書評

2022年3月号掲載

艦長の器

時武里帆『護衛艦あおぎり艦長 早乙女碧』

東えりか

対象書籍名:『護衛艦あおぎり艦長 早乙女碧』(新潮文庫)
対象著者:時武里帆
対象書籍ISBN:978-4-10-103841-4

 広島県呉市は造船の街として知られている。かつては“軍港”と呼び慣らわされ、「この世界の片隅に」の主人公・すずさんが海軍勤務の文官である夫と暮らした場所だ。現在、ここには海上自衛隊呉地方総監部があり、日本の海上防衛の一翼を担っている。
 新潮文庫初登場の時武里帆『護衛艦あおぎり艦長 早乙女碧』は、一般の人にはなじみの薄い海上自衛隊、そのなかでもさらに数少ない女性艦長を主人公にした小説だ。
 自衛隊内の階級や職種、装備などの名称を耳にしたこともないし、何をしているか知らない人がほとんどだろう。船の大きさや艦載砲などの武器も、多くの人は漠然としたイメージしかないと思う。だが一度、知らなかった世界を覗くと、日本の防衛に携わる人々の人間関係に魅了されていく。
 早乙女碧二佐、44歳。大学を出た後、江田島の海上自衛隊幹部候補生学校に入校したという変わり種である。卒業後は幹部となり、海上自衛隊歴は二十数年というベテランだ。呉に降り立ったのは第十二護衛隊の実働艦「あおぎり」の艦長を拝命したからである。
 碧は、6年前に1年間だけこの地で練習艦「むらゆき」の艦長をしていた。その後、市ヶ谷の防衛省での陸上勤務を経て、5年ぶりの艦艇勤務である。
 第十二護衛隊司令の堀田栄治一佐は気障でチャラチャラした感じがしなくもない。この隊は「あおぎり」のほか「おいらせ」「たま」の3艦で構成されており、主に沿岸防備を任務とする。「おいらせ」艦長の小野寺聖一は江田島で碧と同期。彼のアドバイスは碧の助けとなっていく。
「あおぎり」は、ゆき型護衛艦(昭和50年代に建造された型)を拡大改良した護衛艦で平成3年に建造された。基準排水量3550トン、全長137メートル。ガスタービンエンジンを4基搭載する。戦術情報処理装置OYQ-7のおかげで処理能力が高く、近代的戦闘指揮システムを搭載したシステム護衛艦のさきがけだ。その上、実戦を視野に入れた作戦要務に就くヘリコプターを搭載する実働護衛艦なのだ。
 久しぶりの艦艇勤務に就く碧も緊張しているが、初の女性艦長を迎える「あおぎり」側にも“女性”に対する思惑や遠慮がうかがえる。それは男性の多い職場での女性上司に対する態度とよく似ている。
 実は本書で初めて、海上自衛隊の女性隊員をWAVE(Women Accepted for Volunteer Emergency Service)と呼ぶことを知った。ちなみに陸上自衛官はWAC(Women’s Army Corps)、航空自衛官はWAF(Women in the Air Force)と呼ばれている。それぞれ海・陸・空と違いはあるものの、令和3年版防衛白書では女性自衛官は、令和3年3月末現在、約1.8万人(全自衛官の約7.9%)であり、10年前と比較して約3%増えており、令和12年度までに全自衛官に占める女性の割合を12%以上とすることを目標に立てている。とはいえ、まだ男性優勢の職場であり、WAVEの立場は弱い。碧の頭には現在活躍中の他の女性艦長の姿が次々と浮かぶ。
 昨今では女性管理職が主人公の小説も少なくないが、舞台が海上自衛隊の、それも護衛艦を預かるベテラン女性艦長ともなると他に例を見ない。碧は仕事一筋というわけでなく、自衛隊員同士の職場結婚の後、いわば「すれ違い生活」を理由に離婚し、ひとり息子を育て上げた。息子の航太はこの春からパイロットの父の後を追って航空学生となった。碧が職場と家庭で経験したこの二十数年は、女性労働者を取り巻く環境が劇的に変化した時代であり、それだけでも波乱万丈の小説になりそうだ。
 さまざまな経験を積んで「あおぎり」艦長に就任し、初めての出港である慣熟訓練の直前に事件は起きた。船務科のWAVE1名が未帰還なのだ。内海佳美三曹。大卒一般曹候補生出身の26歳独身で電測員として優秀だという。
 女性自衛官はそもそも採用人数が少ない分、狭き門を辛うじて潜り抜けてきた優れた人材だ。彼女たちが最も嫌うのは「やっぱり女性は駄目だ」という評価であり、それをさせまいとする意地もある。品行に問題ないという内海三曹の失踪には理由がある。異例ではあるが、艦長であり、かつWAVEの最先任でもある碧自らが捜索に当たることを決めた。
 普通の生活や会社の中でも、前例に無いことを行うには勇気と決断力、そして責任をすべて持つという覚悟が必要だ。だが、その仕事を全うできるのは自分だけだと確信したときに、行動に移せるかどうかで人としての器が決まる。
 碧が取った行動は、一つ間違えば就任したその日に解任になってもおかしくないものだった。ただ、その行動を支え、作戦成功に導くための助けが少しずつチームワークを築いていく、その過程は読んでいて心地よい。早乙女碧艦長の船出は前途多難であったが、間違いなく信頼は得られた。
 著者の時武里帆は早乙女碧と同じく、元海上自衛官である。物語のエピソードの多くは著者の体験に基づくものだ。退職後は「時武ぼたん」というペンネームで小説やWAVE時代の経験をもとにしたエッセイやノンフィクションを執筆していたが、満を持して改名し本書を書き下ろしたという。
 実は続編の発売も決まっている。本作を前編とすれば後編と位置付けられる『試練―護衛艦あおぎり艦長 早乙女碧―』では今回馴染みとなった乗組員たちの活躍が存分に楽しめる。もちろん早乙女碧艦長のお手並みも楽しみに。ぜひ第3弾も刊行して欲しいと願っている。


 (あづま・えりか 書評家)

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