書評・エッセイ

2022年5月号掲載

七代目市川團十郎の気概

仁志耕一郎『咲かせて三升の團十郎』

末國善己

対象書籍名:『咲かせて三升の團十郎』
対象著者:仁志耕一郎
対象書籍ISBN:978-4-10-354521-7

 市川團十郎は、初代が超人的な力を持つ勇者の豪快な演技「荒事」を取り入れて以来、歌舞伎界の大名跡として現代に至っており、新型コロナ禍で延期中の十一代目市川海老蔵の十三代目市川團十郎白猿襲名披露公演がいつになるかも注目を集めている。本書は、四代目鶴屋南北作『東海道四谷怪談』の二枚目でありながら冷酷非道な民谷(たみや)伊右衛門役で「色悪」という役どころを確立し、市川宗家のお家芸として十八の演目を『歌舞妓狂言組十八番』(通称「歌舞伎十八番」)としてまとめるなど、江戸で町人文化が華開いた化政期に活躍した七代目市川團十郎の波瀾の生涯を描いている。
 多くの女性と浮き名を流し大金を稼いだ「色と欲」に彩られた七代目の人生を丹念に追っているが、初の芸道ものに挑んだ仁志耕一郎は、派手な七代目の人生の裏には幾つもの戦いがあった事実を掘り起こしている。それだけに、最後までスリリングな展開が楽しめるはずだ。
 まず若き日の七代目が直面するのは、三代目尾上菊五郎との確執である。火事で女房と長女を亡くした七代目は、後に「歌舞伎十八番」に選ばれる「助六」を、菊五郎が断わりなく演じたことに激怒。しかも両方を観た辰巳芸者のおすみに、七代目の「助六」は本物でないと批判されてしまう。菊五郎と手を携えて江戸歌舞伎を発展させたい七代目だが、早く芸を高めたい焦りもあってなかなか和解できない。共に才能があり江戸っ子を二分するほど贔屓も多いだけに簡単に折れられない七代目と菊五郎の関係が、前半を牽引する鍵になっていく。
 次いで七代目を悩ませるのは、三代目坂東三津五郎の妻ながら、五代目瀬川菊之丞ら多くの役者と密通したお伝の存在である。お伝の悪女ぶりはフィクションのようだが実在の女性で、有名な役者と関係を持った影響力を使って歌舞伎の演目や役者の襲名にも口を挟み出し、七代目はお伝に掻き回された歌舞伎界を正常に戻すべく奔走する。ただ七代目も清廉潔白ではなく、おすみを女房にしたのに、贔屓筋への義理があったとはいえ大坂と長崎で女を囲い、おすみと修羅場を演じることもあった。当時の役者にとって女遊びは“芸の肥やし”と見なされていたと思っていたが、正妻を蔑ろにするような遊びは瓦版でバッシングされ、ファンも批判的だったとの指摘は、現代と変わらないだけに興味深かった。
 七代目は天才でスーパースターだが、協力して業界を盛り上げていかなければならない同業者を過剰に意識したり、女遊びや子供の教育方針をめぐって妻と対立したりするところは、等身大の職業人、家庭人と変わらない。そのため、七代目の葛藤に、共感する読者も少なくないように思えた。
 そして本書のラスボスといえるのが、奢侈禁止と風俗取締りなどからなる天保の改革を進め、寄席や芝居など庶民の娯楽を目の敵にした鳥居耀蔵である。耀蔵によって江戸三座は江戸郊外の浅草に移転させられ(これが猿若町になる)、七代目は江戸払いの処分を受ける。役者から滲み出る艶や色気を意味する「仁(にん)」を磨く七代目と、人を思いやる儒学の「仁」に基づき困窮する庶民を助けようとした大塩平八郎を見下し、貨幣改鋳というマネーゲームで濡れ手で粟を目論む耀蔵を対比した著者の着眼点も秀逸である。
 江戸を追われた七代目は地方を転々としていたが、「御赦免」が下ったあとには八代目を譲った息子が自殺した。歌舞伎評論家の戸板康二が直木賞を受賞した『團十郎切腹事件』は、八代目が自殺した理由に迫るミステリだったが、著者も独自の解釈でその謎に切り込んでおり、二作を読み比べてみるのも一興だ。
 黒船来航で世情が騒然とした幕末は、物価上昇、地震、流行病なども庶民を苦しめた。こうした世情に背を向けた幕府の要人が私腹を肥やす状況が現代と重なるだけに、江戸っ子に夢と希望を与えるため、女難と借金で泥にまみれながら舞台に立ち続けた七代目の気概は痛快に思えるのではないか。
 著者も世の不条理と戦った七代目を描くことで、暗い現代社会に一石を投じており、その心意気にも注目して欲しい。


 (すえくに・よしみ 文芸評論家)

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