対談・鼎談
2022年9月号掲載
『あの夏の正解』文庫化記念対談
甲子園中止から2年目の夏
早見和真(小説家) × 内山壮真(東京ヤクルトスワローズ・元星稜高校野球部)
対象書籍名:『あの夏の正解』(新潮文庫)
対象著者:早見和真
対象書籍ISBN:978-4-10-120692-9
新型コロナウイルスの拡大により、夏の甲子園が中止となった2020年。自らも強豪校の球児だった小説家の早見和真(かずまさ)さんは、石川・星稜と愛媛・済美という二つの名門校の「甲子園のない夏」に密着し、ノンフィクション『あの夏の正解』を上梓した。
両校の取材を続ける中、早見さんが最も強い印象を受けたのが星稜高校の内山壮真(そうま)選手の人間性と野球観だった。
高校3年間、プロからも注目され、チームメイトからの信も厚く、キャプテンとしてプレッシャーを背負い続けてきた内山選手は、同書の中で誰にも明かしたことがない胸の内を早見さんに吐露している。
あれから2年。ヤクルトスワローズに入団し、171センチという上背ながらも捕手として一軍で活躍する内山選手と早見さんが、オンラインで邂逅した。
早見 ご無沙汰しています。今日は試合前で時間がないということなので、どんどん伺いますね。
内山 はい。よろしくお願いします。
早見 と言いながら、いきなり脇道に逸れるんですけど、今年の春、13年ぶりに神宮球場に行きました。5月のヤクルト×日本ハム戦だったのですが、代打で出てきた内山選手がプロ入り初ホームランを打ったんです。
内山 ええ、あの日だったんですか。
早見 そう。あの時、バックネット裏にいて、ものすごく興奮しました。
内山 すごいタイミングですね(笑)。
早見 それもあって、今日はすごく楽しみにしていました。
『あの夏の正解』は、星稜の林監督と済美の中矢監督、2人の追加インタビューを収録した形で今年の6月に文庫になりました。本来はこの時点でぼくの仕事は終わりなんですけど、最後に内山壮真からも話を聞かないと、『あの夏の正解』は終われないと思い、対談させてもらうことになりました。
『あの夏の正解』には、2020年5月に甲子園の中止が決定した後に、「何を目標に最後まで野球を続けるのか」という選手たちの葛藤が描かれている。星稜高校の特徴として印象深く描かれているのが、ベンチ入りする「メンバー」と、控え部員である「メンバー外」との関係だった。
早見 本はどう読みましたか?
内山 星稜の自分以外の選手のインタビューを読んで、「あぁ、あの時、みんなはこう思っていたんだ」というのをはじめて知りましたね。
早見 やっぱり(控え部員の)荒井君、田村君のインタビューの部分ですか。
内山 ええ。僕自身はずっと試合に出させてもらっていたので、メンバー外の気持ちというのはわからなかったんです。メンバー外にはメンバー外の、メンタル面での大変さがやっぱりあるんだなとすごく感じました。
早見 星稜高校野球部は、甲子園中止の翌年、内山選手のひとつ下の代が、夏の県予選のベスト8の段階で、新型コロナ感染で出場辞退となりました。あの出来事をどのように見ていましたか?
内山 ひとつ下の代に関しては、甲子園自体がなくなった僕たちよりも、ずっと苦しい思いをしたのではないかと思います。夏の県大会が始まってからの辞退だったので、気持ちの整理がすごく難しいんじゃないかなと。いろんな意味で悔いが残るだろうと心配になりました。
毎日が“甲子園”の緊張感
早見 これは、本を書いた時には、まだ早いと思って原稿に盛り込まなかったことなんですけど、内山選手が高3の6月にインタビューをさせてもらった時、すでに「ヤクルトに行きたい」とはっきり言っていました。そして、「ぼくは2、3年は二軍で鍛えてもらう選手だと思うので……」とも話していたのですが、覚えていますか?
内山 覚えています。
早見 その話を聞いたとき、高3の6月の時点で志望球団がはっきりしていることにも、プロに入った後の自分を具体的にイメージしていることにも、すごく驚かされました。高校時代に想像していたプロの世界と、もっともギャップを感じた部分はどこですか?
内山 メンタルがすごくキツいことですね。
早見 その「キツさ」を具体的に言葉にすると?
内山 まず毎日試合があることです。どんなにダメな日があっても、次の日にまた試合がある。それが毎日続くので、コンディションを維持するのはすごく大変です。一軍の舞台で試合に出る緊張感も大きいです。感覚的には、高校野球で毎日甲子園で試合をしているというくらいの緊張感で、試合に出た日は毎回くたくたになります。ぼくはまだ何試合かしか出ていないですけど、これが毎日続くとなると、想像もつかないぐらいの大変さなのだろうと感じています。
プロで衝撃を受けた選手
早見 高3の時の内山選手は、「野球がうまくなりたい」という思いに支えられていたと思うんですけど、プロになってから変化はありましたか?
内山 モチベーションという意味では高校時代と変わっていません。とくに「打ちたい」という気持ちは、高校の時から変わらずにあります。
早見 想像していたのと比べて、そのバッティングは通用しているという感覚はありますか?
内山 最初はもう何をやっても全然ダメでした。自分で勝手に崩れて、さらにダメになる……という、本当にひどい時期がありました。
早見 それはプロのピッチャーがすごかったから? それとも、自分が混乱に陥っていたのかな?
内山 両方ですね。プロのピッチャーがすごくて、自分が混乱に陥りました。
早見 「プロってすごい!」と最初に衝撃を受けたピッチャーは?
内山 1年目の時に対戦した楽天の岸(孝之)さんです。これが一軍で活躍するピッチャーなのか……と。140キロのボールをあんなに「速い」と感じたのは、あの時がはじめてでした。
『あの夏の正解』で、内山選手は「そもそもキャプテンはやりたくなかったです。自分の野球だけしていたかった」と話している。それでも自分なりのキャプテン観を語り、チームメイトからも厚く信頼されていた。しかし、いま強いチームにいる中で、その考えにも変化が生じているという。
早見 ぼくが内山選手に話を聞いた2020年の前年、ヤクルトは最下位でしたが、いまのヤクルトはすごく強いですよね(2022年8月3日終了時点で10ゲーム差の首位)。強いチームにいることで感じることはありますか?
内山 「強いチームには理由がある」ということが、やっとわかってきた気がします。その意味では、ぼくたちが高3の時の星稜は強いチームではなかったということを最近すごく感じます。
早見 どんな部分でそう感じる?
内山 何より野球に対する姿勢です。ベンチの雰囲気、声のかけ方、打席の中、どんな場面でも全員が集中しているんです。本当にチームがひとつになって、全員が同じ意識、同じ気持ちで試合に臨んでいるので、そこが強い理由なんだなと。
早見 あの年の星稜野球部には、そのムードはなかった?
内山 いま思うと、なかったですね。
早見 もし仮に、いまの経験を経た内山選手が、キャプテンとして高3の時に戻れるとしたら、やり方を変えますか?
内山 変えます。まわりの選手を自分が引っ張るんだ、と意識すると思います。チームの核になる何人かの選手にいろいろ話しながら、同じ野球観でプレーできるよう、もっと意識的にやっていくんじゃないかなと思います。
早見 これは、『あの夏の正解』から続く質問なんですけど、いま内山壮真は野球が楽しいですか?
内山 はい。すごく楽しくやってます。
早見 高校時代との一番の違いは?
内山 高校の時は、キャプテンとしてチームのことが常に意識にありました。でも、いまはまだチームをどうしていこうということはあまり考えていません。自分のことで精一杯という部分もあるんですけど、技術を磨いて、結果を出すことでチームに貢献しようという気持ちが強いです。その違いが大きいですね。
早見 それは、内山選手の元々の人間性や野球観にすごく合致しますよね。
内山 そうなんです(笑)。
早見 キャプテンというタイプじゃないもんね(笑)。
内山 はい(笑)。
人生で特別だった「あの夏」
早見 『あの夏の正解』の繰り返しになりますが、やっぱり最後の夏に甲子園がなかったことは特別な経験でしたか?
内山 けっこう、というか、本当に特別なことでした。
早見 あの時は言えなかったけど、いまだから言えることってありますか?
内山 あの時期は、たぶん人生でいちばんキツかったです。
早見 やっぱり、そうなんだ。その部分を言葉にすると?
内山 うーん……孤独でした。
早見 星稜の室内練習場でインタビューを終えた後、ぼくが内山選手に「いま聞いたようなことって、チームメイトの誰かに話したりしてる?」と聞いたら、「いや、話してません」って言ったよね。「それって孤独じゃない?」と質問を重ねたら、「こういうインタビューをされてみて、自分は孤独なんだなと思うようになりました」って答えたんです。ぼくはあの言葉、衝撃だったんですけど、チームメイトがどう受け取るかを考えて、本には盛り込みませんでした。どんな時に孤独だと感じましたか?
内山 とくに緊急事態宣言で学校が休みになった時ですね。実家でずっと一人で練習をしていたんです。近所にトレーニングルームがあって、その部屋の鏡の前でバットを振っていたんですけど、当然、鏡に自分しか映っていなくて――。あの時がいちばん孤独だったかもしれません。
早見 その本当にしんどい時期に、何度もインタビューを受けてくれたわけですよね。取材は嫌じゃなかった?
内山 早見さんの取材のおかげで、自分を見つめ直すことができました。自分の気持ちもわかりましたし、すごくいい時間だったと思っています。
早見 いいよ、無理してそんないいこと言わなくて(笑)。
内山 (笑)。本当です。
早見 ちなみにぼくは「絶対にウッチーはイヤがってるんだろうな」と思いながら取材してたけど。
内山 たしかに最初は「うわ、こんな時に密着取材か」と思っていたかもしれませんが、期間を少しずつ空けて何度も来てくださったので、早見さんと話した後の練習の時間なんかにいろいろと考えることができました。自分にとってはいい時間だったといまは思っています。
2020年は高校野球のみならず、文化系も含めて多くの大会が中止になり、「かわいそうな高校3年生」と同情が集まった。しかし、早見さんは高校生に向けて、そんな世の風潮に抗って、自分たちが想像もつかない「新しい言葉」を聞かせてほしい、と綴った。そしていま、内山選手の口からこぼれた驚きの言葉は――。
早見 あの年の高校3年生の内山壮真に、いま一人の社会人として声をかけるとしたら、どんな言葉をかけますか?
内山 「もっと苦しめ」と言うかもしれません。あの時期に苦しんだからこそ、10年後、20年後につながるという考えに変化はありませんし、これからの野球人生の中でも、感じられることの幅が広くなると思うので。あの頃の自分に会ったら、「いましっかり周りを見て、考えて、もっと苦しめ」と言うかもしれないです。
早見 もっと周りを見ることができたと思いますか? あれだけ孤独で、苦しかった時期に。
内山 もっとちゃんと、いろいろ見ることはできたんじゃないかなと思っています。
早見 逆に言えば、いまプロで活躍できている理由のひとつは、あの時、苦しんだことにもあると思いますか?
内山 はい。あの時に苦しんだことで、例えば、いまのヤクルトの強さを実感できている部分もあると思います。
星稜に入って良かった?
早見 星稜の林監督に最後のインタビューをした時、「内山は本当に星稜に入って良かったと思っているのかな」とおっしゃっていました。星稜野球部を選んだことを、いまどう捉えていますか?
内山 星稜じゃなかったらプロにも入れていないと思うので、そこは星稜に入って良かったと思います。
早見 星稜のおかげでプロに入れたというのは、どんなところ?
内山 ひとつ上に奥川(恭伸・ヤクルト)さんという存在がいたりして、本当に良い先輩に恵まれましたし、良い同級生とも出会えたので。そういう環境で野球ができたことが良かったです。
早見 本当に悔いはない?
内山 ありません。
早見 ありがとうございました。以上です。試合前の忙しいところ、本当にありがとうございました。また神宮に行きますね。
内山 ぜひ、いらしてください。
(はやみ・かずまさ 小説家)
(うちやま・そうま プロ野球選手)