書評

2022年4月号掲載

漫画にできそうな2タイプのハレムの住人

小笠原弘幸『ハレム 女官と宦官たちの世界』(新潮選書)

篠原千絵

対象書籍名:『ハレム 女官と宦官たちの世界』(新潮選書)
対象著者:小笠原弘幸
対象書籍ISBN:978-4-10-603877-8

 大変興味深く面白かった。

 ハレムに関してこれほどまとまって日本語で読める本は初めてではないだろうか。

 浅学ゆえ日本語しか読めず、日本語で書かれたオスマン帝国史や中東史の本も限られるうえ、その中でハレムに関しての記述はさらに少ない。今まではそれを拾い集めて読んでいたので、これだけのボリュームを一気に読めたのは快感ですらある。

 ハレムの記述は、オスマン帝国で刊行されてきた同時代の書物にもなかなか残っていないと聞く。記録でさえも帷(とばり)の奥から出すのはタブーだったのか、あるいは、記録を記す能力のある者にとってハレムでの出来事などは記すにも値しない存在だったのか。真相はわからないが、残念なことである。
 限られた文献を拾い読みして想像していたハレムは、さすがに統治者が酒池肉林に溺れる快楽の場……とは思ってはいなかったが(漫画的なデフォルメとしては大変面白いのだが)、では具体的に内部ではどういう暮らしが営まれていたのかについては、漠然とした知識しか得られていなかったので、ついに解答を得たようで本当に興味深く面白かった。
 ハレムは王家の血を継(つ)なぐために最適化されたシステムで、そこで生きる者にとっては、ときに非情であったり、また愛憎渦巻く場であったのだろうが、本書は(研究書なのであたりまえだが)冷静に俯瞰しているのが有難い。
 漫画家に創造の余地を残してくださっているのだ。

 女官や宦官たちについての記述も魅力的だが、個人的には特に次の2タイプのハレムの住人に興味を持った。
「王子を産んだスルタンの妻妾は、スルタンが存命のあいだ息子ともどもトプカプ宮殿のハレムで暮らした。しかし夫たるスルタンが死去し、みずからの王子が即位しなかった場合、王子はトプカプ宮殿のハレムに残され、その母のみが旧宮殿に移り住んだ。(中略)息子がいつ即位するかもわからないまま、何年も、場合によっては数十年待った者もいたのである」(143頁)
 スルタンの皇子を産んだ妻妾たちは、その息子が即位するまで長く隠遁生活をおくることになるのだ。むろん即位しなければ、基本的に隠遁したまま生涯を終える。
 もうひとつはスルタンの皇女たちだ。
「結婚後はイスタンブル市内やボスフォラス海峡沿いの海辺の館を与えられ、そこで過ごすことが多かったようだ。(中略)夫が亡くなると、再婚せずに気ままに暮らす王女も少なくなかった」(161頁)
 常に緊張感と共に生きているらしい皇子たちとは対照的な暮らしである。
 どちらもとても魅力的な設定だ。
 前者は内面的な人間ドラマとして単行本10巻くらいの連載。後者はハレムガイド的な明るい読み切りシリーズ漫画などにしたら面白そう、などと妄想をめぐらせながら読了した。

 謎に包まれた芳(かんば)しい帷の奥に興味のある方にとっても、権力者がみずからの血統を残すためのシステムに興味がある方にとっても、本書は必読の書であると思う。
 ハレムを舞台にした拙作(漫画「夢の雫、黄金の鳥籠」)もすでにコミックスで16巻に達しているが、できれば連載を始める前に本書を読みたかったとしみじみ思う。


 (しのはら・ちえ 漫画家)

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