書評
2021年11月号掲載
新潮文庫「重松清の本」フェア 記念エッセイ
「最泣」って、「さいなき」でいいのかもね。
一九九一年の作家デビューから三十年。小説をはじめ、ジャンルの垣根を越えて数多の作品を世に送り出し続けてきた作家がつづる、本をめぐる熱とは――。
対象書籍名:『ビタミンF』
対象著者:重松清
対象書籍ISBN:978-4-10-134915-2
二〇一六年から期間限定で大学の教師をしている。最初は三年の任期だったのだが、やってみると楽しくてしかたなく、そもそもの契約にはなかったゼミまで開講し、任期の延長も繰り返して、今年で六年目――つい先日、さらなる任期延長の書類に署名捺印をして、二〇二五年まで「先生」と呼ばれる立場にいることになった。
で、その大学のゼミ生の一人が、今年(二〇二一年)三月、「先生、ネットに出てましたよ」と教えてくれたのだ。学生と付き合うようになって、「ネット」と「出る」という組み合わせには過敏に反応してしまう。なにかやらかしてしまっただろうか、昔のあれこれが表沙汰になったのだろうか……。
ドキドキしながら詳細を尋ねると、幸い、炎上系の話ではなく、拙著『ビタミンF』が文庫版刊行から十七年をへて、なぜか売れてきている……というニュースが出ていたというのだ。
さっそく記事を読んでみると、新潮社の営業部員のAさんが、販促用のパネルをつくってくれたのが契機だという。
新刊書店でバイトをしている別のゼミ生も話に加わって「さいなき、って帯に書いてましたよ」と教えてくれた。
さいなき。なんだ? それ。
Aさんがつくったパネルや帯にはこんな惹句が躍っていたらしい。
〈涙腺キラー・重松清 最泣の一冊 100%涙腺崩壊!〉
どうも、我が教え子は、「最泣」を「さいなき」と読んでしまったようだ。たぶん違うと思うぞ、これは「さいきゅう」なんじゃないかな、オレも見たことのない言葉だけどさ……。
そういえば、ゼミ生ではないが、ジャーナリズム演習の授業を取ってくれた学生の一人は、小学生の頃に初めて知った「重松清」を、ずいぶん長い間、「おもまつ・きよし」だと思い込んでいたらしい。いいんだよ、べつに。オレも若い頃は柄谷行人を「がらや・こうじん」、唐十郎を「とう・じゅうろう」と読んでたタコ野郎だったんだから。
まあ、とにかく、Aさんががんばってくれたのだ。営業部員の仕掛けた動きが、みごとに実を結んだのだ。
しかし、なぜ、『ビタミンF』を――。
くだんのネットニュースには、Aさんのコメントも載っていた。
〈入社当初、20代の頃に『ビタミンF』を初めて読んだときは正直あまりピンと来なかったのですが、40歳を迎えて改めて読むと、涙が止まりませんでした。それは主人公が今の私と同年代だからです。仕事も家庭もピリッとせず、何とも中途半端な年代。コロナによる閉塞感も重なったのかもしれません。今の自分と重なる部分ばかりで、気が付くと山手線を一周して涙が頬を伝っていました。この気持ちを誰かと共有したい!と思い立ち、もう一度仕掛けることを提案したんです〉
照れ隠し九割で意地悪に言えば、「入社当初からピンと来てくれよなあ」となるのだが、Aさんの「熱」は、ほんとうに、うん、ほんとうに、うれしかった。
活字がらみの仕事で四十年近くもメシを食っていれば、本を読者に届けるためになによりも強いのは、かかわってくれた人の「熱」だというのは、よーくわかっているつもりだ。
ただ、自分はそういう「熱」(=偏愛でもいいのかな)を、若い世代にはあまり持ってもらえないタイプの書き手だろうと思っていた。残念だけど、しかたない。なにしろ、ある学生が言った。「重松清って、受験をすれば漏れなくついてくるから、しかたなく読まなきゃいけないんですよ」――消費税かよ。
そんな自分の作品を応援してくれた営業部員がいたのだ。で、そのAさんの「熱」がしっかりと書店でお客さんに伝わって、雑誌掲載時に遡れば二十二年前の、まだ作中にスマホが登場しない古くさいお話が、新しい読者と出会うことになったのだ。書き手として、こんなに幸せなことがあるだろうか。
Aさん、ほんとうにありがとうございました。「最泣」の読み方はまだ僕にもわかりませんが、とにかくお礼を言わせてください。
さらに、思う。このささやかな(地味な作家の地味な本が地味に復活しただけだからね)成功体験が、Aさんの――そして、本にかかわるさまざまな立場の、すべての若い世代の勇気につながると、いい。
たった一人の「熱」がつくった新しいパネルや帯が、書店に強い磁力を生んで、オワコン(この言葉も学生との付き合いで覚えてしまったよ)同然だった拙著を二〇二一年の「いま」に再投入してくれた。じゃあ、その「熱」があれば、あんな本も、こんな本も……。
新潮社には伝説の名コピーがある。伊坂幸太郎さんの『重力ピエロ』(二〇〇三年刊)の〈小説、まだまだいけるじゃん!〉――ほんと、いいなあ。それをもじって、Aさんに感謝を込めて捧げよう。
営業部員の「熱」、書店の棚の持つ磁力、まだまだ、まだまだ、もっともっと、いけるじゃん!
(しげまつ・きよし)