書評

2022年1月号掲載

岡田晴恵『秘闘 私の「コロナ戦争」全記録』刊行記念特集

この国のメディアにおける「岡田晴恵」という存在

“コロナの女王”が告白手記で書きたかった、「秘められた闘い」の真実とは――

青木理

対象書籍名:『秘闘 私の「コロナ戦争」全記録』
対象著者:岡田晴恵
対象書籍ISBN:978-4-10-354361-9

 2019年の末から新型コロナウイルス感染症のパンデミックが世界を襲い、それ以降の約9カ月を担った安倍政権の危機対応を高く評価する者は圧倒的少数だろう。実際、愚策に類すべき政策を挙げればキリがない。
 科学的根拠さえ怪しい全国一斉休校。異物混入も続出した布マスク2枚=アベノマスクの配布。掛け声ばかりで一向に増えない検査体制。だから検査や医療にも満足にアクセスできない多数の感染者。迷走の果ての給付金一律支給。再委託や外注を繰り返して中抜きされた各種給付金……。
 当然のこととはいえ、各メディアの世論調査で政権支持率は低下し、政権のコロナ対策を「評価しない」という声も過半を大きく超えた。それまでは「やってる感」の演出で長期政権を維持してきたが、真の危機に直面して化けの皮が剥がれ、さらには危機の只中に首相はまたも体調悪化を理由として政権を投げ出した。
 そんな時期、あるテレビ番組でコメンテーターを務めていた私は、岡田晴恵氏と生放送のスタジオで毎週のように顔を合わせるようになった。
 あらかじめ断っておかねばならないが、科学分野を専門とする記者ではなく、まして感染症問題に疎かった私は、感染症学や公衆衛生学を専門とする岡田氏がどのような業績を積み重ねてきたのか、学会のなかでどのようなポジションに位置しているのか、まったく知らなかった。
 だが、番組でたびたび顔を合わせ、そのコメントや訴えに直接触れ、私も私なりに感染症に関する知識を蓄積していくうち、学者としての岡田氏の姿勢に共感と敬意を覚えるようになった。もちろん異論や違和感を覚えることもあったが、少なくとも未知の感染症に襲われた未曾有の危機下にあるこの国のメディア界において、岡田晴恵という専門家の存在はとても貴重なものに思われた。
 端的にその理由を記せば、時の政権の意向や世の大勢におもねらず、言うべきことを言う姿勢、それに尽きる。典型は一向に増えない検査体制をめぐる議論だったろう。
 いまとなってみれば常識の類に属するが、感染症対策の基本は早期の検査徹底による感染者の把握と隔離・保護。決してそれで完璧ではなくとも、感染症対策では有効かつ不可欠の作業であり、世界中の国々がいち早く検査体制を大幅に強化・拡充した。
 だが、この国では検査抑制論が政権周辺者から堂々と唱えられ、検査を拡大すれば医療崩壊につながるといった珍奇な議論までがまかり通った。それに加えて数々の愚策も積み重なり、この国の感染者数と死者数は各種の環境や条件が類似する東アジア各国のなかでも明らかに多く、初期の感染対策が無惨な失敗だったことはデータでも裏付けられている。本書にも岡田氏の深い嘆息がこう記されている。
〈この2年間、この国は後手後手の対策を取り続け、あり得ないようなミスをたびたび繰り返してきた。/それは一体、なぜなのか――〉
 まさにその原因を考えるのに本書は格好のテキストなのだが、こうした問題意識をメディアで真正面から発し続け、その姿勢を貫くのがいかにしんどい作業だったか、読者は事前に確認しておく必要がある。
 これは別に新型コロナ対策の問題に限った話ではないが、長期続いた「一強」政権下、永田町や霞ヶ関にとどまらず、メディア界にも政権の顔色をうかがって忖度する風潮が強まり、政権の提灯持ちかのようなメディア、メディア人が大量発生した。逆に政権監視というジャーナリズムの基本を貫こうとする者たちには陰に陽に攻撃が加えられた。
 科学者とメディア、ジャーナリズムの役目には異なる部分もあるが、明らかに共通するところもある。時の政権や世論などにおもねらず、客観的事実やデータに依拠して発信すべきを発信すること。今般の危機下、岡田氏は科学者としてたしかにその任の一翼を担った。
 そういえば、テレビ局の控室で雑談を交わしていた際、岡田氏がこう口にしたのをいまも鮮やかに記憶している。
「私たち感染症専門家の役目は、ありうべき危機をデータや経験から予想し、きちんと警告すること。その予想が外れれば批判されるし、当たっても褒められることなんてない。損な役回りだけど、それが仕事ですから」
 本書は、そんな感染症学者の「秘闘」の記録である。


 (あおき・おさむ ジャーナリスト)

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