書評

2022年10月号掲載

“宇佐美ファンタジー”の極北――「人とはなにか」

宇佐美まこと『ドラゴンズ・タン』

門賀美央子

対象書籍名:『ドラゴンズ・タン』
対象著者:宇佐美まこと
対象書籍ISBN:978-4-10-354751-8

 本作をひと言で表現するなら「東洋を舞台にした転生ファンタジー」、となるだろうか。だが、近ごろ流行りの「中華風異世界転生ファンタジー」とは一線を画する。史実を土台にしながら、想像の翼で時空を覆う壮大なダーク・ファンタジーだ。
 五章立て、第一章の舞台は古代中国の漢代、チベット系遊牧民である羌人(きょうじん)一族の長の五男として生まれた姜イリョウ(きょう・いりょう)という猛悪な男の物語として始まる。
 イリョウは嗣子(しし)である長兄など、邪魔者を皆殺しにして地位をもぎ取ると、別の騎馬民族である匈奴の地に攻め込んで勢力を伸ばし、最終的には十万の兵を率いる竜将軍に上り詰めた。その戦法は暴虐にして無慈悲。向かうところ敵なしを自認する視線の先にあるのは、中国大陸最大の王朝である漢だ。しかし、王として君臨するのが目的ではない。
 夢見るは生きとし生けるものすべての滅亡。彼を突き動かしていたのは、善悪すら超えた純粋な破壊欲だった。
 だが、厄災を撒き散らす男の野望は、意外なところから崩れてしまう。強奪し、溺愛した女の正体が悪しき白狐の精だったのである。さしもの竜将軍も妖気に蝕まれたかのように運を失い、討たれ、首は野に晒された。
 世は救われたかに見えた。けれども、本物の悪意はむしろこの瞬間に芽生えたのだ。肉体から解放されたイリョウは、妖物の力を利用して“この世ならぬもの”に変貌し、幼なじみで忠実な手下である鋭勍微(えい・けいび)に向かってこう宣言する。
「三千世界のあらゆる悪意、怨念を吸い上げて肥え太る。そして熟した恐怖の果実を世界中に撒き散らしてやる」
 竜舌(りょうぜつ)――ドラゴンズ・タンを武器として。
 しかし、陰の気が立ち上がる時、陽の気もまた起こる。
 時を同じくして、二人の若い男女――女薬師・呂鳴アン(りょ・めいあん)と馬丁(ばてい)・何ヨウ児(か・ようじ)が出会っていた。霊感を持つ乙女と馬と心を通わせる青年の小さな邂逅こそ、大いなる希望の種だったのである。
 こうして、世界を滅ぼそうと狙うものと、守るものたちの、二千有余年も続く相克の歴史の幕が切って落とされた。
 章を重ねるにつれ、物語は唐の長安から陰謀渦巻く明の宮廷、風雲急を告げる二十世紀の上海と舞台を変えつつ、現代篇となる第五章で時は満ち、呪いが噴出する。イリョウが言挙げした通り、“ドラゴンズ・タン”は妖物たちの力すら超えた、今の世相を彷彿させる現実的な災厄に育っていたのだ。けれども、呂鳴アンと何ヨウ児が命がけで残した希望もまた、細々と、だが確実につながっていた。
 宇佐美作品の中で、時を超える物語というと『ボニン浄土』と『子供は怖い夢を見る』がまず思い浮かぶ。前者は小笠原諸島で生きてきた人々の年代記であり、後者は不死者たちの数奇な運命を描いたサスペンスだが、本作は転生年代記であると同時に不死者の物語でもある。宇佐美ファンタジーの、現時点での集大成といってよい。
 二〇〇七年、怪談小説でデビューした著者だが、デビュー十五年にあたる本年まで出版した小説のジャンルは、本格ミステリーから心理サスペンス、さらに正統派ホラーまで多岐にわたる。この多ジャンル志向は「新作ごとに読者をあっと言わせたい」と願う著者の強い思いの反映だ。傾向が似る作品を出し続ければ、それを喜ぶ固定ファンがつくことだろう。けれども、宇佐美まことという作家は、それでは満足できない性質らしい。
 しかし、ジャンルがどれほど異なれど、作品の中心には常にひとつのテーマが据えられている。
 それは、「人とはなにか」という問いかけだ。
 たとえば今作では、イリョウのような「理屈抜きの破壊者」や、天命に従って己のなすべきをなすため奮い立つ鳴アンといった、ファンタジーにふさわしいスケールの大きい人物がいる一方で、コソ泥だけど汚れきってはいない中年男や、自分探しに気を取られる青年など、boy-next-door的人物もいる。
 覇王から名もなき庶民まで幅広く登場するわけだが、何をなそうと、あるいはなさぬまま終わろうと、みな歴史の砂の中に埋もれてしまう。点で見るなら、何も残すことなく無為に終わったかに見えるそれぞれの人生。けれども、大きな歴史の流れの中では、彼らの命や行動は確実に“意味あるもの”だった。
 第四章で、とある登場人物がこんな風に思いを巡らす。
「気が遠くなるような悠久の歴史の中にこうして“個”は埋もれていく。だが、積み重なっていった数知れない“個”がやがて歴史に息を吹き込むのだ」
 SNS時代の今、誰もがちょっとしたことで簡単に「有名人」になれるがゆえに、かえって「何者にもなれないちっぽけな自分」に苦しむ若者が増えているという。だが、人生の価値に有名無名は関係ないと、本作は教えてくれる。
 悠久の世界の一員として「私」が存在する理由とはなにか。
 トールキンやル=グウィンの作品がそうであるように、本作でも繰り返される絶望と希望の波に翻弄される楽しみを味わった後、根源的な問いがふと胸をよぎる。これこそ一級品のファンタジーである証だろう。


 (もんが・みおこ 書評家)

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