書評
2022年2月号掲載
カイワレ大根の長さが揃っているのはなぜか?
野口憲一『「やりがい搾取」の農業論』
対象書籍名:『「やりがい搾取」の農業論』
対象著者:野口憲一
対象書籍ISBN:978-4-10-610935-5
人の手をほとんど介さずに野菜を育てることを目的とした植物工場は、東日本大震災の後に注目されたこともあるが、実は経営がうまくいっているところは少ない。この理由について、「植物工場」という言葉が定着する前から、コンピューターやハイテク機械を用いた大型施設で、もやしやカイワレ大根などのスプラウト野菜を生産してきた、とある企業の経営幹部はこう言っていた。
「植物工場が儲からないのは、植物への愛情がないからだと私は思いますね。生産設備などのハードは金を出せば買えるけど、ソフト、植物への愛情はどこにも売ってないんですよ」
彼は自分たちの仕事を「農業」と言い、「農家」を自称する。見た目の美しさにまで気を配った野菜の生産は、単純な機械管理だけでは難しい。カイワレ大根の長さが揃っているのは、偶然でもコンピューター制御による温度管理の結果でもなく、カイワレ栽培を行う彼らの栽培技術の賜物だというのだ。そこには間違いなく、農家が永年かけて培ってきた高度な技術がある。
日本の農産物は他の国々に比べて、過剰包装だと言われる。しかし、その過剰包装をもたらしているのは高い水準を求める消費者の審美眼であり、その審美眼に応えてきた農家の技術力である。高級フルーツパーラーやデパートで売られる高級果物だけでなく、広告の目玉として売り出される激安キャベツにまで、このことが徹底されているのが日本の農産物なのだ。
消費者にとっては間違いなく福音だろう。しかし、農家にとっては不幸以外の何物でもない。自らの技術力ゆえに消費者の審美眼を高めてしまった日本の農家は、どんなに生産物の価値を高めても「当たり前」視され、その価値を手元に残すことが出来なかったのだから。
社会から「食糧生産係」の役割を振られた日本の農業界は、その高い品質に相応しくない安売り路線を余りにも長く続けてきた。さらに、商品を定期的に出荷し続けることに重きを置きすぎたせいで、商品ごとの品質の違いを明確に打ち出せずに来た。キャベツは「キャベツ」としか認識されず、キャベツごとの品質は考慮されない。農業界では長らく、軽自動車とスーパーカーが同じ価格で売られてきたのだ。
農家が、自分たちの生み出す「価値」を自分の手に取り戻すにはどうしたらいいのか。解決策は、従来型のコモディティー商品を大量に生産・販売するだけのビジネスから脱却することだ。そして、ラグジュアリーからコモディティーまでのピラミッド型の商品構造を持った農産物マーケットを構築することだ。それこそが本当の農業の成長戦略である。そのことを世間に伝えたくて、本書を書いた。
(のぐち・けんいち 民俗学者・レンコン農家)