書評・エッセイ

2021年9月号掲載

現在も生き続ける「言論統制」の産物

里見脩『言論統制というビジネス新聞社史から消された「戦争」』(新潮選書)

有山輝雄

対象書籍名:『言論統制というビジネス 新聞社史から消された「戦争」』(新潮選書)
対象著者:里見脩
対象書籍ISBN:978-4-10-603871-6

『言論統制というビジネス』とは奇異なタイトルである。通常、言論統制とビジネスとはまったく相反するものであって、両者が交差するところはまったくないと考えられている。しかし本書を読み進んでいけば、著者の言わんとするところが分かってくる。言論統制とビジネスとは交わることのない平行線の関係にあるのではなく、互いに思いがけない引力が働き交差するのである。著者の里見氏が明らかにしたように、戦前期の日本のメディアの特徴はまさにこの二つが交差するところに形成された。そしてまた大きな変革・再編期にある現在のメディアをめぐる諸勢力の力関係を考えるヒントも示されている。
 本書の主人公である同盟通信社長・古野伊之助は、言論統制とビジネスの交差点に立って内務省・軍部・情報局・全国紙・地方紙・通信社といったそれぞれの強面の諸勢力を交通整理し、戦時メディア体制を形成するうえで大きな役割を果たした人物である。しかもその戦時メディア体制は現在のメディアの基礎となっているのである。
 しかし古野はメディアの世界の陰の演出者であったから彼の活動は当時においてもなかなか見えにくかったし、また表立った記録が残りにくい。しかし里見氏は丹念に資料を博捜し、印象的なエピソードを掘り起こし古野伊之助の人物像を描いている。既に里見氏はこの時期のメディアを制度・機構の観点から見た『ニュース・エージェンシー』や『新聞統合』といった研究を著しているが、本書では制度・機構といった地紋のなかで古野という人間を鮮明に浮かびあがらせているのである。
 そこに見えてくる古野伊之助という人物はなかなか興味深い。この時期の国際的通信社で活躍する人物は樺山愛輔、岩永裕吉、松本重治、松方三郎など多彩だが、いずれも名門の出身で、欧米の大学に留学し、欧米上流階級に多くの知己をもっている。それが彼らの国際舞台での活躍の武器であったのだが、里見氏も指摘している通り古野は苦学を経てAP通信に給仕として入社したのがジャーナリズムにかかわった最初である。そうした古野が新聞聯合、同盟通信社と巨大な通信社を作りあげるのに辣腕をふるい、メディア全体の実権を握っていったのである。そこには通信社が当時の国家的政策に乗って急速に膨張していく時代の状勢があったが、古野のようなたたきあげの人物でなければ軍人や官僚などと一筋縄ではいかない交渉を重ね、自社を拡大させることはできなかったろう。
 里見氏は古野伊之助と対照的な人物として読売の正力松太郎をあげている。これは鋭い着眼点である。どちらもこの時期に急速にのしあがった個性的メディア経営者であったが、里見氏は全国紙を私益中心に経営していった正力松太郎、地方紙を擁護し且つ公益を掲げる古野伊之助といった対立軸を設定し、二人の人物と時代の特徴を描いている。ここに言論統制とビジネスとの交点がある。どちらも言論統制に抵抗したわけではない。むしろそれを利用してビジネスを大きくしていった。ただそのやり方は異にしていた。正力は私益を前面に押し出して政府の統制に歯止めをかけて読売新聞社の権益を確保し拡大した。一方、古野は国益を掲げて全国紙を掣肘(せいちゅう)して地方での一県一紙制を促進し、地方紙を基盤に国家代表通信社を作ったのである。メディアが資本主義企業として成立しているこの時期、言論統制はビジネスと対立的であったのではない。逆に言論統制体制にビジネスを組みこんでいなければ言論報道の統制はできなかったし、またメディアは統制を組みこむことによってビジネスとして安定したのである。二人はそれぞれのやり方で統制とビジネスとを調整したのである。里見氏は言論統制の産物が現在のメディア業界でも温存されているのは、それがメディア自身が参加して作ったものだから「一定の合理性」をもっていると述べているが、まさにそこに言論統制とビジネスが交差する点がある。古野伊之助はそれを体現した人物であった。
 現在、様々な新しいメディアが登場し、また巨大なIT産業が出現してきているが、そこでの問題の一つは国の政策(統制)とビジネスとの新たな関係である。本書はこうした問題を基底的なところから考えるための多くの材料を含み、刺激的な一書である。

 (ありやま・てるお 元東京経済大学教授/メディア史研究者)

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