書評

2022年8月号掲載

時代小説におけるシチュエーションコメディの名作

畠中恵『こいごころ』

錦織一清

対象書籍名:『こいごころ』
対象著者:畠中恵
対象書籍ISBN:978-4-10-146143-4

 あらゆる芸能の中で、落語が一番好きなんです。
 親父の影響が大きいですね。あとは東京の下町で育ったからかな。ディズニーランドに近いエリアですが、そういうところに息子を連れて行くようなタイプではなくて、休みの日はもっぱら、二人で寄席か江戸川競艇場。だから落語は小さい頃からよく聞いていました。
 当時の江戸川競艇場には、麻丘めぐみさんがCM出演していたカップスターが売っていたんです。日清食品さんのカップヌードルは街中でもよく見かけましたが、カップスターは希少で、それに釣られて一緒に行っていました。おふくろにナイショだよって言われながら(笑)。
 今、僕のメインの仕事は演出家で、2021年に「しゃばけ」シリーズ原作の舞台「シャイニングモンスター」の演出をさせていただき、この7月30日からはその第二弾が上演されます。最初に、「しゃばけ」の世界観をどういう風に表現したらいいかなと考えた時、隅田川が大川と呼ばれていた当時の江戸の町や文化が匂ってきて、落語の世界に通じているような気がしました。著者の畠中恵先生も古典落語の世界がお好きなんじゃないかなという僕の勝手な憶測もあるのですが、「しゃばけ」は落語家さんが一人で演じても面白くなる作品だと思います。
 同時に、「しゃばけ」にはシチュエーションコメディの要素も強く感じました。僕は、「奥さまは魔女」や「ルーシー・ショー」などのコメディエンヌが主演する昔のアメリカの30分間のテレビドラマ番組の世界観も好きなのですが、それと同じ世界観ですね。舞台はそれなりの人数が出演します。だからこそ、コメディタッチに描くとすごく面白くなるんじゃないかなって。さらにわんぱくにも作りたいから、舞台ではものすごくファンキーな曲を乗せています。畠中先生、怒っていらっしゃらないかな、大丈夫でしょうか……。けれど、自由に作らせていただいて本当にありがとうございます。
 そういうことをわりと僕は気にするタイプで、というのも舞台の台本でも、たぶん脚本家の先生はわざとそうしているわけではないと思うのですが、たまに迷惑なものもありましてね。ト書きに「いつのまにかそこにいる」と書いてあったことがあって、けれども役者は絶対に舞台の袖から登場するわけです(笑)。「一方こちらでは」というト書きも、「一方こちら」を作るのに舞台は時間がかかる。そのへんの調整を含めて、皆で一緒に作っていくことが、舞台の面白いところでもあるんですけどね。
 僕はつかこうへい先生に師事していたのですが、先生は舞台や小説で小難しいことをなさいませんでした。膨大な日本語を知っていて、漢字にも詳しくて、様々な書き方もできる。けれど、色々な人に観てもらいたいと思っていらしたから、先生の作品には、敷居を下げて、カジュアルに観てもらおう楽しんでもらおうという気持ちが溢れています。畠中先生の小説からも、同じ思いが溢れ出ています。たとえばですが、夏目漱石はたぶんフォーマルに明治時代を書いていて、畠中先生は敢えてカジュアルに江戸時代を描いていらっしゃる。だからとても読みやすくて、絶対に小難しく、斜に構えてお書きにならない。最新作『こいごころ』を拝読して、一層強く思いました。これからもぜひ、その書き方を続けていただきたいです。
『こいごころ』は連作短篇集ですが、なかでも表題作はとても意味深い作品でした。尽きるはずのない、永遠の命を持っているはずの妖にとっての“最期”とはどういうことなのか。それに直面した時、初恋の人にもう一度逢いたいと、それだけを切に願うその想いに、胸が締め付けられました。現在のCG技術で、「しゃばけ」シリーズをぜひ映画化して欲しいと心から思います……が、まずは「シャイニングモンスター2nd step てんげんつう」の舞台を楽しみにしてください!

(にしきおり・かずきよ 演出家)

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