。あなたは底知れない人だなあ……。
*
付き合って七年。未だに僕は、彼女のことがよくわかりません。とはいえ、そんな彼女が気になりつつ、いつも支えられているのも、また事実なのです。(にのみや・あつと 作家)