書評
2021年9月号掲載
こんなに孤独な主人公もいないだろう
ジョセフ・ノックス『スリープウォーカー マンチェスター市警 エイダン・ウェイツ』
対象書籍名:『スリープウォーカー マンチェスター市警 エイダン・ウェイツ』(新潮文庫)
対象著者:ジョセフ・ノックス/池田真紀子訳
対象書籍ISBN:978-4-10-240153-8
シリーズ三作目である本書に、
「この何年か、俺はこの街でいくつかの異なる人生を生きてきたが、同じ数だけ死んだような気がする」
という言葉があるのだが、主人公エイダン・ウェイツがこれまでこなしてきた仕事に、これ以上ふさわしい言葉もない。そもそも彼は“堕落刑事”の烙印を押され、警察上層部にとってのある種の捨て駒として、潜入捜査や法の外側の汚れ仕事をさせられてきたのだし、人生そのものがあまりにも侵蝕され、清濁併せ呑みすぎて誰も信用できず、つまり、すでに底なしの泥沼にはまっている。多くの警察小説とこのシリーズの決定的な違いはそこで、エイダン・ウェイツは事件そのものより大きなものと、つねに闘っているのだ。
とはいえ、もちろん一冊ごとに事件がある。今回のそれについてすこし書くと、十二年前、子供を含む三人もしくは四人(一人は遺体が発見されていないが、血痕が発見されている)を殺害した罪で服役中だった男が末期癌と診断され、病院に入院する。そこに火炎壜が投げ込まれ、男は無実を訴えながら死に、エイダンの相棒であるサティも瀕死の重傷を負う。死んだ男はほんとうに無実だったのか、だとしたら真犯人は誰なのか、病院に火炎壜を投げ込んだのは誰で、なぜか――。そこに、放火殺人犯の狙いはエイダンだったのかもしれないという説(その可能性はつねにある)も浮上し、事態は混迷を深める、というのがあらましだが、ここで私は、どうしてもサティについて言及したい。
シリーズの一作目から、エイダンとサティは夜勤のパートナー同士だ。共に出世から大きくはずれ、同僚たちにも疎んじられている。本書でも「他人を不愉快にさせる天才」と紹介されているが、これはかなり控えめな言い方だ。サティの言動には、不愉快を通り越していつもぎょっとさせられる。こんな人がほんとうにいるのか? とおののく。このシリーズにわかりやすい人間は一人も登場しないし、それがこの小説の大きな魅力の一つでもあるのだが、主人公を含めたすべての登場人物のなかで、もっとも不可解で共感し難いのがサティだろうと思う。勤務態度はとてもほめられたものではなく、誰に対しても無礼で、事件解決の役にほとんど立たない。それなのに、そのサティが本書のなかで重傷を負ったときの衝撃といったら――。憎めないとか、独特の魅力があるとかの話ではない。そうではなく、ともかくこの人はこの小説世界になくてはならない存在で、それはたぶん、作者の世界観と関係があるのだ。善悪にしても優劣にしても美醜にしても敵味方にしても、この世は何一つシンプルではないし、それどころか、基本的に不条理なのだ、というそれは世界観で、その不条理を見事に体現しているのがサティなのだろう。
今回、エイダンはそのサティ抜きで捜査にあたる。サティより数段有能な女性パートナーと組むのだが、例によって誰も信用できないエイダンは、彼女のことも(すくなくとも完全には)信用できない。でも誰が彼を責められるだろう。因縁の敵から執拗に命を狙われ、同胞とも言うべき人間から脅迫され、何者かの陰謀によって身に覚えのない罪を着せられかけ、最後の手段だった逃亡資金まで奪われて、エイダンは追いつめられに追いつめられる。こんなに孤独な主人公もいないだろう。警察組織が腐敗していて、刑務所が腐敗していて、社会システムが腐敗していた場合、犯罪者と公権力のどちらがよりおそろしいのか。
ところで、エイダン・ウェイツはすさまじい過去の持ち主でもあり(そのへんは、二作目『笑う死体』に詳しい)、この世でただ一人、妹を愛しているのだが、「パブで軽く引っかけるウィスキーも楽しみだし、帰り道、袋のなかで瓶がぶつかり合う軽やかな音も楽しみだ」という、およそエイダンらしからぬあかるく幸福な記述が本書にはあり、私はこの場面を読めたことが、心からうれしい。
(えくに・かおり 作家)