対談・鼎談

2021年11月号掲載

『イノセント・デイズ』50万部突破記念対談 前篇

物語における「救い」とは

早見和真 × 長濱ねる

『イノセント・デイズ』の大ファンという長濱ねるさんを迎えて対談が実現。
作家が執筆中に叫ぶ瞬間、女子高生がアイドルを目指した時、そして物語における救い――。
初対面の二人の対話が予定時間を大幅に超えて盛り上がったため、2号連続でお届けします!

対象書籍名:『イノセント・デイズ』(新潮文庫)
対象著者:早見和真
対象書籍ISBN:978-4-10-120691-2

長濱 仕事で「おすすめの本」を聞かれることが多いんですけど、私は百発百中で『イノセント・デイズ』と答えています。二日、三日落ち込んで、余韻に引きずられちゃうような本が好きなんです。『イノセント・デイズ』は、最後まで救いのない感じが、とても深みがあっておもしろかったです。

早見 ありがとうございます。

長濱 でも、早見さんがすごくお話ししやすい雰囲気の方でびっくりしました。

早見 小説家として、僕は自分をニセモノだと思いすぎているくらい思っているんです。そのせいですかね。

長濱 ニセモノ? 小説家じゃないということですか?

早見 はい。僕は人間としては傲慢だと思うんですけど、書き手としては謙虚というか、「本来、表現していい人間なのか」という思いが常にあるんです。小説家という立場になって、自分を分析していきますよね。そうすると、たぶん僕は空気を読むことに長けているんだと思うんです。

長濱 私、マネージャーさんに「長濱さんは空気を読むことは長けてる」と言われたことがあって、今ちょっと似てると思っちゃいました(笑)。

早見 長濱さんのエッセイ(「夕暮れの昼寝」、「ダ・ヴィンチ」連載中)を拝読して、まさにその部分を感じました。あえて偉そうに言いますけど、長濱さんは、空気を読んだ上で「どう振る舞うか」よりも、「緊張する」とか「照れくさい」という気持ちの方が勝っているように感じたんです。その結果、エッセイにも書かれていたように、「内心、何考えているかわからない」と人に言われるんじゃないかなって。

長濱 丸裸にされてる気がする(笑)。

早見 やっぱり文章って隠せないと思うんです。僕は文章がいちばん人となりを表現するものだと思っていて。

長濱 メディアのお仕事をする時に、ちょっと猫をかぶっちゃう自分もいるんです。そうしているうちに、自分が思っている自分像とどんどん乖離していくのが嫌で、「文章だったら本当の自分を書けるかもしれない」と思って、エッセイを書き始めたんです。でも、心のどこかに、「本当の自分をわかられてたまるか」という気持ちもあって(笑)。だから、いま、早見さんがおっしゃった「内心、何考えているかわからない」というのは、褒め言葉として受け取りました。

早見 だけど、やっぱり行間からは隠せない何かがにじみ出ていると思うんです。それも含めて「隠せない」と。その意味で、長濱さんはたぶん、女の子っぽいところは見せたくないんだろうなって感じました。その結果、エッセイの中に「ハイボール」とか「サウナ」というキーワードが強く入ってくる。

長濱 私、幼い頃から「ぶりっこ」と言われることが多くて、そう言われるのがすごくトラウマだったんです。だから、わざとガサツに見せようとしてるところがあって、でも、そういうところを隠そう隠そうとしているので、今、すごく恥ずかしいです(笑)。

早見 やっぱり「文は人なり」ですよね。長濱さんは、隠せない何かがにじみ出ている文章を書かれる方なので、だからこそすぐにでも長いものを書いたらいいんじゃないかなと思います。

〈以下、『イノセント・デイズ』の結末に触れる箇所があります。未読の方は次の※※※印からお読みください〉

長濱 早見さんが小説を書くときは、まずプロットを作るんですか?

早見 作品にもよります。『イノセント・デイズ』は、主人公の田中幸乃を生かすか殺すかを考え抜くことから始めました。「どういう読後感にいたるか」というゴールを決めるまでは、一文字目を書けませんでした。

長濱 『イノセント・デイズ』は、どうしてあの結末にしたんですか?

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早見 ひとつは、僕自身がこれまでニュースで見た容疑者のことを「当然、裁かれてしかるべきだ」と決めつけてきたんじゃないか……という自分に対する刃があったんです。みんなが当たり前のように「凶悪犯だ」と思っている人に対して、「本当に凶悪犯なのか?」と立ち止まる視線が、読者にも伝わるといいなと思ったんです。もうひとつは、長濱さんの意見の否定になってしまうかもしれないんですけど、あのラストにこそ、救いを感じ取ってくれる読者がいたらいいな、と。

長濱 あの結末だからこその救いということですか。

早見 はい。あの結末こそが、田中幸乃が唯一、自分で願い続けて手にしたものだという……。

長濱 ああ、なるほど! すみません……めちゃくちゃ浅はかな読み方で。

早見 とんでもないです(笑)。

長濱 「救い」という言葉が、すごく腑に落ちました。あのラストこそが田中幸乃の光であったと。

早見 そういう捉え方もできるんじゃないかと思うんです。僕自身は、誰か身近な人が自分で命を絶ったら打ちひしがれてしまう人間だけれども、でも、それも生きていく上での選択肢のひとつかもしれない。もしかしたら、最後に解き放たれて、笑顔で死んでいく人だっているんじゃないか、と。

長濱 そうですよね……。

早見 『イノセント・デイズ』を読んで、「自殺を思いとどまった。死ぬのはまだ早いと思えた」と言ってくれた高校生がいたんです。それを知った時は、何か伝わったのかなと思えました。

「救い」のある物語

早見 長濱さんは、どんなタイミングで『イノセント・デイズ』を読んでいたんですか?

長濱 私は高校2年生の時に上京して、一人暮らしを始めました。アイドルという仕事も特殊だし、この業界もすごく特殊で、言われたことに一個一個疑問をもってモヤモヤしてしまっていて。でも、私が自分で飛び込んだ世界だし、自分はまだ10代だし、大人の言っていることだし……。そんな風に、解決できずに、消化できないままでいました。
 そんな時に『イノセント・デイズ』を読んでいたので、「死」とか「生きる」とか、「人から見られている自分と本当の自分の違い」とかが、すごく鮮烈に、ダイレクトに伝わって来たんだと思います。最後の結末を読んだ時には、家に友達がいたんです。

早見 親友の「おーしゃん」?

長濱 なんでわかるんですか!?

早見 エッセイに「おーしゃん」がいっぱい出てくるから(笑)。

長濱 (笑)。その時の私は、「幸乃さんを救えなかった……」という視点で読んでいたので、落ち込んで泣いてしまいました。そうしたら、おーしゃんが「その結末、救いあったの?」って言ったんです。それまで、「救いがある」「ない」という感覚で本を読んだことがなかったので、「この本の救い? あったの? ないの?」って、すごく考えた覚えがあります。

早見 いまのお話もそうですけど、『イノセント・デイズ』って、しんどい時に読んでくれた人に、ちゃんと届いている本なんです。でも一方で、僕と担当編集者の中には、「生きることなんて、しんどいに決まっているんだから、せめて物語の中ぐらいは、『ああ、楽しかった』というゴールにたどり着かなきゃいけないんじゃないか」という気持ちもあって。その意見については、どう思いますか?

長濱 う~ん……。でも私は、『イノセント・デイズ』にすごく救われたので。ということは、「ああ、良かった」という終わり方じゃなかったからこそ、私にはすごく響いたと思うんです。あの結末が幸乃さんを救うことだったという早見さんのお話は、いま、時を超えてしっくりきました。

早見 そうなんですよね。「救いのない物語だ」と捉えた長濱さんが救われてくれているわけじゃないですか。そこにはすごいパラドックスがあって。だから、言葉ではなくても読み取ってくれている部分があるのかもしれない。

長濱 論理的に頭で考えるよりも、心に届いてたってことですかね。

早見 そうだと嬉しいなって思います。

※※※

早見 長濱さんは何を求めてアイドルに応募したんですか?

長濱 「東京に行きたい」という気持ちがあったんです。

早見 大前提としてあったのが「東京」ということ?

長濱 はい。私は田舎に住んでいて、校則の厳しい公立の進学校に通っていたんです。スカートは膝下何センチとか、土日は毎回模試がある……みたいな学校でした。私はその頃、空港で働くグランドスタッフになりたくて、専門学校のオープンキャンパスにも行っていたんです。でも、進路相談でそう言った時に、もう言語道断みたいな感じで。

早見 「大学に行け」と?

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長濱 はい。そこで糸が切れちゃいました。なんで毎日こんなに必死に勉強してるんだろうって。そんな時に、オーディションがあったんです。〆切りの最終日に書類を送りました。親にも秘密で。

早見 「ここから逃げたい」という気持ちがあったんですね。

長濱 それもあったのかもしれないです。でもやっぱり、負けず嫌いな部分もあるので、オーディションが進んでいくうちに、「絶対アイドルになりたい」と思うようになりました。

早見 それが高校2年生の何月ですか?

長濱 2年生の6、7月ですね。

早見 もうしっかりおじさんになった僕からすると、「あと1年半の辛抱じゃん」ともいえる話ですよね。

長濱 そうなんですよね。でも、キツかったですね。それなのに、思い出としては、キツかったことを思い出すんですよね。

早見 よくわかります。僕は私立の桐蔭学園という高校出身で、校則が厳しいことで有名だったんです。僕はそれに大反発してました。だけど、いまになって桐蔭学園の「主なOB」を見ると、多方面ですごくおもしろいんです。あの環境から出るべくして出ている感じがして。

長濱 ぎちぎちの中でフラストレーションがたまった分、突拍子もない方に行きますよね。

早見 長濱さんも、もし自由な学校だったら、オーディションを受けてなさそうですもんね。

長濱 そうかもしれないですね。もし私が東京にいたら、今の道には進んでなかったと思います。

小説を書いて満たされる瞬間

長濱 早見さんは、「書く」ということがしんどくなったことはありますか。

早見 書くことは、常時しんどいです。何をしているよりもしんどい。

長濱 それでも、職業としてやっている責任感が勝つということですか。

早見 いや、責任感とかはないですね。願いはあるんですけど、僕なんかが書いたもので、どうにかなるとも思っていないので……。だけど、自分に対して期待しているんですよね、たぶん。

長濱 めちゃくちゃわかるかもしれないです。

早見 小説を書く行為って、人と会わないし、自分と対話し続けるし、伝えたいことが100あるくせに、3とか4しか書けないし……。だから、書くことは才能のなさを自分に突きつけていく作業だと思っているんです。

長濱 そうなんですか。

早見 それでも、本が売れた時でもなく、映像化された時でもなく、著名人におすすめされた時でもなくて、唯一、脱稿する時、書き終えた瞬間のエクスタシーってちょっと異常なんです。

長濱 誰かに称賛されるよりも、書き終えたことが気持ちいいんですか。

早見 はい。最後までたどり着いた時の……あれは、なんなんですかね。「うひょー!」って言いますね、一人で。

長濱 あはは(笑)。

早見 「うひょー!」という話でもなかったはずなんですよ。それまで、人が生きるか死ぬかを書いてきたのに。

長濱 なのに、「うひょー!」(笑)。

早見 本当に、深夜に部屋の中にこだまするんですよ。その瞬間にしか、本当の意味では満たされていないなぁ、と思うんです。

長濱 でも、その満たされたのも、そんなに長くはもたないということですか。

早見 もたないんです。だけど、自分が期待するいつかの自分に、一歩近づいたような感覚はあるんです。

言葉に傷つけられた経験

長濱 小説家になれるとは思っていないですけど、小説家という職業にはすごく興味があって、私も書いてみようと思ったことがあるんです。一人で歩いていたり、なにかの状況に置かれている時に、「あ、小説みたい」とか「物語みたいだな」と感じることが多くて。それを書きたいと思うんですけど、どんなゴールに向かって、誰に何を伝えていいのかがわからなくて。

早見 僕は逆で、伝えたいことが一個あるんですよね。その伝えたいことが、たとえば標語みたいに、「目に見えているものが正解ですか」と書かれていたとしても、僕にはただの記号、情報としてしか伝わらないんです。だけど、物語という形を借りることによって、その一文を書いてないのに伝わることがあるんですよね。

長濱 うん、うん。

早見 じゃあ、どういう物語の形を借りればそのメッセージはいちばん届くのか……ということを、あの手、この手でやり続けている気がします。

長濱 本当は50文字ぐらいで収まることを何万字もかけて……。

早見 はい。だから、現代的じゃないし、効率の悪いことをしている感覚もあるんですけど、そうじゃないと人には伝わらない、とも思っているんです。長濱さんのエッセイにある〈得体の知れない大きな大きなブラックホールのようなものに飲み込まれそうで、必死に何かにしがみ付いていた〉という表現なんて、まさに小説だと思いました。

長濱 ホントですか?

早見 すごくイメージがわいたし、長濱さんは小説を書いているんだなって。

長濱 自分の心の中をどう表現するかが、色とか映像で浮かぶんですよね。その映像を描写した、という感じです。

早見 でも、小説を書くことって、その繰り返しだと思うんですよね。風景の描写と、心の描写と、人物描写と。

長濱 嬉しい。ありがとうございます。

早見 長濱さんが小説を書く人なんだろうなと感じたもうひとつの理由は、言葉に対して慎重なんですよね。たぶん、言葉に傷つけられた経験がすごくある人なんだと思うんです。

長濱 それって生まれつきなんですかね。過敏に深読みしちゃうというか……。

早見 僕も生まれつきだと思っているんですけど、小説家になってからその傾向がより強くなりました。でも、誰かの迂闊なひと言に傷つけられてなきゃダメだ、という気持ちもあるんです。そうじゃないと、自分が傷つける側に回ってしまう気がして。

長濱 すごくわかります。こういうお仕事だと、「もっと端的に言ってください」とか、「ひと言でまとめてください」と言われることが多いんです。それで、あきらめました。それは自分でもすごく寂しいし、そうすることによって、どんどん言葉を忘れていく気がして……。

早見 僕は小説家って、きわめて不器用な人が多いと思っているんです。まさに、伝えたいことをひと言で言えない人たちが集まってるに決まっていると思ってる。でも、それだけの時間、読者に付き合ってもらって、もし伝えたかった何かがちゃんと伝わるのであれば、それは幸せなことじゃないですか。だから、すごく幸せな仕事をさせてもらっているなと思っています。

[後篇に続く]


 (ながはま・ねる タレント)
 (はやみ・かずまさ 小説家)

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