書評

2022年4月号掲載

川端康成没後五十年 幻の作品文庫化&新装版

川端康成『少年』ほか

新潮文庫編集部

対象書籍名:『少年』(新潮文庫)
対象著者:川端康成
対象書籍ISBN:978-4-10-100106-7

 一九七二(昭和四十七)年四月十六日、川端康成が亡くなりました。享年七十二。ノーベル文学賞作家の孤独な自死は、日本のみならず世界中に衝撃を与えました。
 そして今年四月十六日は、川端の死から五十年の節目に当たります。このタイミングに合わせ、これまで全集でしか読めなかった川端康成の幻のBL作品『少年』が文庫化されました。
 川端作品といえば『伊豆の踊子』や『古都』など、「美しい女性」が登場するイメージが強く、BLということに驚かれる方も多いと思いますが、さらに衝撃的なのは、この作品は川端本人の経験が下地になっているということです。
 少年時代の川端が「ヤングケアラー」ともいえる悲惨な暮らしをしていたことは、あまり知られていません。
 大阪市天満此花町に生まれた川端は、幼くして父母を亡くし、七歳にして祖父と二人で暮らすようになります。家計は貧しく、旧制茨木中二年生の時は、学校から帰ると病中の祖父を介護し、世話をする日々。尿瓶の底に響く小水の音を「谷川の清水の音」と表現した感性の持ち主でしたが、客観的にみれば、まさしく「ヤングケアラー」の典型でした。介護の甲斐もなく祖父が死ぬと、文字通り独りになった川端は十六歳にして中学の寄宿舎に入り、卒業までここで過ごすことになります。
 十代の川端が、孤独と屈折を抱えていたことは想像にかたくありません。そんな川端の前に現れたのが、同室の美しい後輩「清野少年」でした。あくまで創作なのですが、川端は作中で、二人の関係を赤裸々に書いています。

――お前の指を、手を、腕を、胸を、頬を、瞼を、舌を、歯を、脚を愛着した。
――床に入って、清野の温い腕を取り、胸を抱き、うなじを擁する。清野も夢現(ゆめうつつ)のように私の頸(くび)を強く抱いて自分の顔の上にのせる。私の頬が彼の頬に重みをかけたり、私の渇いた脣(くちびる)が彼の額やまぶたに落ちている。

 うなじも唇もゆるしあっていた川端と少年。しかしある出来事をきっかけに、少年と会うことを完全に止めてしまいます。川端二十二歳の夏、京都嵯峨でのことでした。
 川端は作中で、自分の心を次のように吐露しています。

――幼少から、世間並みではなく、不幸に不自然に育って来た私は、そのためにかたくななゆがんだ人間になって、いじけた心を小さな殻に閉じ籠らせていると信じ、それを苦に病んでいた。人の好意を、こんな人間の私に対してもと、一入(ひとしお)ありがたく感じて来た。そうして、自分の心を畸形(きけい)と思うのが、反って私をその畸形から逃れにくくもしていたようである。

 自分の心を「畸形」と書く、痛ましく淋しい自己認識。「清野少年と暮した一年間は、一つの救いであった。私の精神の途上の一つの救いであった」とも書いています。
 ではなぜ、あれほど愛した少年との交流を絶ったのか。川端の孤独な魂にとって「少年」とはなんだったのか。そしてなぜ後年、五十歳になった時に小説として『少年』を書くことにしたのか――。
『伊豆の踊子』は、十九歳、一高生となった川端が、伊豆旅行をしたときに旅芸人の一行と道連れになった経験を下地としています。『少年』で描かれている寄宿舎生活は、それに先んじる十六歳からの旧制中学でのこと。青春時代を経て、長らく封印されていた『少年』には、川端文学の原点が描かれているのです。
 作家の精神の謎は容易に解けるものではありませんが、そんな『少年』にこそ、もしかしたら五十年前の自死の謎を考える手がかりが隠されているのかもしれません。

 川端没後五十年に合わせ、新潮文庫では今年の三月下旬~六月にかけ、『雪国』をはじめとした川端作品(十三書名)のカバーを新装していきます。
 新カバーを飾っているのは、すべて版画作品です。日本の現代版画を国内外に紹介する展覧会「CWAJ現代版画展」の出品作でまとまりました。そこには幽玄な伏見稲荷や懐かしい田舎道など、まるで川端文学の美しさと温もりを写し取ったかのような風景が広がっていました。海外でも高い評価を得ているこれら版画作品は、世界各地で読まれている川端作品に新たな息吹を吹き込むことでしょう。
 また、文庫巻末の解説についても、旧来のものに加え、順次新解説を加えていくことが決定しています。三月末の第一弾では『山の音』で辻原登さん、『掌の小説』で小川洋子さんが新解説を執筆。日本の「美」を文学として結晶化した川端康成。これを機に、かつて読んだ人も、初めて読む人も、今なお色あせない川端作品をお楽しみください。

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