書評

2022年8月号掲載

奇妙な痺れと痛みの書

デボラ・レヴィ『ホットミルク』(新潮クレスト・ブックス)

中江有里

対象書籍名:『ホットミルク』(新潮クレスト・ブックス)
対象著者:デボラ・レヴィ/小澤身和子訳
対象書籍ISBN:978-4-10-590182-0

 将来の夢を思い描き、数えきれないくらい修正してきた。能力がなければ、夢は諦めるしかない。たとえその力があったとしても、自分だけではどうにもならない現実もある。置かれた場所で咲ける人は幸福だ。
 本書の主人公、二五歳のソフィアは人類学の博士課程まで進んだが、母ローズの介護のために修了を断念した。母一人、子一人の家族で、母の面倒を見るのは娘の自分しかいない。
 ソフィアはいわゆる「ヤングケアラー」だ。幼いころから母が患う病を慮っている。母は娘なしでは生きていけないと彼女を支配し、娘はそんな母から離れられず、自分の道を見失っている。共依存状態にある。
「もっと大きな人生を生きてみたい」
「職業と呼べるものはないんだけど、私の仕事は母のローズなの」
 あきらめた希望を抱いたままのソフィアの言葉は物悲しい。このままでは母が亡くなるまで、彼女は母の支配下にいるだろう。職業の選択は許されず、何者にもなれない。そんな時に不自由な母の脚を治療してくれそうな医師・ゴメスの存在を知り、治療費を捻出するためにローズの家を抵当に入れなおして、南スペインの医師の元を訪ねる。
 母のためとはいえ怪しげな医師に頼るのは、あきらめの境地? 藁にもすがる思い? もしくは自棄(やけ)になった末の行動にも思えるが、これはソフィアによる無意識の反乱の始まりかもしれない。
 実際ここからソフィアの人生は変わり始める。
 偶然出会ったフアンといい関係になったかと思えば、ドイツ人女性のイングリッドと恋に落ちる。こうしてソフィアは母の介護だけの人生からはみ出していく。
 人はつながりの中で生きているが、ソフィアは恋愛というつながりが生まれたことで、外の世界へ連れ出される。一方、母とソフィアを縛り付ける鎖のようなつながりも同時にある。頑丈な鎖をほどくのも、やはり人なのだろう。
 十一年も前に切れたはずのつながり=父との縁を追っていくと、赤ん坊の妹へたどり着く。知らぬうちに生まれた姉妹というつながりがそこにあった。
 生きている限り人のつながりは途切れないし、万が一切れてしまったら自分という存在を証明することが難しくなるだろう。人のつながりは複雑に絡み合い、時に自然にほどける場合もある。それは別れを示唆する場合もあり、新たなつながりを生み出す基軸にもなる。
 先に「ソフィアによる無意識の反乱」と記したが、人はどんな環境でも順応し、置かれた場所で花を咲かそうとする。しかしどうしたって咲けない土壌もある。
 つまり反乱とは、生存本能ではないだろうか。
 ソフィアは母と一体化した自らを脱皮して、行き場を求めて揺れ動く。遅れてやってきた反抗期を超えようとする少女のように。
 生まれる場所も親も選べないけど、何を求めて、楽しむかは自分が捜すもの。間違いや寄り道に思えても、人生は必要な回り道を辿っていく。すべての回り道には意味がある、とソフィアの姿は物語る。
 そんな彼女が恋するイングリッドの思いがけない罪の告白は、巡り巡ってソフィアに思いがけない行動を起こさせる。これも回り道? 実際の行動に移さずとも、人は自立しようとする時にソフィアと似た行為をするのではないだろうか。
 娘を支配する母ローズもまた、病という鎖につながれる罪人だ。誰かに頼ることで自らのレーゾンデートルを保つ、というやり方もある。娘にとっては不幸だが、母本人も不幸であることに気づかされる。
 ソフィアの自立と成長を描きながら、周囲の人々の変化も浮かび上がらせていく。人はつながっているから相互に影響するのも当然である。
 ところで読み終わって、冒頭でクラゲにさされる場面を思い返した。あの時のクラゲは、ソフィアを通して読み手にも毒を放っていたような気がする。
 読書中、毒は体内をめぐり、手足から心まで奇妙な痺れと痛みを届けた。


 (なかえ・ゆり 女優/作家)

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