書評
2022年2月号掲載
私の好きな新潮文庫
本物を知ること
対象書籍名:柳橋物語・むかしも今も/女たちよ!/土を喰う日々 わが精進十二ヵ月
対象著者:山本周五郎/伊丹十三/水上勉
対象書籍ISBN:978-4-10-113404-8/ 978-4-10-116732-9/ 978-4-10-114115-2
(1)柳橋物語・むかしも今も 山本周五郎
(2)女たちよ! 伊丹十三
(3)土を喰う日々 わが精進十二ヵ月 水上勉
二十四歳のとき、山本周五郎の『柳橋物語・むかしも今も』ではじめて時代小説の魅力を知りました。「柳橋物語」の主人公のおせんは、さまざまな苦労や悲しみに打ちのめされますが、人の心の「誠」を知ったことで、ぐんぐん元気を取り戻していきます。その姿に人間の強さを見て、涙が溢れ出て止まらなくなりました。
その後、周五郎はもちろん、池波正太郎、藤沢周平などの名作を読み耽ったものでしたが、久々に時代小説に夢中になったのが、畠中恵さんの「しゃばけ」シリーズでした。作品に登場する江戸料理を再現した『しゃばけごはん』(新潮文庫)のレシピと料理を担当することになり出会いました。主人公の若だんなの芯の強さ、人を思いやる気持ちのあたたかさは、「柳橋物語」に心を震わせた頃のことを思い出させてくれました。
そしてこの仕事を通して、湯豆腐やいなり寿司など、江戸の昔から今まで親しまれてきた料理の色褪せないおいしさにも改めて気付かされました。
日本にいると見過ごされてしまう和食の良さがあるように、海外の料理にも、やはり本場ならではの良さがあるものです。伊丹十三『女たちよ!』からは、「まずは本物を知ろう」という姿勢を学びました。
当時の日本で食べられていた「炒め饂飩(うどん)」のようなスパゲッティに物申し、「アル・デンテ」を紹介した冒頭のエッセイ「スパゲッティのおいしい召し上り方」は有名です。他にもパンバーニャ(ニース風サラダを挟んだサンドイッチ)や無花果と生ハムの組み合わせなど、昭和四十年代にいち早くヨーロッパのおいしいものを紹介していた著者の慧眼は驚くべきものです。
日本人は、スパゲッティを和風にアレンジしたり、ナポリタンのような独自のメニューに進化させたりということが得意です。しかし私はこの本を読んで、海外の料理も、郷土料理も、まずは現地で長く愛され、食べられてきた「本物」を知りたいと思うようになりました。
歯に衣着せぬ直球の文章も、ユーモラスで愉快痛快。「お刺身を買ってきた容れ物のままお膳に並べるのは恥ずべきこと」など、料理家としてもドキッとさせられる箴言も満載です。
料理家になる以前、料理雑誌の編集者として働いていた頃に読んで強く影響されたのが、水上勉『土を喰う日々』。幼い頃、禅寺の侍者として暮らした経験から精進料理を身につけた著者は、長じて作家になったあとも、自らの手で育てた野菜を材料に、日々料理を作り続けてきました。
このエッセイに出てくるある表現に私は衝撃を受けました。
「小かぶらは、これもていねいに皮をむき、まるごと昆布だしで炊いておく。味噌をのばす時に、この汁を少しもらって、砂糖、味醂で味つけしている」
ここで著者は、昆布だしの茹で汁を「使って」でもなく「移して」でもなく、「もらって」という言葉を使っています。イメージが鮮やかに浮かぶだけではなく、この表現には、野菜の皮や切れ端、水の一滴も無駄にしないという精進料理の教えから来た、材料への敬意が表れています。まさに料理を作っている人間の体を通して出てきた言葉だと感銘を受けました。
その頃、私は料理編集者として、読者に「この料理を作ってみたい」と思わせるリード文をいかにして書くか、ということに苦心していました。自分の手で作ったわけではない料理を、説得力をもって紹介するのは非常に難しいのです。そんなとき著者のこの文章に出会い、「私もこんな風に書いてみたい」と憧れたものでした。こうした経験から、自分で料理を作り、自分の言葉でおいしさを伝えたいと思い始め、料理編集者と料理家の二足の草鞋を履くようになりました。
本書を読んでいると、料理とは「生きる技術」である、ということをしみじみ実感します。毎日のことですから、ときどきはレトルトやお惣菜に頼ることもあります。しかし著者のように、その時々の材料に向き合い、自分の手で料理することを実践すると、季節感を味わえ、生活を楽しむことにもつながります。手抜きと丁寧の二本立てで、無理なく料理を日常に取り入れていくのが理想だと感じています。
(かわつ・ゆきこ 料理家)