インタビュー
2022年1月号掲載
『ミトンとふびん』刊行記念特集/著者インタビュー
長い時間の蓄積のなかで
対象書籍名:『ミトンとふびん』
対象著者:吉本ばなな
対象書籍ISBN:978-4-10-383412-0
――『ミトンとふびん』には6篇の短篇が収められており、どの作品にも、たいせつなひとの死、癒しがたい喪失を抱えながら生きていくさまが描かれています。それは、デビュー作「キッチン」や「ムーンライト・シャドウ」から一貫して書き続けていらしたことであるように思うのですが、どういうところから生まれてきたのでしょうか。
時間が流れるということをずっと書いてきたことが、大きいかもしれません。時間の流れを書く場合、短い期間を鋭く切りとって生きることを描くか、長いスパンで時間が流れていることを描く、ふたつのやり方がありますが、私は長い時間の流れのなかで見るほうなので、そうすると、その間に誰かがいなくなってしまうのはどうしても避けがたいことなのだというのは実感としてあります。
あとは、もともと旅があまり好きではなくて、できれば家の近くにいたいといつも思っているんですけど、やむなく旅に関わらざるをえない人生になってきて、その蓄積が今回かたちになったのがいちばんうれしいところです。
――ヘルシンキ、ローマ、台北、香港、金沢、八丈島と世界各地が舞台になっています。吉本さんにとって、小説を書くことと旅は切り離せないものなのでしょうか。
海外に出版社がありますからね。そればかりは自分にはどうすることもできないので。いまも半分くらいは仕方なく行っているところがあります。
――舞台となる場所は、どのように選ばれたのでしょうか。
これまでの旅の経験の蓄積で把握できたなと思えるところですかね。読む人が読めば、一回行ったのか、十回行ったのかがわかってしまうと思います。
――そういう意味では、ローマと台北はその土地に親しまれていることがとてもよく伝わってくるように感じました。
そうですね。どちらも行き慣れていて、理解していることは多いと思います。ローマがそんなに特別いいところかといったら、そうでもないんですけど、やっぱり好きですね。
――ひとつの短篇のなかでも、どこかで起こったことがめぐりめぐって目の前の景色を変えていく。ドラマチックというのともまた違って、しずかにダイナミックに展開していくところに真実のようなものがあるように感じました。
それはやっぱり蓄積が大きいのだと思います。旅した場所をそのまま書くのはある意味簡単なんです。取材をもとに小説を書くのがルポのようなものだとしたら、今回はそうではなくて、何十年もかけた蓄積のなかからしか拾い出さなかったというか。蓄積があるんだけど、それを全部書かないことが逆に深みを生む、そういうところにテクニックを使ったような気がします。それは二十代ではできないことなので。
――蓄積があるけれど、その蓄積をあえて書かない。
作中の人物たちは年代的にまだあまり蓄積がなくて、人生が定まる前の年齢の人ばかりを描いているので、自分の経験との差がうまく出るように、すごく気を遣いました。
――あとがきに『デッドエンドの思い出』以来の新たな到達点となる作品になったとお書きになっていたのを印象深く思いました。
ずっと旅ものを書いてきて、常に取材感があるのが否めないのが悔しいところで、取材感のない旅ものを書きたいという思いがありました。今回ようやく自分が思っていたものに近いものが書けたので、もうここで終えてもいいのかなと。『デッドエンドの思い出』を書いたときにも、そう思ったんです。いまはこれ以上は無理だろうなって。
――30年以上書き続けていらして、その間に変わり続けているもの、また変わりなくあるものがあったら、お聞かせいただけますか。
変わらないことは、時間の流れをなんとかして書こうとしていること。それは最初からずっと同じテーマなように思います。変わったのは、経験が積み重なり、自分で経験していないことでもしたかのように書けるようになったこと。以前は露骨に取材して書いていたことも、長い時間の蓄積のなかで、実際に取材しなくても、想像で書くことができるようになったのがいちばん変わったことじゃないでしょうか。
――書けることが広がってきていると言えるのでしょうか。
絞り込まれてきているとも言えるし、書きたいことがあれば知らないことでも書けるようになったんだと思います。
――同時代を生きているひとたちにとって、吉本さんの作品がともにあることを心強く思っている方は多いのではないかと思います。
はじめに世の中に出たときにすごく売れて、多くの人に会いたいと言ってもらって、すばらしい体験をたくさんしたんですけれど、この人にはちゃんと伝わっているなと思える人がその頃からずっと変わらずいることが大きくて。小泉今日子さんとか。そういう人が30年以上も一緒にいるというのは、やっぱり確信に変わるので。それは若いときにはわからなかったけれど、届くところには届くんだな、こちらの感覚があっているんだな、と自信を持てたのが、長くやってきてよかったな、と思うところです。
(よしもと・ばなな 小説家)