書評・エッセイ

2022年5月号掲載

仕事の現場では情熱が何にも勝る武器

内多勝康『53歳の新人 NHKアナウンサーだった僕の転職』

栗下直也

対象書籍名:『53歳の新人 NHKアナウンサーだった僕の転職』
対象著者:内多勝康
対象書籍ISBN:978-4-10-354541-5

 50代は難しい。アラフォーの私が偉そうに語るのもおこがましいし余計なお世話だろうが、どう考えても大変そうだ。最近は「人生100年時代」とよく言われるが、そんなつもりで働き始めたわけではない。社会に出た頃は景気が良かったのに、それ以降、右肩下がり。自分に何の罪もないのにバブル世代と括られ、下の世代からお気楽だと糾弾される。組織にいれば、それなりの立場と待遇があるが、だからこそ、自分の意思を貫くのはハードルが高い。とはいえ、今更、リスクを負って新天地を求めるのはさらに困難だろう。「このまま定年まで何とかなるはず」と思うも、何の根拠もなく神頼み。ああ、どうしよう……と嘆きたくなる人に是非読んで欲しい一冊だ。
 著者は元NHKアナウンサー。情報番組『生活ほっとモーニング』での人なつっこい笑顔は誰もが一度は見たことがあるはずだ。
 最近、見かけないなと思っていたが、本書を読んで驚いた。2016年に30年勤務したNHKを離れ、53歳での転身を図っていた。新しい職は、人工呼吸器など日常的な医療ケアが必要な子供(医療的ケア児)や家族のための短期入所施設の責任者。アナウンサー時代とは一変し、事業計画を作成し、寄付金集めに奔走し、なれないパワーポイントで資料を作成する。「華やかな安定した職場から、なぜ」と私でなくても思うはずだ。
 畑違いの転職というわけではない。福祉関係を長く取材していて、社会福祉士の資格も通信教育で取得して知識もある。ただ、それは定年後の人生を考えてのことだった。
 2013年に『クローズアップ現代』で医療的ケア児の親たちの苦悩を取材する。この時の経験が転職のひとつのきっかけになったと振り返っているが、全てではない。当たり前だ。社会の矛盾に衝撃を受けて会社を辞めていたら、日本中のメディア人が毎日会社を辞めなければいけない。
 組織の中でどう生きるかに誰もが一度は悩んだことがあるはずだ。社歴を重ねるにつれ、求められる役割と自分のやりたいことにどう折り合いを付けるかに悩む。そのバランスが取れなくなった時に人は決断する。著者も自ら取材して放送できる環境に満足していたが、いつまでも第一線でキャスターを務められるわけではない。組織としては継続的に人材を育成しなければいけないし、管理職も必要だ。「料理もしない俺が、なんでエプロン姿で『きょうの料理』の担当なんだ」という叫びに共感する人も多いだろう。
「といっても、不満を抱えながら生きるのがサラリーマンでしょ」といった声も聞こえてきそうだ。実際、天下のNHKに50過ぎまでいて、辞める決定打はない。そうした中、何が背中を押したのか。
 くわしくは本書に譲るが、人生は偶然に左右される。著者は柔和なイメージからは想像しにくいが、飲んで愚痴をいってスッキリするのがストレス解消だった。ある日、いつものようにぼやいていると、思わぬ提案をうける。本人は飲み屋の与太話のつもりで、NHKを辞める気はないんだけどなと思いながらも、あれよあれよと転職が決まる。偶然とは、たまたま起きたが、起きないこともありえたわけで、なぜ起きたかを突き詰めると、必然へと裏返る。組織人として仕事をこなしながらも、自分の関心に忠実であることを常に忘れない。その積み重ねが、本人も予想していなかった人生を切り開く。
 53歳での転職の難しさも包み隠さず記されている。
 慣れない事務作業、専門用語が飛び交う会議、毎日の放送に向き合うのが仕事だったのに、何年も先の事業を考えなければいけない時間軸の違い。右往左往する様が描かれているが、一方で、そうしたスキルは、社会を変えていきたいという強い思いの前では大きな問題ではないことがわかる。仕事の現場では何歳になっても情熱は何にも勝る武器だと教えてくれる。
 50代という年齢を人生でどう位置づけるか。孔子は「五十にして天命を知る」と言ったが、この天命は古来、2つの解釈が知られている。ひとつは天に与えられた使命であり、もうひとつは逆らうことができない運命だ。運命の受け入れ方は人によりさまざまであるが、多くの人は50代になると「いまのこの境遇は俺の運命だ」と悟った顔で現状を受け入れ、全てを諦めてしまう。だが、不確実性が高い現代では天才以外は先など見通せない。運命は決まっているかもしれないが多くの人には見えない。著者のように、目の前にある問題に全力で対処する、好奇心にのってまずやってみる。不遇から逃れようともがく姿はみっともないが、もがかないと何も始まらない。格好悪くたっていいじゃない。それが「人生100年時代」を軽やかに生き抜くヒントなのかもしれない。


 (くりした・なおや 記者/書評家)

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