書評・エッセイ

2022年4月号掲載

私が歌詞で書きたいことは全てこの本に書いてある

東畑開人『なんでも見つかる夜に、こころだけが見つからない』

ヒグチアイ

対象書籍名:『なんでも見つかる夜に、こころだけが見つからない』
対象著者:東畑開人
対象書籍ISBN:978-4-10-354491-3

 8年前に新宿駅南口を一人歩いていたら声をかけられた。「すみません。アンケートに答えてくれませんか?」と。柔らかな表情の小柄な女性だった。自分で言うのもなんですが、声かけられにくい顔なんです、私。目はきついし、表情も柔らかくないし、歩くのも速い。それなのに声をかけてくる人は、よっぽど切羽詰まっているか私という人間にどうしても聞きたいことがあるのでは、と思い、時間があるときはなるべくアンケートには答えるようにしている。
 いくつかの質問に答えた後聞かれたのが「今、あなたは幸せですか?」という質問だった。私が、はい、と即答するとびっくりされた。幸せだと答える人は全体の2割にも満たないらしいのだ。アンケートに答えるような時間に余裕のある人が対象なのに。そのことがあってから、幸せとは何かをよく考えるようになった。
 考えてみれば、なぜ私は幸せなのだろうか。その頃、付き合っていた彼氏の度重なる浮気に心はすり減っていたし、今ほど音楽の仕事もなかった。未来はないし、お金もなかった。なのになぜか、幸せか、については迷わず幸せだと答えていた。なぜなのか。その答えが、実はこの『なんでも見つかる夜に、こころだけが見つからない』に書いてあったのです。驚きました。8年前の私の答えが見つかることもあるんだから。これだから、生きることはやめられない。
 でも、その答えを言葉にすると間違いになってしまうような気がするので書きません。ごめんなさい。それは、言葉にできない部分に幸せがあると思うからです。だから、私の幸せは私だけに理解できるようにこっそり胸の中に置かせてください(シンガーソングライターなのに、言葉にするのを放棄するのは少し気まずいのだけど)。でも、この本を読めばちゃんと自分なりの幸せを確認できるように手を引いてくれるから大丈夫です。そして言葉にできない、という意味も理解できるはず。
 言葉にすると、答えになってしまうことが多い。SNSのせいか、言葉の力は以前より強くなったような気がする。140字にするために削られた言葉、切り取られたニュースの見出し。どれだけ相手の気をひくか、の勝負を日々見せられている。言葉の責任は重い。書けば残るし、口で言ったことだって消せないからこそ永遠だ。
 私は日記にハマっていた時期があって、とにかくなんでもいいから毎日、あったことと感じたことを箇条書きでスマホに書いていた。何もやらなかった日でも無理矢理書いていると、自分が何者かであるような気がしたので、自己肯定感を上げたい人にはオススメしたい。でもある日、曲が全く書けなくなったことに気付いた。なぜこんなに書けないのだろうと考えていたのだが、答えは、日記を書いていること、だった。毎日を言葉にして、全てをスッキリさせる。その行為はとても気持ちよくて寝つきも良くなったし、考えることも少なくなった。でも、そうなると曲にするようなことがなくなる。誰かの心に寄り添うような弱さに気付かなくなる。ラーメンの上に浮く油みたいに、上澄みの言葉しか出てこなくなる。それに気づいてから日記を書くのをやめた。やめたからと言って、めちゃくちゃ曲が書けるわけではなかったけど(曲なんてものは書けないものなのだ!)、毎日小さな答えを出すことよりも、大きな気付きのために言葉にしないモヤモヤとした日々も大切なのだと知れたことがよかった。
『なんでも見つかる夜に、こころだけが見つからない』を読んでいると、夜な夜な一人で文章を考え、加筆修正を続けている自分の説明書に下線をひきたくなるような箇所がいっぱいあった。正直、私が歌詞で書きたいことは全てこの本に書いてある。これほどまでに、答えを出さないことを答えとして、言葉にできない部分を言葉にできる本があるのかと、心底驚いた。そして、こんな本が世の中にあってよかったとも思った。今この瞬間に発光し燃焼することが全てなのではなく、今病んでいる心がすぐにスッキリすることが全てなのではなく、長くなってもいいし一度ぐちゃぐちゃになってもいいから、生まれてから死ぬまでの一生を考えてくれる本がこの世に存在してくれて本当によかった。
 私は日々思う。一番大切なのは、仕事でもなく恋人でもなく家族でもなく、あなたが、私が、生きることなのだ。生き続けることが一番大切なのだ。ルービックキューブのように、全面揃えるために全てを一度壊すことも必要なのだ。いつだって自分のためだけに時間を使ってあげてほしいし、たくさん考えてあげてほしい。ぜひ『なんでも見つかる夜に、こころだけが見つからない』と共に、夜の航海へ出発してほしい。怖いことは何もない、とは言えない。それでも、明けない夜はないから。


 (ひぐちあい シンガーソングライター)

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