書評
2022年3月号掲載
黄金の沈黙の日々と、その豊かな謎
パオロ・コニェッティ『フォンターネ 山小屋の生活』(新潮クレスト・ブックス)
対象書籍名:『フォンターネ 山小屋の生活』(新潮クレスト・ブックス)
対象著者:パオロ・コニェッティ/関口英子訳
対象書籍ISBN:978-4-10-590179-0
イタリアの新進作家が、深い思索から心の障壁につきあたり、小説などを書けなくなってしまった。苦悩をかかえてひとり山小屋に籠もって暮らしていく過程を書いている。邦訳二冊目。
そういう作品を紹介する者が、ぼくのような歳老いた粗製濫造作家であるとはずいぶん役割が違うようでこれはミスキャストではないか、と読みながら狼狽してしまった。
本書について短文の感想を出版社に伝える約束があったので、読みながら本文のあちこちに思うところをメモしていた。それらを読みかえしてみると、いちばん最初に書いた感想が幼稚ながらもっとも正直な反応だったように思うので、はじめにそれを書きたい。
「逃げ込んだ山での暮らしの日々を語っているだけなのに、どうしてこんなに読む者の心をふるわせるのだろうか。読んでいるときも、読みおわったあとも、それが豊かな謎だった」
それから随分時間が経ってしまったので、いまこの小文を書くために読みかえしてわかったのは、まず「文章」が圧倒的に爽やかで美しい、という基本的なことだった。それを静かに着実に表現した翻訳者の、懐の深い日本語のつみかさねも素晴らしい。
本書で語られるアルプスの山小屋は標高二千メートル近くにある。木と石によって作られた頑丈なもので、四軒あるうちの一軒。山小屋といっても日本とちがって別荘的なものらしい。雑駁かつ煩い都会(ミラノ)の無神経な「攻撃」に傷ついた作家は山の生活にゆらりと邁進していく。黄金の沈黙の日々だ。
山の生活は当然ながら厳しいが、近くを流れている沢のおいしい水を飲み、暖房は薪ストーブぐらいだがその燃料は雪の重さによって倒壊した木を切って乾燥させて使うなど、とらえかたによっては山小屋の生活は手がかかるぶんむしろ贅沢なようでもある。
こういう記述がある。
「雪の上に野生動物の足跡がいくつかついている。一匹の野兎に、つがいのノロジカ、そして何羽もの鳥たち。そのほか、どんな動物のものか見分けられない足跡もあった。僕が家のなかで孤独に酔いしれ、苦悩している最中(さなか)に、これほど多くの動物が行き交っていたことに驚いた」
ある日この作家に山小屋を貸した家主レミージョが様子を見にきた。コーヒーを飲みながらさまざまな話をし、互いに読書好きであることを知りよろこびあう。こんな小さな出会いも、別れとなるとおもいがけず「重い」ということに気がつく。
もともと夜の闇は苦手だったが、眠れない夜は研ぎ澄まされた外の音にことさら敏感になり、子供じみた恐怖にとらわれたりする。
ミラノの自宅にいた頃のことを夜更けに思いだす。夜中でも車の途絶えることのない大通りに面していたので、通りすぎる車のヘッドライトや点滅する信号、救急車両の回転灯、夜間でも営業しているドラッグストア。それらの刺激のなかで眠りについた日々を追憶する。
ある日、セーターを重ね着して水筒にワインを入れ、寝袋を持って外で野宿することにした。気弱になっている自分へのショック療法だった。
その夜、近くの牧草地で野宿する。あたりが真っ暗になっていくなかで持って出た僅かな腸詰などをかじり、ワインを飲み、遠いむかし父と行った山の記憶にひたる。山道の遠くにオルガンが鳴っていた記憶だ。その小さな野宿旅では帰りにキツネと出会う。
六月になると牛飼いが牛や牧牛犬たちと山にやってきた。いちめんにタンポポの花がひろがっている季節だ。
三匹の牧牛犬にはブラック、ビリー、ランポと名前がついていて、作家は彼らと仲良くなる。ブラックは「ちぎれ耳」と別の名前をつけた。
ちぎれ耳は毎日七時になるとビスケットをもらいにやってくる。それぞれ個性ゆたかでなによりも牧牛犬としての働きぶりがすばらしい。この三頭の犬との交友が楽しい。その主人、牛飼いのガブリエーレとのつきあいがはじまり、山小屋の生活もけっこう忙しくなる。賑やかな交流は夏へと続いていき、「音や色やにおいという暴力」という一節の本意がつかめず、読む者には新たな不安となる。
(しいな・まこと 作家)