書評

2022年7月号掲載

異類婚姻譚史上、最高の恋

藍銅ツバメ『鯉姫婚姻譚』

大森望

対象書籍名:『鯉姫婚姻譚』
対象著者:藍銅ツバメ
対象書籍ISBN:978-4-10-354661-0

「ね、おたつね、孫一郎と夫婦になってあげようと思うの。嬉しいでしょう」
 日本ファンタジーノベル大賞2021を受賞した藍銅(らんどう)ツバメのデビュー作『鯉姫婚姻譚』はこんな台詞で幕を開ける。タイトルが示すとおり、おたつ(=鯉姫)は当然、ふつうの娘ではない。いわく、〈上半身だけなら十をやっと越えたくらいの尋常な童女に見えるが、その腰骨から下は鯉のような尾鰭がつき、純白の鱗(うろこ)が並ぶ地に鮮やかな緋盤(ひばん)がいくつも浮かんでいる〉。
 彼女にプロポーズ(?)された孫一郎のほうは、ごくふつうの人間。父親の死後、家業の呉服屋を弟の清吉に譲り、二十八歳の若さで楽隠居。父親が遺してくれた屋敷に引っ越して、のんびり暮らしはじめたばかり。住み込みの老女中がいるほかは、たまに清吉が訪ねてくるくらいで、人づきあいもほとんどない。その孫一郎が、庭の池に棲む人魚になぜか見初められて――というのが物語の発端。
 人間と人間ならざるものとの“異類婚姻譚”は、ギリシャ神話の昔から脈々と語られてきた。「美女と野獣」や「かえるの王さま」、日本なら「鶴の恩返し」、「雪女」、「田螺長者」などなど枚挙にいとまがない。おとぎ話や説話にかぎらず、現代小説でも、川上弘美「海馬」や梨木香歩『家守綺譚』(冒頭で主人公が庭のサルスベリに惚れられる)があるし、本谷有希子はまさに「異類婚姻譚」と題する短編で芥川賞を受賞している。SF映画やアニメでさんざん描かれてきた異星人やロボットとの恋も(あるいは、吸血鬼や狼男とのロマンスも)、かたちを変えた異類婚姻譚と言っていいだろう。
 そういう中で『鯉姫婚姻譚』が異彩を放つのは、孫一郎がおたつにせがまれるまま、“人と人じゃないもの”が夫婦になる話を語って聞かせるメタ構造を持つところ。
 孫一郎バージョンで変奏される「猿婿」や「つらら女」や「蛇女房」の物語はそれぞれが独特の残酷さとグロテスクさと美しさを持ち、強烈な印象を与える。いまさらそんな昔話なんて……と思う人もいるかもしれないが、これらの作中作に対する選考委員の評価はおしなべて高い。
「人間には、こういう民話や寓話を面白く読む回路が備わっているものなんだな、と改めて実感させられた」(恩田陸)とか、「グロテスクでホラー風味のアレンジは、昔話が持つ残酷で不気味な力を現代によみがえらせる」(森見登美彦)という具合。
 こうした異類婚姻譚をはさみつつ、おたつと孫一郎の物語もすこしずつ進展していく。二人のやりとりは、すっとぼけたコントのような楽しさに満ちているが、季節の移り変わりとともにおたつはぐんぐん成長し、二人の関係も微妙に変化してくる。
 最初のうち孫一郎は、「人と鯉じゃあ夫婦にはなれないよ」「おたつはほら、立派な尾鰭があるだろう。そんな綺麗な尾鰭を持ったお嬢さんは鱗の一つも持ってないぼんくらと夫婦になろうなんて情けないことは思わないもんなんだよ。いずれ立派な鰓(えら)のついた若者と見合いでもさせてやるからそれまで待ちなさい」と諭すのだが、おたつは「いやよ。孫一郎にする」と言って聞かない。だから孫一郎は、おたつに翻意を促すべく、“人と人じゃないもの”の結婚が悲惨な末路をたどる話を語るわけだが、おたつはそれをハッピーエンドと受けとってしまい、二人の解釈は毎度のようにすれ違う。そういうくりかえしの中にさりげなく変化のタネが仕込まれているのがこの小説のうまいところ。
 たとえば孫一郎は、それこそ池の鯉に餌をやるように、おたつにスイカや和菓子や握り飯を与えるのだが、そういう愉快な食事シーンも実は周到な計算のうえで配置されていて、“これしかないという結末”(恩田陸)への里程標となっている。人と人じゃないものとの恋はやはり悲劇に終わるのか、それとも……。まさに“異類婚姻譚史上最高の恋”を実現した素晴らしいデビュー作だ。
 著者の藍銅ツバメは一九九五年生まれ、徳島県出身。東京在住。図書館勤めのかたわら小説を書きはじめ、二〇二〇年、妖怪小説「めめ」で第4回ゲンロンSF新人賞優秀賞を受賞。小説新潮六月号に、最新短編となる現代ものの幻想小説「春荒襖絡繰(はるあれふすまからくり)」が掲載されている。


 (おおもり・のぞみ 書評家)

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