書評・エッセイ

2021年10月号掲載

中身のわからない“郵便物”

堀江敏幸『定形外郵便』

大竹昭子

対象書籍名:『定形外郵便』
対象著者:堀江敏幸
対象書籍ISBN:978-4-10-447106-5

『定形外郵便』とは風変わりな書名である。これを書いているいまはゲラで読んでいるので、本になった姿はまだ目にしていないが、これまでの著者の著作から想像するに、白地に題字と小さな装画があしらわれているのではないか、もしそうならば本の佇まいそのものが郵便物みたいだな、と思って読みはじめたところ、ほかならぬ内容こそが“定形外郵便物”なのに気がついた。
 まず文章のスタイルが定形の枠組から外れている。随想ふうだったり、掌篇小説ふうだったり、追悼文ふうだったり。テーマも多岐にわたり、著者の専門の仏文関係の作家が多く登場するが、おなじように日本の近代作家もたくさん出てくるし、物書きばかりではなく美術家や写真家の仕事にも触れ、同時に社会の動向にも視線をのばす。さながら形状の異なる郵便物のように封を切るまで中身がわからない。いや、開封してもまだ定かではなく、テーマを了解するのは最後の一行にたどりついたときだったりする。
「ミロと電話線」の一行目はこうだ。「かつて固定電話の回線を引くには、数万単位の権利金なるものを一括で納めねばならなかった」。ああ、たしかにそうだった、と持ち重りのする黒い電話機を思い出しながら読み進むと、下宿の話になる。学生時代、著者は下宿に電話を引いていなくて受けるには大家さんの家の電話を使わせてもらっていた。電話が掛かってくると大家さんの奥さんが敷地を横切り、下宿の二階の部屋まで「お電話ですよ」と知らせにくる。そのときの光景がすぐそばで足音が聞こえるように細かく描写されるが、その話の着地する先はなんと画家のミロなのである。
 不便が高じて二年目についに電話を引くことになり、工事人が来るのを待つのみという状況になったある日、クレーとカンディンスキーとミロを組み合わせた「なんとなく気恥ずかしい感じの展覧会」に立ち寄ったところ、彼は他の二人よりもミロの作品に惹き込まれる。
「瞑想と夢想の相異。瞑想にはまだ思考の翳りがあってどこかで醒めていなければならず、それには一心な集中が必要になる。他方、夢想には全身全霊をあげて思考の一点に向かう厳格さがないかわりに、ゆっくり夢のなかで遊ぶ力と余裕がある」。すなわち、「夢想はクレーにではなくミロの陽光に与えられる言葉だった」と彼は深く感銘し、酩酊状態で帰宅すると、留守中に電話の取り付けの人が来て困っていたと奥さんに告げられ、はっとして書類をたしかめると日付を勘違いしていたのだった。最後の一文は「四畳半に射し込む西陽がミロの太陽さながら赤く燃えて、手続きなるものが夢想とは相容れないことを、無言のまま教えていた」とあり、読者の脳内にもミロのあの濃密な赤色が明滅するのだ。
「仕事机の引き出しが開かなくなった」ではじまる「三角定規の使い方」も意表を突くような展開である。引き出しが開かなくなったのは定規の先端がひっかかっていたからで、解決した後、書きかけの原稿の上に定規をぽいと投げると、「つい数日前に会った人の顔がはっきりと目に浮かんだ」。とはいえ、その顔は現実の人ではない。クラーナハ展で見た神聖ローマ帝国皇帝カール五世の肖像画だったのである。図録を開いて三角定規を顔の左右に当ててみたところ、ぴたりと収まったというくだりには、私もその絵の画像をインターネットで検索して試さずにはいられなくなった。
「なにをどう書こうとしても、いま現在吸っている空気が言葉と言葉の隙間に入り込まないわけはない」(「傷つきつつ読みとったもの」)と著者は書く。そうであるならば、『芸術新潮』の連載をまとめた本書には、まさにその時々に吸い込んだものが染み渡っていることだろう。毎月おなじ頃になるとなにを書こうかと考え、今月の自分がどういう体験をしたか、なにを見聞きしたかを遡ってみる。その時間のなかから醸成された八十数篇は、ユーモラスな空気に満ちたものもあれば、自戒する厳しさがみなぎっているものもあり、社会情勢への懸念を忍ばせているものもある。そんな言葉の波動を感じとりながら、書かれたときの状況を想像してみるのも、『定形外郵便』を開封する愉しみなのだ。
 書名を眺めているうちに、以前、著者の『正弦曲線』を友人に贈ったときのことを思い出した。彼女が真っ先に反応したのがタイトルなのに驚いたが、思えば当然のことで、彼女は長いこと数学の教師をしていたのだ。同じように読書好きの郵便局員が本書を見つけたらどんな顔をするだろうと想像すると、ちょっと愉快である。

 (おおたけ・あきこ 作家)

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