書評・エッセイ

2021年10月号掲載

エッセイ

入院すると背が高くなる

宇能鴻一郎

対象書籍名:『姫君を喰う話 宇能鴻一郎傑作短編集』(新潮文庫)
対象著者:宇能鴻一郎
対象書籍ISBN:978-4-10-103051-7

 七月半ば、横行結腸ガンとかで二週間入院した。手術そのものは痛くない。腰椎麻酔も腕の採血より痛くない。尿管挿入は親しい編集者が苦痛をうったえていたが、なんということはなかった。こちらの太さによるのかも。自慢しているのではないよ。
 それより苦痛なのは術後二週間の不自由な入院だった。傷跡はうごけば痛む。大谷選手の活躍だけが気分転換だった。彼の前世は宮本武蔵か。それは古すぎる。執筆中の新チャンバラ小説「新撰組」に適当な剣士はいないか。近藤勇は虎徹、土方歳三は和泉守兼定、いずれも二刀流ではない。沖田総司は都合により短期間、藤井総司と名乗らせて師匠を切らせるが、彼の剣技は三段一本突きで大谷の前世にふさわしくない。
 あきらめてチャンネルをかえてみると、こちらはオリンピックばかりだ。開催のいきさつもコロナにもかかわらず中止しないのも、日中戦争にひきずりこまれ、英霊に申しわけないとヒロシマナガサキに至った同調圧力と同じだ。歴史はくりかえす。最初は悲劇、二度目は喜劇(K・マルクス)。
 この弊害をなくすには同調圧力を二分するしかない。つまり自民党を二分する。
 と妄想はとめどないが、妄想を退院後の生ビールに切りかえることにした。しかし腹がたつことばかりだ。だいたい飲食関係の感染は数パーセントというではないか(米村滋人教授:「週刊新潮」8/5号)。そのうち酒由来はさらに少ないはずだ。映画、その他の集まりはいいのになぜ酒ばかりを眼のかたきにするのか。外食産業のグローバルダイニングは敢然とこの理不尽に法廷闘争をいどみつづけている。
 筆者が行った店も広い室内酒場で五人以上のグループはせいぜい一組だ。筆者は妻の運転で飲みに行っていたので、実質一人飲みだ。それもいかんというのか。怒りのあまり万葉集を改作した。

 あな醜(みにく)、賢ぶりすと酒停(と)むるやつらの顔は猿にかも似る

 身長は高校時代は一七二センチ。その後一七〇センチ、入院時一六八センチ。退院時なぜか一七〇センチ。寝ていたせいか。とにかく酒酒酒(生ビール飲みたい!)。

 退院してきたら新しい文庫本がとどいた。
 うれしい。何しろ芥川賞の「鯨神」は前の文庫から四十年たっている。内容も徹底的な校正を経て満足すべき決定稿となった。
 それにしても火付け盗賊改めならぬ徹底した矛盾撞着改めにはおそれいった。
「すでに二隻の小舟は巨鯨に粉砕された。残りは○隻。なのに○隻残っているではないか。男たち○人死んだ。なのに○人残っている。数があわぬ。返答はいかに」。税務署よりきびしい。おかみにもお眼こぼし、お慈悲はあるが、新潮校正にお眼こぼしお慈悲はない。
 と、校正者が出てくるわけではないが、まさに検事並みの秋霜烈日ただおそれいるしかなかった。そのおかげで申し分ない仕上がりとなった。
 カバーも素晴らしい。まさに宝石箱だった。中身が宝石とはおこがましいかもしれないが、それだけの愛着があると思ってもらえたらありがたい。
 著者写真だが十年前の今より髪の毛のあるのを恐る恐る提出したらパスした。調子にのって六十年前の髪ふさふさのを提出したら即時却下となった。これは芥川賞祝賀会の写真で、今初めて告白するが結婚披露宴を兼ねていたのだ。
 当時自分は飢えて孤独な狼だった。妻の実家に結婚を納得させるために少しでも既成事実を積み重ねる必要があった。しかしあまり披露宴ぽくなってもまずいので親族は妹一人しか呼ばなかった。教授、助教授は全部呼んだ。妻は緊張してグラスをかたくつかんでいるのが写真にのこっている。その後六十年こちらもかたくつかまれてきた。勝手に披露宴もさせてもらって文春には感謝の言葉もないが、だからと言って絶対文春にしっぽはふらなかった。それを意識するあまりかみついたりした。実に若気のいたりだった。
 母親は呼ばなかったが会場の前まできて入れてくれといった。つらかったが断固拒否した。
 結婚披露宴ぽくなりすぎるし、一家そろって文学賞受賞を喜ぶのはみっともないと思ったからだ。
 つらい思いを抱えてきたない間借り部屋に帰ると、上京いらいのボロフトンがあたらしくなっていた。さすがに胸キュンとなった。筆者がこの時泣いたと新聞に書かれたが、絶対泣かなかった。六十年後の今こそ訂正する。ぜったい泣かなかったぞ!

 (うの・こういちろう 作家)

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