書評・エッセイ

2022年4月号掲載

かなしみと、不思議なおかしみ

津野海太郎『かれが最後に書いた本』

佐久間文子

対象書籍名:『かれが最後に書いた本』
対象著者:津野海太郎
対象書籍ISBN:978-4-10-318534-5

『かれが最後に書いた本』は、読売文学賞を受賞した『最後の読書』に続く津野さんの読書エッセイだ。
 それより前に本の雑誌社から『百歳までの読書術』が出ている。『百歳まで……』を出したときの津野さんは七十七歳だった。このとき私は月刊誌でインタビューをしている。夏だったので、津野さんはトレードマークの、アロハにジーンズ姿で待ち合わせの駅前に現れた。
『最後の読書』が八十歳、この『かれが……』が出るころには八十四歳になる。かつて本のページをビリビリ破って持ち歩きながら読む人だった津野さんは、編集者の仕事から退いたのちは、机の前に座って本を読むことに新鮮な驚きを感じ、「祭り」と称して特定のテーマの本を集中的に読んだりもしていた。いまは、長く座っていると疲れるというので読書の場所はもっぱら寝室になり、ベッドで読む人になっている。
 二〇一四年、七十六歳のときに初めて入院を経験した、と今回の本に書かれていて、その年齢まで入院経験がなかったことにむしろ驚いた。それほど壮健だった津野さんも、最近は転倒して顔から流血したり、メッケル憩室(けいしつ)炎という珍しい病気が発見されたり、その結果、白内障がわかって手術を受けたり、熱中症にかかったりと、肉体の衰えを実感する場面が急増しているようだ。
 いきおい、本の重さにも敏感になるし、単行本が文庫になるのを待とうかと思ったりもするが、ケン・リュウ『紙の動物園』や劉慈欣『三体』といったSFの話題作にもすぐ反応していて、本を選ぶ動体視力はぜんぜん衰えていない印象を受ける。
 コロナ禍にカミュの『ペスト』を数十年ぶりに再読し、「いまはもうない幻の感染症」として書かれた同じ作品を、「いまここにある現実の感染症」として読む体験をする。津野さん自身の人生の長さが、作品に寓話性と記録性をあわせもつ多層性を与えている。自分が変わることで、本や映画との向き合い方もさまざまに変わっていくことも教えられた。
 死者の名前が数多く出てくる。演劇仲間だった樹木希林さんや、「思想の科学」の創始者だった鶴見俊輔さん。親しかった人たちが、この数年のあいだに次々、亡くなっていく。二十代からのつきあいだった作家の小沢信男さん、盟友平野甲賀さんを追悼する文章は、淡々と書かれていて胸に迫る。
 池内紀、阿奈井文彦、古井由吉、橋本治、和田誠、と亡くなった人の名前を挙げて「なんで私がこのリストに入ってないのだろう」と書く津野さんの文章には、かなしみと、不思議なおかしみの両方を感じる。
 本のタイトルの『かれが最後に書いた本』の「かれ」とは、たとえば二〇一九年に亡くなった加藤典洋さんであり、池内紀さんである。津野さんもそうだが、わたしはかつて勤めていた新聞社で、お二人とも担当していたことがあり、急逝は本当にショックだった。
 津野さんは、この本の中で、池内さんの『ヒトラーの時代』(中公新書)について、本に寄せられた批判も含めて取り上げている。
『ヒトラーの時代』を二〇二〇年最初に読む本として選んだ理由に、息子である中東研究者の池内恵さんが「中央公論」に発表した「書き手としての父・池内紀の死」を読み、同年輩の書き手として「切ない衝撃をうけた」ことがあったという。
 亡くなる一週間前まで正誤表をつくっていたことや、人生の終わりを予感した池内さんがこの本を書かざるをえなかった思いにも触れて、批判は批判として受け止めた上で書かれている。こういう書き方があったかと感じ入ったし、書き手であり、長く編集者であった津野さんの、本に対する誠実さが表れている気がした。


 (さくま・あやこ 文芸ジャーナリスト)

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