書評
2021年10月号掲載
日本人の死体観
山田敏弘『死体格差 異状死17万人の衝撃』
対象書籍名:『死体格差 異状死17万人の衝撃』
対象著者:山田敏弘
対象書籍ISBN:978-4-10-334773-6
コロナ禍において日本人の死生観が問われている、などと書き始めるとお堅い言論誌みたいだが、人はいずれ死ぬ。死後のスピリチュアル的な話は置いておいて、死者の肉体は確実に生者のもとに残される。残った死体をどう扱うか。日本人の死生観というより死体観に向き合ったのが本書『死体格差 異状死17万人の衝撃』である。そしてタイトルから分かるように、死体の扱われ方には格差が存在する。「人には平等に死が訪れる」と言われるが、死体に関して平等はない。そしてそれは生きている人間にとってこそ大きな問題のようだ。
著者の山田敏弘氏は法医学の世界への誠実な取材に基づき、知られざる「死後の世界」ならぬ「死体の世界」に読者を誘っていく。
死体解剖保存法第20条には「死体の解剖を行い、又はその全部若しくは一部を保存する者は、死体の取扱に当つては、特に礼意を失わないように注意しなければならない」と書かれているという。法医学上求められる法医解剖の現場においては死者への敬意が尊重されている。ここら辺は日本人の死生観とつながる部分だろう。
2020年、日本では138万人以上が死亡した。病院で亡くなれば「普通の医者」の管轄になる。法医解剖の対象となるのは病院で死亡する以外の異状死である。2020年は17万人がそれに該当した。異状死はその死因究明がなされなければならない。が、現状はそれが正常に行われていない。東京では解剖率17・2%、つまり8割の死体は解剖せずに死因を決めている。広島ではなんと解剖率1・2%である。果たして日本は先進国なのか? と疑いたくなる事態が各分野で発生しているが、死体の解剖についても同様らしい。本書にはそれを指摘する印象的なエピソードが頻出する。特に驚いたのが、地下鉄サリン事件の被害者の司法解剖が行われた東大の解剖室には遺体からサリンを検知する機材がなかったという事実である。後に改善されたとしても日本で最高峰の解剖室にして……という絶望感は拭えない。設備的な問題だけではなく、異状死の扱いにおいて警察が大きな権限を持っていること、人員不足など構造的な問題が数多く列挙されていく。
一方で、その問題と戦う法医学者たちの存在が面白い。法医学者はよくドラマの主人公として描かれるが、それ以上に魅力的な人物が存在することを本書で知ることができた。彼らが魅力的なのは何故か? それはその能力の高さもさることながら、法医学の領分での科学的誠実さだろう。誠実さは頑固さと置き換えてもいい。彼らは巨大な敵を前にしても、法医学が導き出した答えを曲げることはしない。正にドラマの主人公さながらである。では彼らの「敵」とは何者だろうか? 本書の第二章の題は「捜査に都合よく使われる死因」である。警察は事件のストーリーを描く傾向がある。そのストーリーにとって不都合な解剖結果が出た場合、警察はそれを採用しない。本書には日本人の大多数が知っている有名な凶悪事件についての法医学的な「真実」が述べられている。感情を排し、知的に誠実であれば、その信頼性は高いと判断できるはずなので、ぜひ一読してほしい。だが、その「真実」は警察と、その背後にある世間の空気が醸成した正義のようなものによって法秩序から退けられた。客観的な科学と、主観的な感情のどちらによって、死者に対する敬意は守られるのだろうか。私はドラマの脚本家だが、書くなら前者を選ぶ。それは現実社会では稀な存在であり、逆説的にそこにこそドラマ的な魅力があるからだ。現実世界において心ある法医学者は絶望的な戦いの中にいる。そして、その戦いは一般人にとっても他人事ではない。異状死の解剖は犯罪性のあるものに限らない。公衆衛生上の問題、つまり新型コロナウイルスとそのワクチンの問題にも深く関わってくるからだ。例えば発症者の自宅療養中の死も異状死に含まれる。ワクチン接種後に病院以外で死亡すれば異状死だろう。さて、それらの死体は真っ当に平等に扱われているのだろうか? 本書で指摘されているコロナ禍以前からの構造的な問題が解決されているとは思えない。死体の扱いには格差があり、思惑のある生者によって描かれたストーリーに従い死因が都合よく使われているのではないか? 厚生労働省が発表する「因果関係は不明」という報告や、テレビや新聞に登場する権威ある専門家の姿勢に科学的誠実さはあるのか? 空気が醸成した正義によって死体の「真実」は蔑ろにされていないか? 今のところ本書に登場するような法医学者のコロナに対する見解は聞こえてこないが、感情や空気や権威に忖度することのない彼らの言葉を聞いてみたい。
本書によると検視官=コロナーの語源は「coron(王冠)」で、これは王侯貴族にとって死体にかかる税金が歳入源であり、死因が税収に関係したからだ。現代の王侯貴族が誰なのかは知らない。だが死因を金と結びつけて死体を扱う人間がいるとしたら、到底許されるものではない。
コロナ禍において日本人の死生観が問われている。そして「死体観」についても自問したい。本書はその最良の資料となる。著者の山田敏弘氏には続編として新型コロナとワクチンにおける死体の問題を取り上げることを期待したい。
(まの・かつなり 脚本家)
著者の山田敏弘氏は法医学の世界への誠実な取材に基づき、知られざる「死後の世界」ならぬ「死体の世界」に読者を誘っていく。
死体解剖保存法第20条には「死体の解剖を行い、又はその全部若しくは一部を保存する者は、死体の取扱に当つては、特に礼意を失わないように注意しなければならない」と書かれているという。法医学上求められる法医解剖の現場においては死者への敬意が尊重されている。ここら辺は日本人の死生観とつながる部分だろう。
2020年、日本では138万人以上が死亡した。病院で亡くなれば「普通の医者」の管轄になる。法医解剖の対象となるのは病院で死亡する以外の異状死である。2020年は17万人がそれに該当した。異状死はその死因究明がなされなければならない。が、現状はそれが正常に行われていない。東京では解剖率17・2%、つまり8割の死体は解剖せずに死因を決めている。広島ではなんと解剖率1・2%である。果たして日本は先進国なのか? と疑いたくなる事態が各分野で発生しているが、死体の解剖についても同様らしい。本書にはそれを指摘する印象的なエピソードが頻出する。特に驚いたのが、地下鉄サリン事件の被害者の司法解剖が行われた東大の解剖室には遺体からサリンを検知する機材がなかったという事実である。後に改善されたとしても日本で最高峰の解剖室にして……という絶望感は拭えない。設備的な問題だけではなく、異状死の扱いにおいて警察が大きな権限を持っていること、人員不足など構造的な問題が数多く列挙されていく。
一方で、その問題と戦う法医学者たちの存在が面白い。法医学者はよくドラマの主人公として描かれるが、それ以上に魅力的な人物が存在することを本書で知ることができた。彼らが魅力的なのは何故か? それはその能力の高さもさることながら、法医学の領分での科学的誠実さだろう。誠実さは頑固さと置き換えてもいい。彼らは巨大な敵を前にしても、法医学が導き出した答えを曲げることはしない。正にドラマの主人公さながらである。では彼らの「敵」とは何者だろうか? 本書の第二章の題は「捜査に都合よく使われる死因」である。警察は事件のストーリーを描く傾向がある。そのストーリーにとって不都合な解剖結果が出た場合、警察はそれを採用しない。本書には日本人の大多数が知っている有名な凶悪事件についての法医学的な「真実」が述べられている。感情を排し、知的に誠実であれば、その信頼性は高いと判断できるはずなので、ぜひ一読してほしい。だが、その「真実」は警察と、その背後にある世間の空気が醸成した正義のようなものによって法秩序から退けられた。客観的な科学と、主観的な感情のどちらによって、死者に対する敬意は守られるのだろうか。私はドラマの脚本家だが、書くなら前者を選ぶ。それは現実社会では稀な存在であり、逆説的にそこにこそドラマ的な魅力があるからだ。現実世界において心ある法医学者は絶望的な戦いの中にいる。そして、その戦いは一般人にとっても他人事ではない。異状死の解剖は犯罪性のあるものに限らない。公衆衛生上の問題、つまり新型コロナウイルスとそのワクチンの問題にも深く関わってくるからだ。例えば発症者の自宅療養中の死も異状死に含まれる。ワクチン接種後に病院以外で死亡すれば異状死だろう。さて、それらの死体は真っ当に平等に扱われているのだろうか? 本書で指摘されているコロナ禍以前からの構造的な問題が解決されているとは思えない。死体の扱いには格差があり、思惑のある生者によって描かれたストーリーに従い死因が都合よく使われているのではないか? 厚生労働省が発表する「因果関係は不明」という報告や、テレビや新聞に登場する権威ある専門家の姿勢に科学的誠実さはあるのか? 空気が醸成した正義によって死体の「真実」は蔑ろにされていないか? 今のところ本書に登場するような法医学者のコロナに対する見解は聞こえてこないが、感情や空気や権威に忖度することのない彼らの言葉を聞いてみたい。
本書によると検視官=コロナーの語源は「coron(王冠)」で、これは王侯貴族にとって死体にかかる税金が歳入源であり、死因が税収に関係したからだ。現代の王侯貴族が誰なのかは知らない。だが死因を金と結びつけて死体を扱う人間がいるとしたら、到底許されるものではない。
コロナ禍において日本人の死生観が問われている。そして「死体観」についても自問したい。本書はその最良の資料となる。著者の山田敏弘氏には続編として新型コロナとワクチンにおける死体の問題を取り上げることを期待したい。
(まの・かつなり 脚本家)