書評
2022年9月号掲載
荻堂顕『ループ・オブ・ザ・コード』刊行記念特集
細部とアフォリズムの魅力
対象書籍名:『ループ・オブ・ザ・コード』
対象著者:荻堂顕
対象書籍ISBN:978-4-10-353822-6
物語のちょうど真ん中あたりに、ネイサン・ブルックスがアルフォンソ・ナバーロと会話する場面がある。二人は世界生存機関の現地調査員だ。そのときネイサンが話したのはこんな話だ。
高校の友人が車の事故で死んだことがある。葬儀場につくと、たいして親しくもないクラスメイトの女たちがわんわん泣いていた。で、次の日、街中でその女たちとすれ違う。そいつらは笑っておしゃべりをしながら男たちの愚痴を言い合っていた。前の日に世界が終わったように泣いていたのと同じやつが、次の日にはケロッとしていたのだ。
その話をしてからネイサンは付け加える。他人と関わり合うのは無駄だと結論を出した。俺は俺ひとりで、誰ともつるまずに生きていこうと決めた。
ネイサンの話はまだ続く。
その話を後年、交際していた女性にした。もしも自分が死んだら、葬式ではだれにも泣いて欲しくない。欺瞞の涙で誰かのコンテンツに成り下がるくらいなら、いっそ笑っていて欲しい。呆気なく死んだなとか言って酒でも飲んでへらへら笑って見送って欲しい。
この先がいい。その話を聞いた彼女は用事があると言って帰っていった。ネイサンはカフェに残って論文の続きを書いていた。すると40分くらいして彼女が戻ってくる。そしてこう言う。
「あなたが死んだら、他のみんなが笑っていても、私だけは泣いてもいいですか」
物語には直接関係のない挿話と言っていいが、読み終えるとこの場面が妙に残り続ける。前作『擬傷の鳥はつかまらない』にも、奇想天外な話ながらすこぶる人間的なドラマがあったことを思い出す。つまり、いつも細部がいいのだ。
ところで、ネイサン・ブルックスとアルフォンソ・ナバーロを、世界生存機関の現地調査員と先に書いたけれど、この世界生存機関とは何か。〔疫病禍〕をきっかけに、感染症による死の恐怖から人々を救う組織が生まれたとの設定なのである。彼らの当面の仕事は、謎の奇病の正体を調査すること。その奇病とは、ここ半年で二百名以上が発症。すべてに共通しているのは、身体的発作と意識の混濁、食事の拒否による衰弱。発症しているのは全員が「イグノラビムス」の子供たちだ。この「イグノラビムス」も少しだけ説明しておかなければならない。二十年前、某国でクーデターによって政権を奪取した国軍幹部が、特定の少数民族のみを殺害する生物兵器を作りだし、四十万人以上の少数民族を殺害。さすがに国際連合はこれを見過ごすわけにはいかず、その国の「抹消」を議決、その悪夢を振り払って綺麗な国「イグノラビムス」を上書きするように建設する――という経緯がある。その国の子供たちが発症したのだ。
アルフォンソ・ナバーロとその同僚たちは、子供たちとその親、家族を調査していく。その面接が延々と描かれていくが、どうして身辺のことを調査するのかというと、その病気が心因性のものだという解釈、理解があるからだ。ここから結語まではただの一歩だが、その前に一つだけ、個人的に気にいった箇所を引いておく。ラストに出てくる述懐を引きたいのだ。
「大きな出来事の後は決断を先送りにしろ。悲観的か、あるいは過度にヒロイックな選択をしてしまいがちだから」
こういうアフォリズムに満ちているのも、荻堂顕を読む愉しさだ。
というところで、そろそろ結語を。謎の病をめぐる話は、途中からテロリスト集団が浮上してダイナミックに展開していくが、そのディテールの迫力と面白さはお読みになっていただければいい。ここでは、この長編のモチーフを最後に確認しておきたい。
この辛い世に、「生まれることを望まなかった者たち」は、たしかにいるのかもしれない。しかし子供たちの幸せをこころから願い、子供たちに愛されることを望む大人もまたいるのだ。この長編は複雑なストーリーの底から、その真実を力強く訴えてくる。
(きたがみ・じろう 書評家)