書評
2021年11月号掲載
見えない問題集
片寄涼太・小竹正人『ラウンドトリップ 往復書簡』
対象書籍名:『ラウンドトリップ 往復書簡』
対象著者:片寄涼太/小竹正人
対象書籍ISBN:978-4-10-354271-1
五十代半ばになり、改めて思ったことがある。
「この世に出してもらった親に習うことは死に方。生き方は他人から学ぶもの。生き方を教えてくれた人もまた、親」
本書は親子ほども年の離れた男性ふたりの、往復書簡である。
奇しくも新型コロナウイルスが世間を揺るがす前に企画されたものだという。緊急事態宣言という聞き慣れない言葉に戸惑う人の姿ばかりがテレビに映り続けた時間、会えない・会わない時間の交流手段になった手紙の束には、単独エッセイにはない、ふくよかな言葉のキャッチボールがあった。
静かな部屋で指先からひとつぶずつ言葉をすり落としてゆくような、切実さと正直さ。そこには「伝える」というシンプルな欲求が往復する。
読んでいるあいだ、普段から裡にあった「人と群れずにいる時間に人は何を見つけるのか」という自身の問いにあっさりと「自分」という答えが出た。
ふたりの手紙には、それくらい生真面目な問いと答えが綴られている。
時はコロナ禍。二十代半ばの片寄氏が等身大の言葉を連ねてゆくなかで、背伸びしたり、反省したり。そのみずみずしい心に力を得て綴られる文章は、無意識にせよ意識的にせよ、自らが生き方を学んでいる小竹氏への問いになる。
問われた小竹氏も、対等な場所に立ち正直に返事を書く。二週に一度、誰かに心を込めて手紙を書く、という行為はもう――送信ボタンひとつで取り返しのつかない人間関係を生む時代にとって――己をひっくり返して隅々まで眺めるくらいの貴重な時間だったに違いない。
ここ十年という短さのなかでさえ通信手段の変化は著しい。今思ったことを打ち込み送信すれば、すぐに返信が来る。こんな時代が来るとは思わなかった。その反面、既読に変わってからの放置時間で関係をはかるという新たな「人間関係の手引き」も生まれた。結果、すっかり返信を焦る癖がついてしまうように。挙げ句「よく考える」ことを手放して、相互理解に瞬発力だけを求めるようになってはいないか、と自問する日々が訪れた。いったい私は何に怯えているのか。
手紙のやりとり――いいなあ、これ。
しみじみとした「読む喜び」のある手紙には、思いやりと緊張感がある。知り合って十年という関係が綴らせる文章には、気恥ずかしさと反省といった感情のおまけもついてくる。お互いのことをよく知っているからこそ、更に知り合う手段として「手紙を書く」という行為はもう、時代を一周回って新しい。
作詞家、作家――表現者として時代を牽引してきた小竹氏が「人間って、その人が生きる年月と同じ分くらいページ数のある『人生の問題集』を神様から渡されているのでは」と綴る。
人は目に見えない問題集を抱えながら生きる――大きく頷いてしまうページの角を、私は迷いなく折った。
そして、その問いに対して片寄氏も真摯に答える。
「自分の人生が問題集だったとしたら? それを渡してくれる神様は本当に僕を楽しませてくれる存在だなあと思います」
二週間という時間を与えられた、アナログの為せるわざだろうか。問われて、考えて、答える。この繰り返しのなかで培われてゆく関係は、湿ったり乾いたり、とても尊い。
やはり「生き方」というのは他人から学ぶものなのだろう。本というのはしみじみいい媒体だと思う。読んだあとも目の前から消えない。背表紙が目の端に入るたび、ふたりの「今日」に思いを馳せることができる。立ち止まって空を仰ぐことを許してくれる。
人を思う、尊い一冊だった。
(さくらぎ・しの 作家)