書評・エッセイ

2022年1月号掲載

「なんなんだ、山上たつひこって」

山上たつひこ『王子失踪す』

萩尾望都

対象書籍名:『王子失踪す』
対象著者:山上たつひこ
対象書籍ISBN:978-4-10-354351-0

 山上たつひこを最初に読んだのは月刊誌「COM」だったと思う。難しい話だと思った。
 次の出会いが「週刊少年マガジン」の『光る風』である。これは恐ろしい話だった(1970年4月26日号~11月15日号掲載)。
 国家の権力こそが正義。この正義の暗部をえぐったSFである。ディストピアはSFの定番の設定だった。ジョージ・オーウェルの『1984年』やオルダス・ハクスリー『すばらしい新世界』、どれもショックだったが『光る風』は生々しいインパクトがあった。舞台は日本、親世代が体験した戦争の記憶が引き継がれていて、60年代の学生運動の熱気も加わり、暴力が、服従が、涙が汗がツバキが温かい内臓が、絡み合ってべったりと押し寄せてくる生々しさである。怖かった。しかし、時々笑えるのである。超エリートのお高い六高寺光高(ろっこうじ・みつたか:名前からして高い)にお調子者の森安(もりやす:名前からして安い)が「慢性便秘に腸捻転をおこしたみたいな顔しやがって!」と突っ込むと笑えるのである。この言葉で慢性便秘の大腸のビジュアルが医学的に想起され、そこに腸捻転という回転を加えると、ハンサムな六高寺光高がシリアスに説教するたび、(この顔は慢性便秘に腸捻転をおこした顔なのか)と、そのギャップにワナワナと頬が震えるのである。なんなんだ、山上たつひこって!
 少しの間、山上たつひこを見失った。どこにいる?と思う矢先に情報が来た。「『週刊少年サンデー』に山上たつひこの『心』が載っているぞ」(1971年1月17日号掲載)、友人は興奮してセリフと人物を身振り手振りで説明する。「言わないで。私、今から買って来て読むから」と止めても喋る。「あのね、これまでと全然違うんだ、俺は『光る風』を期待したのに違うんだよ、きっとあなたはショックを受けるだろうから、お勧めしないよ」。おい、そこまで凄いと言って読むなというのか。
 すぐ「心」を読んだ。これが! そこにはワナワナと頬が震えたあの感覚が破天荒に満載されていた。ギャグである。コメディである。不条理である。名付けようがない。半裸の男たちの狂乱のページを見つつ、「しかし山上たつひこって品がいいなあ」とつくづくと思う私は変なのか?
 ほどなく「週刊少年チャンピオン」に『がきデカ』の連載が始まる。私も私のスタッフたちも(皆、乙女である)毎号夢中で読んだ。1巻目の単行本が発売されて本屋に買いに行くと売り切れだった。私が発売日に初版を買いに行って「売り切れです」と言われたのは『がきデカ』と『ちびまる子ちゃん』だけである。あとで秋田書店の編集者から「あんなに売れるとは思わなかった」と驚きの声を聞いた。ええっ、そんなに読めないものか。「週刊少年チャンピオン」の、読者のお便り欄にはあんなに小学生からの熱いエールが届いていたのに。「こまわりくん(がきデカのこと)が僕のクラスにいればいいのに」と、よく手紙が来たと、編集者が言っていた。私は「全国の小学校に一人ずつこまわりくんを配置したら、学校が楽しくなるだろうな」と想像した。「死刑!」と暴走する小学生警官は、現実にいたら困り者だろうけれど、体制を破壊するものは常に期待される。規律に理不尽さや暴力が加わると忍耐と苦痛が生じ、強い子はいじめに走り弱い子は自殺する(こともある)。学校生活を我慢している小学生にとってこまわりくんは救い主なのだ。やがて遅まきながら、単行本の『喜劇新思想大系』『半田溶助女狩り』などを読む。ギャグとエロの大波小波に乗りつつ弄ばれつつ、やはり「山上たつひこは品がいいなあ」と思う私は変態なのか?
 ところで、山上たつひこはあるときからエッセイや小説を書き出した。文章を読むと「言葉」が洗練されていて品のない話もやはり品がいい。今回の「王子失踪す」を初め、この短編作品はどれもホラーである。実は私は、ホラーが苦手なのである。特に恐ろしいシーンはないのに、切り立った崖のギリギリを歩くような緊張感がずーっと続いていて、いつ落ちるか今落ちるかと読みながらドキドキするのだ。今殺す、今死ぬ。しかしそうはならない。
「王子失踪す」で娘は通過儀礼のように人形たちを殺してしまうけれど、その分人間は危うく生き延びる。
「フラワー・ドラム・ソング」でも交通事故死があるものの、踏みとどまって満開の桜の中にいる。暴力的な大根から逃れる「ジアスターゼ新婚記」、平和的な大蛇と共存する「その蛇は絞めるといっただろう」。これらの物語は不条理な世の中でいかにして生き延びるかを模索しているように思える。その模索には解答はない。「これでよかったのか?」という思念の匂いがいつも残る。残香が哲学的だ。
 一番怖かったのは「キャロル叔母さん」。「赤ずきんちゃん」がエンドレスのスプラッタになるなんて! 怖いよ。
 でもいいのだ。人間はこういう怖い物語を追体験しながら、どうにかこうにか生き延びていくのだ。そう、山上たつひこはあまりにも過剰であまりにも繊細で、切り立った崖の縁を歩いて生き延びた、そういう人だ。官能とユーモアと反骨精神に満ち、そしてやっぱり品がいいのだ。


 (はぎお・もと 漫画家)

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