書評
2022年1月号掲載
ぼくたちは未熟で不器用で、それでもどうにか前を向く
ブレイディみかこ『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー2』
対象書籍名:『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー 2』
対象著者:ブレイディみかこ
対象書籍ISBN:978-4-10-101753-2
わあい、「ぼくイエ」パート2が出たぞ、と早速ページをめくろうとして、おっといかん、と自らを戒める。いつの間に、「ぼくイエ」だなんて短縮形で呼ぶようになっていたのだ、わたし。
2019年にこの本のパート1が出版されて、新聞広告で見たタイトルがなんと秀逸なんだろうと興味を持って読み始めた。やさしい言葉でとんでもなく深いことが書いてあるなあ、と感動していたら、あれよあれよという間に大ベストセラーになり、賞をたくさん取り、著者のブレイディみかこさんはテレビでもしょっちゅうお見かけするようになった。「ぼくイエ」ブーム到来。人の名前も、テレビドラマのタイトルも、流行りのスイーツもすぐに短縮して呼ぶ、マスコミがやりそうなことだ。短縮して、口当たり良く流通させて、すると人々はその言葉の意味を知ったような気になって、その内側を考えなくなる。思考停止。危うく今回も、乗せられるところだった。
なんたってタイトルが秀逸なのだ。『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』。
人に向かってイエローとかホワイトとか、あまり言うべきではない時代だ。ブラックは、もっと難しい。時と場合によっては、言ってはいけない。アフリカ系と言い換えたりする。それも、どうなんだろうと思うけど。何世代も前からヨーロッパに住んでいて、全然アフリカ系のつもりのない人たちもいるだろうし。そもそもブラックと呼ぶのが憚られるようになったのは奴隷制度を起源とする蔑みの感情が思い起こされるからであろうが、だったらアフリカ系と言い換えても同じことだ。
どんなに言い換えても、人種は人種だ。その違いは無くならない。皮膚や髪の色だけじゃなくて、骨格とか筋肉の質とか、得意な運動とか不得意な食べ物とか苦手な病原菌とかがあって、それぞれ生息域に適応してきた。違うから驚きがあって、違うから面白い。衝突が起きるからといって呼び方を変えても、違いがなくなるわけではない。
長くなってしまった。タイトルだ。『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』。大人たちが小手先の言葉遣いでうわべを取り繕っている間に、ぼくは軽やかに宣言する。ぼくはぼく自身であってそれは誰かに評価されたり何かにカテゴライズされることではない。まっすぐ、ありのままに。こんなに深い意味を持ったタイトルを流行りのスイーツみたいに短縮して呼ぶなんて、愚かなことだ。
人種の問題。格差と貧困の問題。性自認や性的指向の問題。ぼくたちの周りには、なかなかにワイルドな状況が出現する。それは外国の、ちょっと田舎のそういう地域だからでしょ、って考えてはいけない。わたしたちの周りも本当はきっと同じようにワイルドなのだ。だけどいろいろなことが、わかりやすくするために短縮されて、みんなわかったようなつもりになって、でもどうせ遠い異国の出来事だからさ、と扉を閉じてしまう。見たくないものを見ないようにしても、それは存在しないことにはならない。給食で食べ残したパンを、教室の机の奥に突っ込んでおいて、そのうち片付けなきゃと思っているうちにカビだらけになって、机ごと処分できないだろうかとうろたえている小学生みたいに。
ブレイディ家の母と息子は、パンを机の上に出してきちんと見つめる。なんの先入観も持たずに、どんなパンが、どうしてここにあるのだろうと、よく考える。「誰かのことをよく考えるっていうのは、その人をリスペクトしてるってことだもん」と言いながら。そしてよく考えた上で、自分はあんまり好きじゃないなとか、もう少し味見してみたいかも、とか、自分なりの感想を抱き、それに従って行動する。母子がちょっと行き詰まっていると、父が柿の種をボリボリつまみながら、いいかげんに見えて絶妙な助け舟を出したりする。ナイスな連携プレー。
それにしても彼らの机の上の問題は複雑すぎて、簡単に結論は出ない。それでも良いのだ。現実を醒めた目で見つめて冷静に受け止めること。波風が立つならそれはそれ、波風が立つ日常というものを体験すること。そうやって、「迷いながら手探りで進んでいくしかない」。
ブレイディみかこさんはわたしよりひとつ年上だ。同世代としてとても親近感を覚える。母親として、子供の学校行事のお手伝いをしたり、部活の応援をしたり、ってところも共感する。だけどわたしは、みかこさんのように政治とか社会問題というところに目を向けてこなかった。労働党と保守党の政策の違いと言われても、一体なんのことやら。異国で子育てをするにあたって、ダイレクトに暮らしに影響がある政治情勢に関心を持つのは必然であった、としても(みかこさんにとって英国は、もはや異国ではないのかもしれないが)。ものを知らないまま子育てをしてしまったなあ、と反省する。そして残念ながらわが娘たちはもうティーンエイジャーの域を脱してしまった。20年前にこの本を読んでいたかったなあ。ごめんよ。娘たち。後悔しつつ、それでも立ち止まるよりは、この本をお手本に「迷いながら手探りで進んでいこう」、と思う。
若い友人が、出産のため九州のご実家に里帰りしている。無事赤ちゃんが産まれたら、『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』2冊を贈ろうと思う。
(すずき・ほなみ 女優)