対談・鼎談
2022年2月号掲載
浅田次郎『母の待つ里』刊行記念特集
東京人はふるさとの夢を見る
浅田次郎 × 川本三郎
浅田次郎さん5年ぶりの現代小説は〈ふるさと〉を求める都市生活者たちの物語。心打つストーリーの底に鋭い現代批評を忍ばせた新作の背景を、浅田さんと同じ東京人である川本三郎さんが語り合いました。後半は白熱のトルーマン・カポーティ×三島由紀夫論も! 文学の喜びに満ち満ちた対話をご堪能下さい。
対象書籍名:『母の待つ里』
対象著者:浅田次郎
対象書籍ISBN:978-4-10-439406-7
東京人のふるさとは東北に
川本 『母の待つ里』を面白く拝読しました。初めは四十数年ぶりに実家に帰ってきた男の話なんだなと思って読み始めましたが、徐々に「あれ?」と思う箇所が出てきて、第一章が終る頃には「なるほど、こういう仕立てなのか!」とわかる。大変驚かされました。
浅田 ありがとうございます。
川本 物語の中心になるのは東京に暮らす六十歳前後の男女三人。家庭も帰る場所も持たず、社会生活もそろそろゴールに差しかかってこれからどうするかと考える彼らの前に、「ふるさと」という存在が大きく立ち上がってくる。これから読む読者のためにあまり詳しくは話せませんが、センチメンタルな望郷物語とはひと味もふた味も違い、ふるさと体験を絡めたビジネスなんかも登場します。このビジネスは浅田さんの創作ですか?
浅田 全くの創作です。でも「田舎の村をあなたのホームタウンだと信じて遊びに来ませんか」なんて、いかにもアメリカ人が考えそうでしょう?
川本 実は数年前に西部劇「シェーン」の舞台になったワイオミングの牧場を訪れたら、これと似たことをやっていましてね。都会から来たお客を田舎の牧場にホームステイさせるんです。
浅田 やはりありましたか。ただアメリカ人の言う「ホームタウン」は生まれた場所というニュアンスが強いと思いますが、日本人にとっての「ふるさと」はもっと感傷的で郷愁を伴う概念ですよね。
川本 ええ、日本の場合は先祖代々の土地に対する想いや帰るべき場所という考え方まで含まれますね。
浅田 個人を重視するか、家を重視するかは日米の大きな違いです。となると、国際的な企業がアメリカから日本にこのビジネスを移植する場合、そのままでとはいかない。きっと、この物語の舞台となった土地でテストしてみようと考えるのではないか。そんな想像の元に書きました。
川本 そこで今回、浅田さんがふるさとを設定なさった場所ですが、明示はされていないものの岩手県の遠野あたりではないでしょうか。
浅田 御明察です。幸運なことにコロナウイルスが流行する直前に取材に行けたんですよ。作中で土地のおばあさんが語る民話も『遠野物語』をベースに、脚色を加えています。
川本 このふるさとへは東北新幹線から在来線、さらにバスへと乗り継ぎを繰り返して辿り着く。あたかも都会の引力を徐々に脱ぎ捨てていく儀式のように感じました。
浅田 まさにそのアプローチの絶妙さが遠野をモデルの地とした一因です。ただ、週末でも駅前にほぼ人影がないのは寂しかったですね。『遠野物語』ブームの頃はあんなに観光客が押し寄せたのに、今や電車も一、二時間に一本で。しかし観光に頼りすぎないからこそ日本の精神的原風景が残っているとも言えるわけで、僕は遠野をはじめ岩手が大好きなんです。
川本 東京の人間として「ふるさと」が東北にあるというのは、じつにしっくりきました。谷崎潤一郎も「関西から見ると東京は東北の玄関に見える」と書いていますし、下町あたりは料理の味付けも東北風です。私も旅をするときは西よりも、ついつい東や北にばかり行ってしまうんですよ。
浅田 僕もです。なぜか西へ行くほど自分が異邦人であることを強く感じますし、九州まで行くともはや違う国に来た気さえする。ところが北に向かっていくと違和感がない。妙に安心したりする。あれはなんでしょうね。
川本 戊辰戦争で負けた人たちも北に逃げましたね。負け組同士のシンパシーが働いているのかもしれません。
〈喪失感の記憶〉という宿命
川本 『母の待つ里』はストーリーの背後に、今の日本が抱える様々な問題が横たわっていますね。東京への人口一極集中、地方の衰退と限界集落化、非婚者の増加……。
浅田 僕より先輩の川本さんにはお分かりいただけると思いますが、六十を過ぎて社会の中心から外れてくると、それまで見えなかったこの国の有様がはっきり見えるようになる。日本ってこんなアンバランスな国だったのかと驚きました。東京生まれ東京育ちの僕でも、さすがに一極集中化がひどすぎると思う。昔から知っている景色もどんどんなくなり、東京が故郷だという実感も持てない。
川本 東京在住者の内訳を見ると、以前は地方出身者の方が多かったんですが、今は逆転して東京生まれの方が多くなっているんだそうですね。
浅田 東京に生まれ育っている人間は家移りしている人が結構いて、僕も勘定してみたら下宿・アパートも含めて都内だけで十八回引っ越しているんですよ。
川本 そんなに。
浅田 生まれた家にずっと住む人もいるでしょうけれど、東京の中を漂流している東京人は多いと思います。だから、ある程度の年齢になって、ふるさとというものに憧れるんでしょうね。
川本 そんな時に、出かけて行けるふるさとがあれば、いいですよね。一泊五十万円では手が出ませんが(笑)。
浅田 でも、世の中には百億円で宇宙旅行をしようと考える人もいますから(笑)。僕は人口密度と幸福度は反比例すると考えているんですよ。都市は便利ではあるけれど、人間の幸福が得られる土地ではない。それがはっきりわかりました。でも悲しいかな、そう思う頃には移住する体力がなくなっている。
川本 なるほど。山形に左沢という場所があって、ここは歩く人も見かけない過疎の町ではありますが、最上川の舟運で栄えたらしく、築百年以上と見える豪邸が沢山残っています。あれを見ると東京にはない豊かさを感じますね。
浅田 地方に行くと立派な破風の上がった家がずいぶんありますね。町の中が全部風呂屋なのかと思うぐらい(笑)。おれたちは騙されてるんじゃないかと思いますよ。何千万も出して面白くもない家を建てて。
もっとも、東京にもかつては豊かさを感じさせる家があったのかもしれません。それが、災害や空襲で失われ、とどめがバブルの地上げです。災害や戦争で生き残ったものが、繁栄によって失われたのは皮肉に過ぎる運命ですよ。
川本 たしかに震災や戦災で焼け出された人たちは元の土地に帰ってきますが、バブルで土地を売った人は決して帰って来ないし、顔すら見せません。
浅田 だから昔の東京をテーマにした本や写真集がたくさん出ているのかな。僕もしょっちゅう買ってしまう。
川本 見慣れた風景があっという間に消えてしまう。だから、近過去というか祖父母の世代が見ていた風景が一番懐かしく感じられるんですよね。こうした〈喪失感の記憶〉を東京は宿命的に持っています。だから、この小説の主人公たちがふるさとの家に感じるノスタルジーが、私には痛いほどわかるんです。
限界集落でも残る店は?
川本 私も主人公たちと同じ東京住まいの単身者なんですが、三人の中ではとくに松永徹が良いなと思いました。欲をかかずに仕事をきちんとこなす独身生活のプロで、好感を持ちます。ただ、あちらは大手食品会社の社長なので、私とは社会的地位がだいぶ違うのですが(笑)。
浅田 一昔前は会社員は家庭を持って一人前という考えが主流でしたが、今は独身のまま社長になる方がいらっしゃいますね。
川本 彼の会社が作っているレトルト食品の名前が「ローマの休日」というのがおかしいですね。
浅田 これ、モデルは「青の洞窟」というパスタソースなんです。うまいんですよ。
川本 ほう、早速試してみます。でも、なんで浅田さんがそんなことをご存じなんですか?
浅田 我が家の料理の責任者は私ですから。時々これを使い、いかにも最初から作ったような顔をして食卓に出す(笑)。せいぜい一食あたり二百円台、特売で百九十八円の時もあります。
川本 恐れ入りました(笑)。松永が自社の製品をふるさとの酒屋で見つけて母にふるまう場面が印象的ですが、旅好きの私からすると、この村に唯一残っている商店が酒屋だという点が興味深い。過疎の村では酒屋か美容院・床屋が残っていることが多いですね。
浅田 意外と蕎麦屋も残っていません?
川本 そうかもしれない。蕎麦屋は居酒屋の役割も果たしてきましたから。
浅田 蕎麦屋では昼から酒を飲んでもいいという暗黙の了解がある。なぜか男は年をとるとラーメンから蕎麦に転向するんですよね。
川本 そうだ、それとどんな限界集落にもお寺さんは必ずあるじゃないですか。この小説にも立派なお寺が出てきますね、慈恩院といいましたか。
浅田 実は僕、書き終わってから慈恩院のことが気になって仕方がないんですよ。跡継ぎもおらず、でも檀家の墓を守らなくてはいけない。あそこは一体どうなるんだろうと……。
川本 浅田さんはお母さまが青梅・御岳山の御師(神主)の家柄ですよね。そちらも後継者問題は大変なんでしょうか。
浅田 そう思います、神主そのものがほとんどボランティアですから。
川本 そうなんですか。
浅田 だって山の上に結婚式を挙げにくる人はいないし、七五三の参詣にだって来ないし、家の建前に呼ばれることもない。だから宿坊をやるわけですが高齢化で閉めるところも多く、やっぱりここも限界集落と言える。
川本 祈る人、悼む人がいなくなるのも過疎による大きな損失ですね。浅田さんの作品の一貫した大きなテーマとして戦争があり、今回も神社の境内に立つ忠魂碑が登場します。山家育ちで泳げない兵士たちが輸送船に乗せられ、フィリピン沖で溺死したという歴史が示され、やりきれない思いを残します。
浅田 岩手に限らず、日本中どこの神社に行っても大きな忠魂碑がありますよね。僕は学校の先生が生徒を引率して行って、それが何なのかを教えるべきだと思うんです。一番身近な郷土の歴史なんですから。それに日本が戦時中に飢餓状態に陥ったのは何も空襲で畑が焼かれたからではなく、農村の働き手が根こそぎ兵隊に取られたからですよね。軍隊は加害者、一般国民は被害者という単純な話ではない。戦争教育にはそうした細やかな説明も不足してると思うんですよ。
川本 戦争そのものは否定しても、戦場で死んでいった兵隊のことを否定できませんよね。
浅田 それは酷ですよ。だから戦争を知らない僕が戦争を書くことはとても怖いんです。実際に体験された方が大勢いるし、なにより僕が間違ったことを書いても亡くなった方たちは反論することができないでしょう。そこに対する責任を考えると本当に怖い。ただ親世代が戦争を経験している者として、避けて通ることはできないと覚悟しています。
カポーティと三島に煽られて
川本 ところで話は変わりますが、浅田さんの「鉄道員」はトルーマン・カポーティの短篇「ミリアム」の影響を受けているとインタビューで読みまして、とても驚きました。あの老鉄道員の娘さんはミリアムだったんですか。
浅田 どの程度意識して書いたかは記憶にないんですが、頭の中に「ミリアム」があったことは間違いありません。名作ですよね。何度読んでも味があるし、読むタイミングによって解釈の仕方も変わる。川本さんの翻訳でも拝読しました。
川本 ありがとうございます。最初に読んだカポーティ作品は何でしたか。
浅田 『ティファニーで朝食を』です。高校生の時で、もう映画は公開されていましたが、あえて観ずに原書を買ってつっかえながら読み通した。僕もカポーティ同様、子どもの頃に両親が離婚して親戚の元で暮らした経験があるもので、彼の生い立ちから興味を抱いたんです。そのあとは初期の短編集『遠い声 遠い部屋』『夜の樹』を読み進めていって。彼の小説は一貫して内向小説ですね。
川本 ええ。スタインベック、ヘミングウェイ、ノーマン・メイラーらの男性的な作品が主流のアメリカ文学の中で、虚弱児童的な内向した世界を描き、それがすごく新鮮に感じました。
浅田 僕も同じです。ところが、そこへ1967年、あの『冷血』が出た。
川本 非常にショッキングな凶悪殺人事件の加害者や関係者にインタビューし、取材を重ねて事件の全貌を描くというノンフィクションの手法を使った異色作で、世界中が熱狂しました。
浅田 前評判が凄かったので、新潮社から出てすぐに読んだと思うんですが、あれはインタビューの起こし原稿を読まされてるような作品じゃないですか。僕はその頃から、将来は小説家になってウソ話、つまりフィクションを書いていきたいと心に決めていたので、カポーティが「これからの文学はノンフィクション・ノベルだ!」と言い切ったことで完全に混乱しちゃったんです。「小説って何なんだ。世間が傑作だと称賛するものに疑問を持つ俺が間違っているのか?」とね。さらに1970年に三島由紀夫が腹を切って混乱は極みに達し、僕は自衛隊に飛び込むことになりました。そういえば入隊時に持って行った数冊の本の中にもカポーティがありましたね。
川本 浅田さんが『冷血』にそんな影響を受けていたとは……私もあれはノンフィクション・ノベルとしてはすごいなと思いますが、作品としては初期の方が好きですね。
浅田 僕の推測ですが、カポーティはフィクションを作れない、私小説の人だったんじゃないのかな。少年時代に体験した孤独や楽しみを描いて評価されたけれど、行き詰まりを感じて『冷血』を書いた。彼が「文学とはこれだ」と言い切ったのは自己弁護だったと思う。
そして実は三島さんもそうだったんじゃないでしょうか。例えば『金閣寺』は良い小説ですが、実際の事件をモデルにしてますね。『宴のあと』『青の時代』『絹と明察』もそう。じゃあフィクションには何があるかと言えば、代表作と言われる『潮騒』はストーリーが希薄です。すみません、この話を始めると止まらないのですが続けてよろしいですか?
川本 もちろん。興味深いお話です。
浅田 「豊饒の海」四部作で三島さんは最高のフィクションに挑戦したんだと思います。実際、一作目の『春の雪』を初めて読んだとき、僕はその美しさに涙が出るほど感動しました。終わりの方に出てくる転生の話には違和感がありましたが、「豊饒の海」の下敷きである「浜松中納言物語」は輪廻転生の話だから、そういうものかと思った。そして二作目の『奔馬』を読みましたが、これは僕の大嫌いな右翼的な思想を前面に出す三島さんに逆戻りしていて絶望しました。三作目の『暁の寺』に至っては意味不明。四作目の『天人五衰』は過去に書いた自身の小説のパッチワークにすぎません。
『天人五衰』のラストシーン、僕は何千回読み直したか分かりませんが、
〈この庭には何もない。記憶もなければ何もないところへ、自分は来てしまったと本多は思った。
庭は夏の日ざかりの日を浴びてしんとしている。……〉
これが僕には「私は全部出し尽くしてもう空っぽです」と三島さんが言っているように思えてならない。
カポーティと三島由紀夫っておそらく同い年ぐらいじゃないですか。
川本 一つ違いですね。カポーティは三島と会っているんですよね。
浅田 そうだ。『カポーティとの対話』に出てきますね。
川本 でも、三島は何となく袖にされていたような感じがありました。
浅田 日米の国柄の違いを超えて、あの二人は小説家としてはとてもよく似ている気がします。
川本 それは面白い指摘です。カポーティも『冷血』でセレブリティの仲間入りをしたものの、作家としては行き詰まり、お酒とドラッグに溺れて結局は自殺したようなものでしたから。
浅田 遺作になった『叶えられた祈り』は自分と周囲の人々を、ここまでやるかというほど露悪的に描いたゴシップ小説ですが、〈叶えられなかった祈りより、叶えられた祈りのうえにより多くの涙が流される〉という前書きに、小説家としての苦悩が込められている気がします。
川本 そうですね。時代が時代ですから、ゲイであったことの苦悩も大きかったはずです。
浅田 僕は「夜の樹」という短篇もすごく好きなんですよ。
川本 あれは不気味ですよね。
浅田 もうホラーですね。夜汽車の席で自分の前に奇妙な男女が座り、よく分からないけれど逃げられない。カポーティは密室が好きですね。
川本 仰る通りで、逆に言えば密室恐怖症なんですね。子どもの頃、母親によってホテルの部屋に閉じ込められ、置き去りにされた原体験があるからです。『冷血』も、犯人たちが捕らわれ、密室に閉じ込められていく話と考えることができます。
浅田 なるほど。たしかにそうです。
川本 しかし浅田さんがここまでカポーティをお好きだとは。『母の待つ里』のお話をしに来たのですが、カポーティへの愛をここまで伺えるとは思いもしませんでした。嬉しいです、とても。
浅田 僕も川本さんの訳で、またしばし読み返してみようと思います。
川本 ありがとうございます。
(あさだ・じろう)
(かわもと・さぶろう)