書評

2021年12月号掲載

ダブル書評! 子どもの脳を育てるには

アンデシュ・ハンセン『最強脳 『スマホ脳』ハンセン先生の特別授業』刊行記念特別寄稿

和田孫博、柳沢幸雄

対象書籍名:『最強脳 『スマホ脳』ハンセン先生の特別授業』(新潮新書)
対象著者:アンデシュ・ハンセン/久山葉子訳
対象書籍ISBN:978-4-10-610930-0

文と武は分かちがたい

               和田孫博
       灘中学校・灘高等学校校長

 私が校長を務める灘中学・高校の創立には嘉納治五郎先生が深く関わっています。先生は「柔道の父」としても知られますが、東京高等師範の校長を長らく務め、教育者としても高名です。先生は「文武両道」を超えた「文武不岐」や「文経武緯」という言葉を残しておられます。どちらも、「文と武は分かちがたいものだ」ということです。本書を読んでまず想起したのはそのことでした。
 本書が伝えたいことはきわめてシンプルです。
 運動が脳の力を伸ばす、ということです。具体的には、集中力や発想力、記憶力などといった能力はどうすれば伸ばせるのか。そうしたことをやさしく説明していて、説得力があります。
 思えば、本校は発想力や集中力、爆発的な瞬発力に優れた生徒が多いのですが、7割近くが運動部に所属し、陸上や水泳ではインターハイ選手も輩出しています。柔道が必修ですし、教育方針にも、運動の奨励を挙げています。
 もうひとつ想起したのは、いま教育界でよく話題になる「ソサエティ5・0」です。これは内閣府が提唱している新しい社会像なのですが、簡単に言えば、狩猟社会を「ソサエティ1・0」とすると、農耕社会、工業社会、情報社会に次ぐ5番目の社会、仮想空間と現実空間が高度に融合された社会なのだそうです。
 いわば、デジタルとリアルが同居する社会なわけですが、そこで活躍するためには、デジタルな知識と健全な身体が必要でしょう。しかし、本書を読んで思ったのは、なるほど、社会は変化し、技術も進化するでしょう。しかし、脳というのは狩猟時代から変わらない――そのことを忘れてはならないのだなということでした。
 もちろん、灘でも中学生全員にパソコンが配付されています。校内Wi-Fiも整備されています。校内へのスマホ等の持ち込みも禁止していません。道具として便利ですし、今後も使われ続けるでしょう。
 ただ、いかに便利ではあっても、いかに道具の進化が進もうとも、私たちはそれらと「狩猟時代の脳」で付き合っていかなければならない。
 スマホをはじめとするデジタル・デバイスによって、現代の子どもたちにある種の依存症や睡眠障害が広がっている現状があります。そんな時代を生きる子どもたちに、またその親たちに、どうやって状況に負けず脳の力を伸ばし、「ソサエティ5・0」を迎えるか、そのためにも読んでもらいたい一冊です。


 (わだ・まごひろ)

厳しい時代に求められること

               柳沢幸雄
 北鎌倉女子学園学園長、開成学園前校長

 ヒトの脳は、サバンナで暮らしていたときからほとんど進化していない、と本書は書きます。
 私の専門は環境学ですが、なるほどな、と思いました。
 本書ではドーパミンという、脳に「ごほうび」として働く脳内物質に触れているのですが、スマホやデジタル・デバイスを操作することでもこれが分泌されます。
「サバンナ脳」しか持ち合わせぬわれわれが、このドーパミンに過剰に晒されればある種の中毒症状を呈します。ましてや脳が未発達な子どもや若者はどうなってしまうのか。
 私が校長を務めていた開成中学・高校でも、一時期、ゲームなどによって生活や睡眠のバランスが崩れ、登校できなくなる生徒が一定数、出たことがありました。その対策として、私は合格者説明会で、4月に入学する生徒に「ゲームやスマホは夜9時まで」と言うようにしていました。開成は生徒の自主性を重んじる学校ですが、まずはゲームでもなんでも時間で区切ってみることが、自律、ひいては自主性の発揮に到る、と考えていたからです。
 それを思えば、ハンセン氏が住むスウェーデンは冬の夜が長い。寒ければ子どもも外で遊ぶ機会が減るでしょう。そこにゲームやスマホ、SNSが加われば、運動不足、睡眠不足、それに伴う心の不調が自然に増加することになります。著者の危機感は当然です。だからこそ運動の重要性を説く――というのは、私の経験からもうなずけます。
 開成は入学以前、それも10歳になるまでに、充分に運動をしてきた子が多い。特に水泳やサッカーなど、左右対称な動きをするスポーツです。東大でも、入学者の6割がスイミングスクールに通っていたという調査があります。こうした点からも、本書の内容には納得させられます。知性の発達と運動、さらに言えば芸術活動に相関があることは、長年、教育に携わってきた者としては実感のあるところだからです。
 特に、私が教えていたハーバード大学では、入学に際してその3つを重視します。面白いことに、東大でもピアノを習っていた学生がおよそ半数だそうです。開成でも、中学1年でピアノを、3年でギターを学ばせます。おかげで高校ではバンドが何十組と結成されるのですが。
 今の世界は、若者たちに厳しい時代に向かっているように私には思えます。脳を鍛え、知性を磨くことで、新たな時代に立ち向かって欲しい――そう思いました。


 (やなぎさわ・ゆきお)

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