書評・エッセイ

2021年11月号掲載

分断を抱えながら手を伸ばす

アリ・スミス『冬』(新潮クレスト・ブックス)

藤野可織

対象書籍名:『冬』(新潮クレスト・ブックス)
対象著者:アリ・スミス/木原善彦訳
対象書籍ISBN:978-4-10-590175-2

 この小説は「神は死んだ。」という聞き慣れた一文からはじまり、続いて恋愛物語(ロマンス)や騎士道からインターネットやSNSに至るまで手当たり次第に死の宣告を下すが、その怒濤の勢いは身に覚えのある快楽を呼び覚ます。安全なところから(安全だと思っているところから)、そうだ、なにもかも死んだ、もう手遅れなのだと思うこと。それはつまり自分が優位に立っていて、物事を見通す賢さを持ち、その上なにもしなくてよいということである。シニカルなその断章を経て提示される物語は、しかしそんな快楽に浸るためのものではない。
 物語は2016年のクリスマスイブの朝からはじまる。とはいえ状況はクリスマスイブの朝と聞いて連想するようなすがすがしさからはかけ離れている。コーンウォールで一人暮らしをしている元実業家のソフィアは、明らかに問題を抱えている。しかしそれに対処するために訪れた眼科医は何の役にも立たず、取引のある銀行では若い銀行員は不毛な会話を吹っかけるばかりで現金の引き出しもできない。
 いっぽう彼女の息子アートも問題を抱えている。政治的信条のちがいから恋人シャーロットと決裂し、ツイッターを彼女に乗っ取られてしまったのだ。シャーロットはEU離脱の国民投票以来、分断されてしまった国民の怒りをイギリス政府が政治利用していることに危機感を感じている。そもそもそれ以前から、政治は利権の道具に成り下がっていると彼女は訴える。彼女は現在の政治で取りこぼされ不当な目に遭っている人々、脅かされている地球環境にいちいち共感し、腹を立てる。しかし、アートはそうではない。自己責任、という言葉を彼は口にする。イギリスに住むイギリス人であり、シスジェンダーでヘテロセクシャルの男性であり、大企業から収入を得つつネイチャー・ライターとしてそこそこの読者を獲得している彼は、「政治的なことは苦手なんだよね」と言う。「僕がやってることは本質的に、政治とは無縁」だと。シャーロットが彼のツイッターアカウントを炎上させた結果、「おまえが女なら、今頃は殺人予告を送っていただろう」というリプライが来るが、彼はそれが政治的な問題であることも自分が当事者であることも理解しない。それよりも彼にとっての一大事は、クリスマスに恋人を連れていくと母に告げてしまったことだ。彼は寒空の下バス停に3時間も座り続けていたピアスだらけの女の子に声をかけ、シャーロット役に雇って実家に連れて行くことにする。アートからしてみれば、ずいぶん年下の女の子だ。二十歳そこそこで、名前はラックス。ソフィアの具合がよくないことから、三十年来不仲の彼女の姉アイリスも呼ぶ羽目になり、コーンウォールのソフィアの古い屋敷で束の間、四人が顔を突き合わせて時間をともにすることになる。
 ソフィアがアイリスと不仲なのは、アイリスが警察からも目をつけられている過激な政治活動家であるせいだった。彼女はごく若いころから家族の戸惑いと怒りをものともせず、仲間とともに人生をまっすぐに政治活動に捧げる。あんなのはよそで起きている話ではないかと疑問を呈する妹に、彼女は言う。「でも、ここで起きても不思議じゃない」「ていうか、“ここ”って何か教えてほしいわ。どこも“ここ”でしょ?」。それは時空を超えてアートに、そして本書を読んでいる私たちに突きつけられる言葉だ。私はアートが目の前にしていながら見過ごしているいくつかのことに、アートよりは少し早く気づくことができる。けれど、私自身が目の前にしていながら見過ごしているいくつものことは? 実際、この世の中にはひどいことが多すぎて、すべてに気を配りすべてに怒りを表明するなんて不可能だ。私は、私こそ切り離すことに長けていることに気づく。もしかしたらソフィアが抱えている問題は、そのことを指し示しているのかもしれない。はじめからソフィアには、切断された頭部の幻影がつきまとう。彼女はそれをときには邪険にしつつも慈しむ態度を見せる。頭部は物語が進むにつれて次第に変化し、実在の彫刻家バーバラ・ヘップワースの作品へと変質していく。バーバラ・ヘップワースの彫刻は、ソフィアにとっては若いころの秘密の愛の象徴であり、同時に次世代に引き継がせたくないと願う暗い歴史の象徴でもある。
 ソフィアとアイリス、アートは、ラックスの飾らない率直なふるまいによって家族のつながりを回復していく。同時にラックスの、「今までに目にした中で、いちばん美しかったもの」の話は、分断し、分断されることに慣れ切った私たちへの答えともなっている。それは、外国の図書館に所蔵されている古い本のページに残されていた薔薇のつぼみの痕跡だ。アートがわずかなヒントからそれを探し当てるとき、もはや痕跡でしかないその小さなつぼみの茎が必死に文字へと伸びる姿は、本書が私たちへと向けて伸ばす手と重なる。さまざまなレベルでの分断を抱え込みながら、それでもあきらめずに手を伸ばすのだと、伸ばされたこの手を取ってほしいと、本書は呼びかけていると私は思う。


 (ふじの・かおり 作家)

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