書評

2022年2月号掲載

私の理想のリーダー

今野敏『探花 隠蔽捜査9』

村木厚子

対象書籍名:『探花 隠蔽捜査9』
対象著者:今野敏
対象書籍ISBN:978-4-10-300261-1

 小説は好きでよく読みますが、特に好きな作家の文章は読むスピードが遅くなります。頭の中で朗読する感じでしょうか。その時間をじっくり味わいたいのかもしれません。
 今野敏さんは私にとって、まさにこの「読むのが遅くなる」作家。最初の出会いは『隠蔽捜査』です。シリーズ1作目を読んだのは2009年5月。何かの記事で目にして手に取ったところとても面白くて、翌6月に大阪地検から呼び出されたとき、移動の間に読むつもりで次巻を買いにいきました。2作目の『果断』が書店で手に入らず、3作目の『疑心』を先に買い大阪へ。結局、そのまま逮捕・勾留となり、拘置所で読み終えることになりました。
 その後は差し入れを持ってきてくれる家族に、とにかく今野さんの本を見かけたら買ってきてほしいと頼んで、STシリーズや安積班シリーズ、樋口顕シリーズなども読みましたね。無罪が認められた後は古書も買うようになり、以来この13年ほどで今野さんの本を110冊くらいは読んだでしょうか。
 昔からシャーロック・ホームズ・シリーズやエラリー・クイーン、アガサ・クリスティなどは好きで読んでいましたが、今野さんの作品に出合ったころから探偵小説ではなく、組織を舞台にした警察小説を読むようになりました。海外作品では、マイクル・コナリーのハリー・ボッシュ・シリーズ、ロサンゼルス市警が舞台です。警察官は、組織内の軋轢や職場の人間関係がいろいろある中で、自分の職務を全うする。そこにすごく共感できるんです。
 今野さんの警察小説の魅力は人物の描き方。チームでお互いの距離に悩んだりしながら皆で目的を達成する、組織の中の個人の感情が生身のものとして描かれています。中でも安積班シリーズの悩めるハンチョウの姿はとても新鮮でしたし、大好きになりました。
 一方の隠蔽捜査シリーズの主人公・竜崎は、こんなリーダーがいてくれたら、自分もこんな生き方ができたら、という憧れの存在で、こちらも大好きな主人公です。真面目な変人だけれど、正しいだけではどうにもならないこと、飲み込んだほうが合理的なことはそうする。無駄なことにエネルギーは使わず、ただし目的だけは絶対にブレない。最短ルートで、きちんと結果を出す。こういう上司が、下は一番楽だと思います。
 持論ですが、管理職がすべきことは大きく三つあると思います。①決めること、②任せること、③責任を取ること。竜崎はこの三つを兼ね備えています。管理職は皆、本シリーズを読むべきですね。②はいかに部下のやることに口を出さないかということでもあり、今作『探花』では、「口を出しすぎていないか」と自己点検する竜崎の姿にとても共感しました。
 一昨年、NHKの番組で今野さんと対談させていただいたとき、「書くとそれがお手本になる」と言われたのがとても印象的でした。『探花』の竜崎は、警察という縦割り組織の中で他県との横の関係の根回しをしたり、外の組織であるNCIS(米海軍犯罪捜査局)との交渉に挑んだり、まさに上司のお手本のような活躍ぶり。余談ですが、同名の海外ドラマが大好きな私はNCISの登場にも大興奮でした。さらに今作は政治家やマスコミへの言及もあります。日本に本当のジャーナリズムなんてあるのかという問いに対し、竜崎が「俺は、あると信じたい」と答えるセリフは、著者からのメッセージだと感じました。権力を持つ者を闇雲に叩いたり揶揄したりするのではなく、こうであってほしいという理想の姿を描く。そのスタンスはこのシリーズの大きな特長、今野さんの美学だと思います。
 もう一つ、竜崎の妻・冴子の存在も大きいですよね。彼女はシリーズの中で、健全な市民の世界を代表する役割を果たしています。警察という特殊な組織の論理だけに偏らず、普通の市民の感覚に引き戻してくれる。私は研修などで警察官の前でお話しする機会があると、最後に必ず「私は、警察官が信頼されている国に住みたいです」とお伝えするようにしています。本当に大事な仕事で、大いにプライドを持ってやっていただきたいけれど、武器を持った公務員という特殊な仕事のベースは、あくまで健全な市民の生活にある。そのことを忘れてはならないと思います。冴子や家族の話を通じて、毎回そのことがさりげなく描かれているのも好きなところです。
 その意味で、今作に登場する「俺は、ただの官僚じゃない。警察官僚だ」という竜崎のセリフも胸に響きました。権力を持っていることへの自覚、その誇りと責任が表れた言葉だと思います。今作ではキャリア同期の中でトップ入庁した新人物が出てきますが、竜崎はそこには関心を示しません。「出世は大事」と言い切る竜崎ですが、それはあくまで仕事をするためのポジションが欲しいからであって、誰かに勝った・負けたという組織内の競争や政治にはまったく興味がない。ただ、ファンとしては、これから先、もっと偉くなった竜崎、本庁に戻った竜崎も、ぜひ見てみたいですね。シリーズの今後も楽しみにしています。(談)


 (むらき・あつこ 元厚生労働事務次官/津田塾大学客員教授)

最新の書評

ページの先頭へ