対談・鼎談

2021年11月号掲載

北中正和『ビートルズ』刊行記念対談

なぜビートルズだけが別格なのか?

ピーター・バラカン × 北中正和

解散半世紀を経ても衰えぬ人気。新潮新書『ビートルズ』を上梓した音楽評論家の北中正和さんと、1960年代をロンドンで過ごしたピーター・バラカンさんが、その謎について語り合った。

対象書籍名:『ビートルズ』(新潮新書)
対象著者:北中正和
対象書籍ISBN:978-4-10-610922-5

バラカン(以下、バ) まず北中さんがビートルズに関する本を書くとは夢にも思っていなかったので、正直びっくりしました。

北中(以下、北) 友だち全員からそう言われてるんです(笑)。

 僕も最近、イヴェントとかでビートルズを語ることが結構あるんですよ。なぜなんだろう、よくわからないんですけど。でもさすがに、本を書くにあたって、ずいぶんビートルズを研究しましたね。参考文献は、この本を書くために読んだんですか? それとも全部読んでました?

 読んでいたものももちろんあるんですけど、今回初めて読んだもののほうが圧倒的に多いですね。僕自身が1960年代に少なくともヒット曲はリアルタイムで聴いていて影響も受けたし、いつか機会があればビートルズについて何か書いてみたいなという思いはあったんですね。最初、「ニューミュージック・マガジン」という雑誌で働き始めたころは、ロックとポップスの知識しかなかったので、ロックの原稿はいっぱい書いていたんですよ。90年代以降はワールドミュージックの仕事の方が多くなったんですけど、ビートルズへの関心はずっと持っていた。けれども改まって書く機会がないなあと思っていたんです。でも21世紀に入ってから、昔聴いていたロック系のアーティストが次々に亡くなったり、あるいは自分の年齢を考えると、自分もいつ死ぬかもわからない。

 僕もそういう話をしたばかり(笑)。

21世紀版のビートルズ論

 で、生きているうちに機会があったら書くのもいいなあと思っていたのが一つですね。それと自分の中でビートルズの印象が鮮烈だったのはやはり60年代なので、ビートルズというと真っ先に60年代のことが頭に浮かぶんですけど、当時はハンター・デイヴィスが書いた伝記の本くらいしか読んだことはなかったし、その後随時新しい情報は入ってきましたけど、そんなに丁寧には追いかけてなかったので、自分自身のビートルズへの関心が20世紀のどこか途中で止まっている感じもあったんですよね。で、今の時代の情報でビートルズを聴き直してみたらどんな風になるか、21世紀版の自分のビートルズの認識をまとめたらどうだろうかなあ、みたいなことは思いました。それといっぱい本がありすぎて、入門書的なものがあまりないと人から言われたことも念頭にはありました。

 確かに入門的な本はあるにはあるだろうけど、何を入門的というかでしょう。いまは、かつて誰も知らなかったようなことがどんどん明らかになったり、いろんな関係者が語ったりするから。僕個人のことを言うと、『サージェント・ペパーズ』以降、ビートルズに少しずつ興味を持たなくなったんです。最初に知った時の印象が一番強いから、それが一番心に深く残っているのかもしれませんね。だから僕にとって「プリーズ・プリーズ・ミー」だったり「ツイスト・アンド・シャウト」だったり、あの初期から中期が一番好きで、ビートルズの音楽の幅が一気に広くなった時に、すでに違うタイプの音楽を聴くようになっていたんで、興味があまり持てなくなっていた。今聴くと、また全然違う大人の感覚で聴くことはできますけど、でも10代の感覚っていうのは抜けないんだな。北中さんはどうなのかな。

 最初の頃はすごく面白いロックのバンドっていう感じですよね。それで、シングルが出るごとにどんどん新しい感覚のものが出てくるし、複雑になっていく。ビートルズの成長と、自分自身の成長が、ちょっと重なり合うような感じがあったので、『サージェント・ペパーズ』までは文句なしに面白いなあと思いましたよね。ただ、『マジカル・ミステリー・ツアー』とか『ホワイト・アルバム』になってくると、幅が広がりすぎて、ちょっと焦点を絞りにくいなあという感じはあったんですけど、興味はずっと持ってました。

リヴァプール訛りは関西弁?

 ビートルズがデビューしたころのイギリスは、ラジオで映画音楽とかスタンダードなんかが掛かっていた時代です。突然出てきたビートルズを聴いて、「なんか違うなあ」という印象を持っていたけど、あっという間にラジオ、雑誌、テレビを席巻して、出すものは全部1位。63年にはヨーロッパを完全制覇してしまいました。

 ビートルズはイギリスの北の方からやってきたバンドですが、田舎っぽい感じはなかったんですか?

 ありました。北中さんも本で書いていましたけど、リヴァプールというところはイングランドの北西部で天気は悪いし寒いし、僕は行ったことがなかった。北部って言うと、あまり行きたいとも思わない暗いイメージがあったんです。ところが、一夜にしてというか、ビートルズの異常なほどの人気でそれががらりと変わったんです。まだロックという言い方がないような時代だけど、ロックンロール的な音楽をやるイギリスの人はみんな、アメリカの発音を真似してた。中途半端な真似だったりするんだけど。でもアメリカっぽく歌わなければカッコ悪いというイメージがあった。そうじゃないことをやったのは、たぶんビートルズが初めてじゃないかな。ビートルズがいきなりリヴァプール訛りで、それも丸出しで、最初はえっ、ていう驚きがあった。

 しゃべりだけじゃなくて、歌の中にもそういうアクセント、訛りがあったんですか。

 そうね。しゃべるときほどではないかもしれないけど、かなり強かった。それが、彼らの存在がカッコいいものだったから、急に地方訛りがカッコいいことになっちゃったの。

――それは日本語で言うと、関西弁なのか東北弁なのか、どうなんでしょう?

 何弁なのかなあ……。

 関西弁というと、やはりお笑いのイメージが強くなっちゃいますよね。九州から来た鮎川誠さんが博多とか久留米の言葉をずっとしゃべっていて、そんなニュアンスかなあなんて思ったりもするんだけど。

 うーん……、日本の特定の地方には当てはまりにくいんだけど、要するに「田舎者」。当時の感覚で言うとね。

 日本でビートルズが出て来た時、インタヴューでの受け答えが面白いという評価がありました。

 当時のイギリスというのは、労働者階級の人たちが突然主役になるという時代だったんですね。そういう時期だから、ああいう生意気な受け答えをして僕らの世代に受けた、というところはあったと思います。

 ピーターから見てカッコいい受け答え? それとも気負っている感じ?

 いや気負っている感じは全然しない。イギリスの労働者階級の人たちって、ああいう結構イキのいい受け答えをするものなんですね。でもテレビのインタヴューに対してはどうかなあ。ビートルズのどこが一番救いだったかというと、下手に生意気なことを言うと、性格次第で嫌われることも当然あるんだけど、彼らの場合は「徹底的に憎めない」んです(笑)。なんかどこかかわいい。あのジョン・レノンの例の、宝石をじゃらじゃら鳴らしてちょうだいっていう、あれはねえ、普通だったらもう絶対に言えないコメントだけれども、あの時代だからかもしれないけれども、言われた皇太后だったかな、も笑ってるんですよね、客席で。

 ですよね。

 余裕があるっていうのも、当時のイギリスのいいところだったかもしれない。

 あんなことを言うのも勇気がいることですよね。

 言った時のジョンの表情もまた面白い。あー、なんかまずいこと言ってばれちゃったみたいな。そこがまたジョンの憎めないところでね。

 キャラクターもスターになる上では重要ですよね。理屈だけじゃなくて。

 そうだよね。しかもジョン一人じゃないからね。本でも書いてたけど、あの4人が1つのユニットになってて、バンドだからあそこまで行けたんだな。

「レヴォリューション」の真意

 11月に映画『ザ・ビートルズ:Get Back』が公開されるので、5分くらいの映像が宣伝で流れてますけど、ご覧になりました?

 観ました。すごく興味を持ちましたね。かつては『レット・イット・ビー』として公開された69年のゲット・バック・セッションが、今回は『ザ・ビートルズ:Get Back』として公開されるわけですが、あの映画を観たときに何も面白くなくて、なんか暗い感じのものだし、これは観たくなかったなあと思ったくらいだったから、もう一度観たいと思ったことはなかった。それが今回、えっ、こんなに違うのって思うくらい、本当にびっくりしましたね。6時間あるっていうから、観るのも大変そうだけど、でも、どういう内容なのか興味があるな。

 僕は『レット・イット・ビー』を観た時に、確かに口げんかするシーンとかもあったんですけど、まあいろいろ演奏場面が観られたのが楽しくて、それほど暗い印象は受けなかったんですよ。

 そうかそうか。もしかしたら僕の記憶が偏っているかもしれない。

 でも暗い印象を持った人が多いですよね。

 うん。やっぱりブライアン・エプスタインが死んで、ちょっと方向性を見失ってビジネスもうまくいかなくなって、いろんな問題があったから、ゲット・バック・セッションももう一度原点回帰のつもりでやってたわけだからね。まあ、でも結局あそこまで成長したバンドが原点回帰はできないということになったんですね。そういうものなんだね。

 音楽的にも人間的にも成長を続けていったら戻れないですよね。

 そうそう。でもファンにはそれがわからない。自分ももちろんそうだったんですけど。今この年になると音楽聴いてて、もっと距離ができるっていうかね、客観的に物事を考える余裕が出てきたのかな、ようやく。

 当時は音楽にまつわる情報がイギリスでも少なかったかもしれないけど、日本ではもっと少なかった。そのぶん想像を膨らませて過大な期待を、夢を抱いたこともあった。それが楽しかったんですけどね。音楽が本当に未来を創る手立ての一つになるかもしれない。ディランを聴き、ビートルズを聴き、ストーンズを聴き、ジミ・ヘンドリックスを聴いていると、幻想を抱くなというのも難しいですよね。

 そうだよね、幻想だと思ってなかったからね。本当に音楽で世界を変えられるって言って、みんな本当に思っていた。でもね、あの時代をリアルタイムで生きた僕らの世代は、北中さんはどうかわからないけど、いまだに僕はどこかそういう甘い理想が、残ってるんですよ。捨てられない。捨てきれないっていうのかな。それでいいとどっかで自分も思ってます。

 どこかでそういう気持ちは持ち続けてますよね、みんな。日本は60年代後半、学生運動が過激になったんですけど、イギリスとかロンドンは当時どうだったんですか。

 えーと、一部でやってましたね。僕はちょっと若くて、参加しなかった。北中さんは参加してました?

 デモを見に行ったりするくらいで、ヘルメットをかぶって何かをやったというわけではないんですけど。

 たしかに、なんかあんまりそういうタイプには思えない(笑)。

 ただ、それを抑圧する機動隊を見ると、やっぱりひどいなーと思いますよね。

 あの様相はねえ、テレビのニュースで日本の学生と機動隊のぶつかり合いを見て、ものすごくびっくりしたのを覚えている。えっ、学生ここまでやるのかって。

 僕が大学を卒業するときに、大学が全学ストライキになって、おかげで卒業研究もしないで出られたんですけど(笑)。ストーンズの「ストリート・ファイティング・マン」とか、ビートルズの「レヴォリューション」があった時代ですよね。「レヴォリューション」でジョンが言っている〈革命に名を借りて何か権力欲を満たすみたいなのには俺は与(くみ)しないよ〉っていうのは、激しい運動をやっている人が、必ずしも正義のためにやっているとは限らないということですよね。冷めた目で見ているけれども、世の中変わってほしいという思いもあって、そういう気持ちと共鳴する音楽としてビートルズやなんかを僕は聴いていた気がするんです。学生運動をやっている人たちが本当にビートルズを聴いていたかというと、日本では多くはなかったと思いますね。

 うーん。日本に来て初めて知った話だけど、ビートルズが来日した時に、教育委員会が各地で子供たちがコンサートに行かないようにしていたとか、いや、それはちょっと本当に驚きでしたね。あの、髪を伸ばすことが不良だみたいなのは、たぶんイギリスでは数か月で終わっちゃいましたね。もうみんなが髪を伸ばし始めたから。

 日本では70年代初めくらいまで髪を伸ばすのは変だと言われ続けました。

 そうね、僕が日本に来てみんなによく言われたのは、日本は70年代に入ってロックが初めてリアルタイムで紹介されるようになったって。あ、なるほどな、やはり社会が違うんだなっていうのは、それで意識させられた。

音楽の間口の広さ

 今回の本を書くにあたって、忘れていた曲も含めて、いろんな曲を聴き直したんですけど、すごく印象的な曲をたくさん作ったグループだなあと、ありきたりな印象ですが、確認したところもありましたね。だから時代を超えても受け入れられるのかなあと。

 本にも書いてあったけど、本当に音楽の間口が広いんですよね。彼らが作った曲のカヴァーがものすごく多いでしょう。しかもあらゆるジャンルでのカヴァーがあって、どんな編曲をしてもちゃんと生きてくる曲がすごく多いと思う。それは、彼らが元々たくさんのいろんなタイプの音楽を聴いていたからかもしれないね。

 それを担っている土台の部分がみんな広いからということなんでしょうね。マーク・ルイソンの大著『ザ・ビートルズ史』で初めて知ったんですけど、ジョンの友達が、アメリカ大使館からレコードなんかを借りていて、カントリー・ブルースとか、そういう古いものまで聴いていたそうです。

 へー、ジョンの若いころを描いた『ノーウェアボーイ』っていう映画の1シーンで、ジョンが盗んだレコードを持ってて、それがクソだって言って、友達と交換するんだけど、交換して友達からもらうのがスクリーミン・ジェイ・ホーキンスの「アイ・プット・ア・スペル・オン・ユー」なんだよね。あれはフィクションなんだろうけど。ちょっといいタッチだなあと思って。カントリー・ブルーズまで聴いてたんだ。デビュー前でしょう?

 そう、アマチュアの頃ですね。

 あの時代、ああいうレコードはほとんどないはずですよ。カントリー・ブルーズって言ったら、ロバート・ジョンスンの、ジョン・ハモンドが作った最初の『キング・オヴ・ザ・デルタ・ブルーズ・シンガーズ』は61年発売だけど、イギリスでその時代に出てたかなあ? ほとんど誰も知らないと思う。あと、ブルーズマンの再発見が本格的になるのは、63、64年くらいだからね。
 60年代の初頭だったらライトニン・ホプキンズが町のレコード屋にちょこっとあったり、あとジョシュ・ワイトのことも書いてましたっけ? あれはジョージが聴いてたのか。フォーク・リヴァイヴァルの延長線上に、割と白人に聴かれていた人だから、彼のレコードはちょこちょこってありましたね。ジョンは、ブラインド・ウィリー・ジョンスンを聴いていたとも書いてあったけど、そんなのをもし聴いていたとしたら、どうやって知ったんだろう、びっくりしますね。

変わり続けること

 時代を軸にしてビートルズが次々に何をしていったかというのは割とよく書かれて知られている。でもそういう本を今書いてもしょうがないと思う。書き手の独自の観点をもって書いてこそ、今読んでもらえるものなんだろうと思います。この本はカリブ、インド、アフリカの人たちとか、そういう英米以外の音楽の要素とビートルズとの接点が良く出ていて、そこが面白いと思います。あと、北中さんが自分の頭の中で推測している部分があって、そこも妙に面白い。ちょっと穿(うが)ちすぎかもしれないとか書いてるんだけど、でも、ああいうのを読むと自分も普通考えないことをちょっと考える。そういう面白い刺激があちらこちらにある。

 僕が60年代にビートルズに学んだことは、変わり続けるというか成長し続けることの面白さだったんです。成長できたかどうかは全然心もとないんですけど、変わり続けるのは興味の対象にしてもそうですし、ほとんど自分の性格のようなものですね。この年で勉強して、知らなかったことを知るのはずいぶん刺激になりました。これは高齢化時代の時間の過ごし方のヒントになるぞという感じで(笑)。

 でも、本の一番最初に、なぜ彼らだけが別格なのかっていう問いがあるけど、そこはまだ謎が残るよね。

 まあ、謎を考え続けるのが楽しみでもあり、その手がかりにしていただければ幸いなんですけど(笑)。


 (ピーター・バラカン ブロードキャスター)
 (きたなか・まさかず 音楽評論家)

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