書評

2022年7月号掲載

小説ならではの恐怖を追い求めて

澤村伊智『怪談小説という名の小説怪談』

朝宮運河

対象書籍名:『怪談小説という名の小説怪談』
対象著者:澤村伊智
対象書籍ISBN:978-4-10-354641-2

 年季の入ったホラー読者なら都筑道夫の長編『怪奇小説という題名の怪奇小説』を思い浮かべるだろう。なるほど、『ぼぎわんが、来る』でのデビュー以来、読者を恐怖させるための技巧を研ぎ澄ませてきた澤村伊智は、偉大な職人作家・都筑道夫のスタンスと一脈通じるところがある。オマージュを捧げる対象としてはふさわしい。それにしても「怪談小説」は分かるけれど、「小説怪談」とは一体?
 作者はこの耳慣れない単語の由来を明らかにしていないが、おそらくこれは「実話怪談」の連想から生まれた造語だろう。実話怪談とは実際に起こった不可解な出来事を、体験者への取材をもとに描いた怪談のことで、二十年ほど前から“実話性”に特化した文芸ジャンルとして人気を誇ってきた。となると「小説怪談」はこれの対義語、フィクションであることを明言した怪談ということになる。
 あえて虚構性を打ち出しているだけあって、怪談小説の可能性を広げるような挑戦的な短編が七編収められている。
 巻頭の「高速怪談」は、帰省時の交通費を節約するため、一台の車に同乗した五人の男女の会話を中心とした作品。夜の長距離ドライブにつきものの賑やかなおしゃべりは、やがて即席の怪談会へと変わっていく。大御所漫画家の事務所で起こった異変、アイドルのグラビア撮影の奇怪な後日談。いくつかのよくある怪談に続いて、堀という男が話し始めたのは、あまりにも意外な内容だった。
 明から暗へ、緩和から緊張へ。この絶妙なシフトチェンジが恐ろしいのだが、その先に待ち受ける不意打ちめいた結末がまた怖い。偶然と呼ぶには出来過ぎているハプニングが、読者を理屈のつかない恐怖のただ中に置き去りにする。岡本綺堂、都筑道夫、宮部みゆきと名だたる作家たちが手を染めてきた“怪談会小説”の最新バージョンに挑んだ試みでもある。
 さて怪談といっても、そこで扱われる恐怖はさまざまだ。幽霊など超自然の怖さ、人間のリアルな怖さ、血みどろが喚起する生理的怖さ。不安や驚き、苦痛といったものも、恐怖に近い感情としてよく取り上げられる。作者はこのほぼすべてを、七つの短編においてカバーしてみせた。
 近所の廃屋に惹かれる一家を描いた「笛を吹く家」、ホラー映画の制作スタッフが命を狙われる「苦々陀の仮面」、田舎のホテルに滞在した新婚夫婦が異常な事件に巻き込まれる「こうとげい」、校舎に閉じ込められた少女たちを姿なき殺人者が襲う「うらみせんせい」。各作品がそれぞれどんな種類の恐怖を扱っているかは、ここでは触れないでおこう。こちらかと思っていたらそっちか!? という意外性に富んだストーリーテリングを堪能してほしいからだ。
 その一方で、怪しき物事を“いかに語るか”にも工夫が凝らされている。関係者へのインタビューや新聞記事などから構成された「苦々陀の仮面」や、著名霊能者のその後を追うライターの姿を、過去の幽霊事件の顛末を交えつつ描いた書き下ろし「怪談怪談」などを熟読するなら、怪談の怖さと巧みな語りは切っても切れない関係にあることが理解されよう。
 白眉をあげるなら「涸れ井戸の声」。語り手が西村という女性作家から託されたUSBメモリには、〈涸れ井戸の声〉と題された小説にまつわる気味の悪い出来事が綴られていた。ファンから西村に宛てたメールには、「一番怖かった」西村の小説として〈涸れ井戸の声〉があげられていたのだが、彼女にはそんな小説を書いた覚えがない。掲載誌のバックナンバーにも、そのような小説は掲載されていない。しかし調べを進めていくと、実際に〈涸れ井戸の声〉を読んだという人が見つかる。果たしてこの小説は実在するのか、しないのか。幽霊などを一切登場させることなく、語りのテクニックによって得体の知れない恐怖を生み出した「涸れ井戸の声」は、まさしく「小説怪談」の好例といえるだろう。
「作りものの怪談なんて怖くないよ」という方にこそ読んでいただきたい、活字の恐怖表現の見本市。七編のうちどれかひとつは、恐怖のツボをぐっと突いてくるはずだ。


 (あさみや・うんが ライター)

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