書評

2022年5月号掲載

妄執、11時の悪魔、気狂いピエロ

山田宏一

対象書籍名:『気狂いピエロ』(新潮文庫)
対象著者:ライオネル・ホワイト/矢口誠訳
対象書籍ISBN:978-4-10-240191-0

 フィルムの劣化が進むなかで映画史の名作が次々にデジタル(4Kやら2Kやら)でレストア(修復)されつつある。人間や組織なら若返り(restore youth)ということになるのだろうが、映画はフィルムの傷を取り除いたり色彩の調整をしたりノイズ(雑音)を消したりして元の画質や音質をより精細によみがえらせる作業になる。
 ジャン=リュック・ゴダール監督、ジャン=ポール・ベルモンド主演の二本の名作、ヌーヴェル・ヴァーグ(新しい波)の金字塔的作品になった『勝手にしやがれ』(一九五九年、ゴダールは二十八歳、ベルモンドは二十六歳だった)とヌーヴェル・ヴァーグの頂点をきわめた『気狂いピエロ』(一九六五年)が、こうして、また、二〇二二年に劇場で見られることになった。二〇二一年九月に八十八歳で亡くなった国民的スター――映画俳優としては異例のフランス政府主催による国葬が営まれた――ジャン=ポール・ベルモンドの追悼上映の一環でもあろう。『勝手にしやがれ』は一九六〇年にパリで初公開されてセンセーショナルな映画的事件になって以来六十年目の、二〇二〇年の4Kレストア版、『気狂いピエロ』は二〇〇〇年にアメリカのクライテリオン社から一九六〇年代のゴダール作品がビデオ化されて発売されたときに撮影監督のラウル・クタール(『男性・女性』を除く「六〇年代ゴダール」のすべての長篇作品のキャメラを担当した)の監修によって美しく鮮明な画面が再生された修復版を基本にした二〇一五年の2Kレストア版である。そんなさなかに、『気狂いピエロ』の原作として知られる(というよりも、むしろ知られざる)ライオネル・ホワイトの小説が翻訳、出版されることになった。訳者は矢口誠(これ以上の適役は考えられない訳者だろう)。もちろん、本邦初訳である。

気狂いピエロ_1
 ゴダールは――ゴダールばかりでなく、ヌーヴェル・ヴァーグは――即興的な映画づくりで知られ、原作があってもその痕跡をとどめないまでに換骨奪胎してしまう映画化とみなされて、『気狂いピエロ』の原作についても語られたことはほとんど(どころか、まったく)なかった。ただ、ゴダール本人は、一九六四年に『はなればなれに』を撮ったときに、「ル・モンド」紙だったか「ル・コンバ」紙だったかのインタビューで、次回作は『11時の悪魔』(というのがライオネル・ホワイトの小説『Obsession(妄執)』のフランス語版の題名だった)の映画化になるだろうと語っていたと思う。そのころ注目されていたアメリカ映画の気鋭の監督、スタンリー・キューブリックの「とりたてて独創的とも言えない」ギャング映画『現金(げんなま)に体を張れ』(一九五六年)の原作者の『ロリータ』風の小説だとゴダールは述べていたが、一九六二年にナボコフの小説『ロリータ』を映画化したスタンリー・キューブリックの作品が「思いがけず的確な台詞(せりふ)による単純で明快な映画」であることにおどろき、そんなこともあってか、ライオネル・ホワイトの『ロリータ』風の小説の映画化が彼自身の妄執のようなものになっていたのかもしれない。ロリータ的小悪魔の役にはまだ二十歳になるかならないかくらいの人気絶頂のアイドル歌手、シルヴィー・ヴァルタンを、ロリータ的悪女に魅せられて破滅していく中年男の役にはリチャード・バートンを考えているとも語っていた。いや、この配役で映画化する予定で一九六四年の初めに映画化権を買い取ったが、シルヴィー・ヴァルタンにはことわられ、リチャード・バートンはすっかり「ハリウッド化」してしまっていて、この配役による映画化はあきらめざるを得ず、その代わりに同じセリ・ノワール(暗黒小説叢書(そうしょ))の一冊、ドロレス・ヒチェンズの『愚者の黄金(FoolsGold)』をフランソワ・トリュフォーが「面白いぞ」と言って貸してくれたのを読んで、映画化権もわりと安かったので買い取って(たしか映画のエンドマークとともに「原作の『FoolsGold』はニューヨークのダブルデイ社およびパリのガリマール社から出版、発売中」みたいな一枚タイトルの広告付きだったから、映画化権は「わりと安かった」というよりバーターで、広告の交換にタダ同然だったのかもしれないが)「わたしなりに脚色して」撮ったのが『はなればなれに』だったとのこと。週刊紙「レ・レットル・フランセーズ」(一九六四年五月十四‐二十日号)のインタビューでは、こんなふうに語っている。「フランソワはセリ・ノワールのすべての小説を読んでいて、この小説を貸してくれたのも彼です。わたしは企画の種が切れると彼に会いに行く。そのつど彼はアイデアを与えてくれ、わたしはそれが自分のために役立ち、自分の血肉と化すまで、手直しをし、すべてにわたって手を加える。『勝手にしやがれ』も『女と男のいる舗道』もそうでした」。
 映画批評誌「カイエ・デュ・シネマ」の同人だった時代から、短篇映画の共作(一九五八年、ゴダールの『シャルロットとジュール』のナレーション・台詞をトリュフォーが書き、トリュフォーが撮影した『水の話』を編集して完成させたのはゴダールだった)、そして一九五九年、ゴダールの長篇映画第一作『勝手にしやがれ』は三面記事にヒントを得たトリュフォーのオリジナル・ストーリーの映画化だった……といったように、ゴダールとトリュフォーはお互いに意識し合い、刺激し合い、尊敬し合って最も親密な付き合いをしていた。まさに同志、盟友だったのである。一九六八年の五月革命をきっかけに骨肉相食(あいは)むがごとき大喧嘩のあと袂別(けつべつ)する二人だが、「当時のわたしたちは映画同人誌「カイエ・デュ・シネマ」の仲間として、しょっちゅう会って話し合ったり、いっしょに行動していたので、どの作品も共感と共通の体験にもとづく共同作業といった感じでした」とトリュフォーも述懐している。「ゴダールとわたしは、映画づくりに関して、お互いに何をやるかを気にかけ、注目し合い、話し合い、シナリオもお互いに読み合って、よし、それならこんどはこっちはこうやるぞとかいったぐあいにやり合ったものです。アイデアを譲り合ったりもしました。『勝手にしやがれ』のときにゴダールからこんな手紙をもらったことを思いだします。わたしは『ピアニストを撃て』を準備中で、シャルル・アズナヴールを主役に起用するつもりでしたが、まだ契約をしていませんでした。ゴダールからの手紙は「やっぱりアズナヴールを使うつもりかい? もし使わないなら、ぜひ『勝手にしやがれ』に使いたいんだが……」というような文面でした。わたしは『ピアニストを撃て』にアズナヴールを使うことに決めて契約しました。「もしきみがアズナヴールを使うなら、『勝手にしやがれ』には別の若い俳優を使うことにするよ」とゴダールは言い、ジャン=ポール・ベルモンドを起用することになった。一九六八年の五月までは、わたしたちはとても仲よく付き合っていました。しょっちゅう会ったり手紙を書いたりして情報交換したり企画を語り合ったりしていた。わたしがSF映画『華氏451』の企画の実現に手間取っていたとき、ゴダールがやはりSF映画『アルファヴィル』を企画して、脚本を読んでくれといって見せてくれたのですが、そのラストシーンはアルファヴィルという都市の爆破になっていた。『華氏451』のラストも都市の爆破シーンになるので、わたしはゴダールに、これではどちらもそっくり同じ結末になってしまうぞと言ったのです。ジャン=リュックは、友情から、わたしの映画のために、『アルファヴィル』のラストの爆破シーンをカットした。ところが……いろいろな事情で、『華氏451』のラストの爆破シーンも撮れなくなり、結局、どちらの映画からも爆破シーンがなくなってしまったのです」。

気狂いピエロ_2
『気狂いピエロ』についても、「ゴダールはわたしの『突然炎のごとく――ジュールとジム』を彼に対する一つの挑戦とみなし、自分もいつかジュールとジムの物語を撮ろう、美しい自然の風景のなかで大きなひろがりのある物語を撮ってみよう、と言っていたものです。『気狂いピエロ』がその答えでした。『突然炎のごとく』でジャンヌ・モローが歌ったシャンソン『つむじ風』を作詞作曲したセルジュ・レズヴァニ(バシアクのペンネームで知られる)に新しい歌を注文してアンナ・カリーナに歌わせたりしたのも、そんな理由からです。『気狂いピエロ』はゴダール流のジュールとジムの物語だったのです」。
『突然炎のごとく』は一九六二年の作品だから、ゴダールは、ライオネル・ホワイトの『ロリータ』風の小説に出合う前から、『気狂いピエロ』の構想を抱いていたことになる。ライオネル・ホワイトに直接会って『妄執』の映画化権を得て、リチャード・バートンとシルヴィー・ヴァルタンのカップルに代えてジャン=ポール・ベルモンドとアンナ・カリーナのカップルで撮ることになって「すべてが変わった」とゴダールは語っているが、「美しい自然と抒情性」が印象的なジャン=ジャック・ルソーの書簡体小説『新エロイーズ』やゲーテの叙事詩『ヘルマンとドロテーア』の恋物語に近い物語になるだろうとも語っているから(アラン・ベルガラ『六〇年代ゴダール――神話と現場――』、奥村昭夫訳、筑摩書房リュミエール叢書)、トリュフォーの『突然炎のごとく』へのゴダール的な挑戦に立ち帰ったのかもしれない。いろいろな刺激をうけ、すべてに敏感に反応してイメージをふくらませながら映画をつくり上げていくのがゴダール流の即興でもあったのだろう。
「わたしはシナリオを書くことをしない。撮影の段階で適宜に即興していく。ところでこの即興は、あらかじめ内面で深められていた作業の結果でしかなく、集中力を前提としている。事実、わたしは撮影の時にだけ映画を作るのではなく、夢想する時、食事する時、読書する時、みんなと話をする時にも映画を作っているのだ」(『ゴダール全集4 ゴダール全エッセイ集』、蓮實重彦、保苅瑞穂訳、竹内書店)というのがゴダールによるゴダール的即興の定義と言っていいだろう。
 アンナ・カリーナは、ゴダールの即興について「ジャン=リュックが台詞をその場でどんどん変えるなんてことはなかったし、その場で思いつきの演出をしたことなど一度もない」と言った。「シーンを周到に準備して、キャメラ・リハーサルも何度もおこないました。とくに『気狂いピエロ』のときはミッチェルという大きな重いキャメラで撮っていましたから即興演出なんて不可能でした。それに同時録音撮影ですからね。即興なんて絶対無理です。演技リハーサルもきちんと何度もやって本番でミスが出ないようにしていた。即興なんていう簡単なものではなかった。効率よく早撮りするのがジャン=リュックのやりかたでした」。
『気狂いピエロ』は一九六五年五月に撮影に入ったが、題名はまだ決まっておらず、というか、《暗黒叢書(セリ・ノワール)》で出版されたライオネル・ホワイトの原作のフランス語題と同じ『11時の悪魔』の題で進行していた。『Le Demon de 11 heures』というのがフランス語の題名で、「十一時(onze heures)」が算用数字(というか、アラビア数字)で「11時」となっているのはたぶんフランス語特有の「連音」の表記で「Le Demon d’onze heures」と字の肩に省略の記号アポストロフィを付ける表記になるのを避けるためだろうと思い、ついでに特別の意味があるのかどうか、いつもながらフランス語のことでお世話になっている学習院大学フランス語圏文化学科教授の中条省平氏にうかがってみたところ、「一般論しか申し上げることができませんが」と、いきなり、「onze heures」を用いた熟語として「bouillon d’onze heures」(直訳すれば「十一時のスープ」ぐらいだろうか)という表現があって、「毒の入った飲み物」という意味になると教えられて仰天してしまった。ここからの類推で「11時の悪魔」とは「隠された悪の素」「日常生活に潜む悪の衝動、きっかけ」のような意味で使うことが可能なような気がするのですが……というのだ。
《暗黒叢書(セリ・ノワール)》そのものがそんな毒々しい洒落(しゃれ)っ気のある犯罪ミステリー小説の集成シリーズのような気がする。血なまぐさい犯罪やスキャンダラスな姦通(かんつう)などあくどい三面記事ばかりを特集した「デテクティヴ」という週刊紙と同じように《暗黒叢書(セリ・ノワール)》を愛読していたフランソワ・トリュフォーに、そこから『柔らかい肌』(一九六三年)のような姦通をテーマにした繊細な傑作が生まれた秘密をたずねると、「とくに映画で死を描くときの参考になるので興味深く読んでいるだけで……」と照れながら口ごもっていたけれども、リアルでなまなましい三面記事と同じようにノワールなアメリカン・スタイルの犯罪ミステリー小説をヌーヴェル・ヴァーグの偏愛的とも言える映画的宝庫とみなしていたことは間違いない。デイヴィッド・グーディスをダシル・ハメットをしのぐミステリー作家と偏愛的にみなしていたフランソワ・トリュフォー監督の『ピアニストを撃て』(一九六〇年)やスタンリイ・エリンの『ニコラス街の鍵』を映画化したクロード・シャブロル監督の『二重の鍵』(一九五九年)がこうして生まれた。
 フレイドン・ホヴェイダの『推理小説の歴史はアルキメデスに始まる』(三輪秀彦訳、東京創元社)には《暗黒叢書(セリ・ノワール)》の監修者マルセル・デュアメルのこんなマニフェストが引用されている。いわく、「《暗黒叢書(セリ・ノワール)》の各巻は誰が手にしても危険がないというわけではない。シャーロック・ホームズ流の謎解きがお好きな読者は、しばしば引き合わないと思うだろう」「背徳性は、この叢書ではお上品な感情、さらには無道徳そのものとまったく同様に、大きな顔をして居坐っている。画一的な考えの持主はめったに登場しない。警官たちが追いかける悪人どもよりもっと腐敗している場合もある。好感の持てる探偵が必ずしも謎を解決しない。時には謎が存在しないこともある。さらには時として、探偵がぜんぜんいないことさえある」「ではいったい何があるのか。そこで、後に残るのは行動であり、苦悩であり、暴力であり……殴り合いであり殺しである」「いい映画に見られるように心の状態は行為によって表現される」「そこにはまたふしだらな情欲の、むしろけだものじみた愛情とか、容赦なき憎悪など、文明社会ではまったく例外的にしか見られないさまざまな感情が登場する」「要するに、われわれの目的はごく単純である。諸君の眠りを邪魔したいのだ……」。
『11時の悪魔』の題で撮られていたジャン=リュック・ゴダールの十本目の長篇映画は、アンナ・カリーナがジャン=ポール・ベルモンドを、レイモン・クノーの破天荒な構成の小説『わが友ピエロ』の、日常生活では愚かしい失敗ばかりくりかえす貧しいお人好しの主人公のようにピエロと呼び、「やさしくて残酷/現実的で超現実的/恐ろしくて滑稽/夜のようで昼のよう/月並で突飛/すべてが最高」というジャック・プレヴェールの詩を捧げて、「だから気狂いピエロ!」としめくくり、即興的に『気狂いピエロ』というタイトルになったような印象をうける。『Pierrot le fou(気狂いピエロ)』というタイトルは実はそのずっと前からゴダールの頭にあったにちがいないが、面倒なことにすでに通称気狂いピエロという犯罪史上名高い人物が実在していた。第二次世界大戦中、ナチ占領下のフランスで悪名を馳せたギャングのボスで、本名ピエール・ルートレル。一味は派手な銀行強盗を重ね、一九四六年十一月に気狂いピエロが殺されるまでつづけられた。暗黒街出身の作家・映画監督、ジョゼ・ジョヴァンニがこの実在した犯罪者をモデルに書いた小説『気ちがいピエロ』が日本でも出版されているが、ロジェ・ボルニッシュという判事上がりのミステリー作家による実録小説もあり、その映画化の企画が進んでいた。結局、企画は競合することなく、ゴダールの『気狂いピエロ』のあと、それも一九七六年になってから、実在の気狂いピエロを主人公にしたほうは映画化されることになった。日本でも公開されたジャック・ドレー監督の『友よ静かに死ね』である。フランス語の原題はずばり『ギャング(Le Gang)』。気狂いピエロを演じたのはアラン・ドロンであった。役名は、たぶんジャン=ポール・ベルモンドの気狂いピエロ(Pierrot le fou)に遠慮してか、それとは別物・別人であることを示すためか、「いかれたピエロ」ぐらいの意のPierrot le dingueになっていたと思う。
 ジャン=ポール・ベルモンドが演じた気狂いピエロは、愛に狂った男である。愛は死に至る病だ。愛のために女を殺し、身の破滅を招く。アンナ・カリーナの赤いワンピースが血の色に見えてくる。「血ではなく、赤なんだ」とゴダールは言う。赤が妄執(オブセッション)のように歌う。失われた愛を求めて、真っ赤な太陽が沈んで海にとけこみ、消え去っていく、はかなくも美しい一瞬の水平線のかなたに、見出された永遠とは死にほかならないのだが(アルチュール・ランボーの詩句が死によってしか結ばれないカップルの対話のように密(ひそ)やかに朗誦される)、なんとロマンチックな映画だろうと見るたびに思う。

 (やまだ・こういち 映画評論家)
  ※新潮文庫『気狂いピエロ』解説より

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