書評

2022年10月号掲載

“特殊設定”を迎え撃つ著者最高傑作

白井智之『名探偵のいけにえ 人民教会殺人事件』

宇田川拓也

対象書籍名:『名探偵のいけにえ 人民教会殺人事件』
対象著者:白井智之
対象書籍ISBN:978-4-10-353522-5

 現実にはあり得ない、現象、技術、法則が罷り通る世界で不可解な事件が起こり、その舞台ならではのルールのもとに謎解きが繰り広げられる――いわゆる“特殊設定ミステリ”も、いまや数多くの作品が続々と生み出され、すっかりスタンダードなものとなった。
 つまり令和のミステリシーンは、リアルに縛られない通常とは異なる設定の作品が標準化した、まさに“特殊”な状況へと至っているわけだが、とはいえひとつの作品に止まらず、独創的なセンスと作風を持ち味とし、デビューから現在まで際立った特殊性を発揮し続けている書き手となると、その数はごく限られてくる。いまそうしたタイプの書き手の筆頭格といえば、ミステリ愛好者なら迷うことなく「白井智之」の名を挙げるだろう。
『名探偵のいけにえ 人民教会殺人事件』は、斯様に独自の路線をひた走る本格ミステリ界の鬼才が、自身のキャリアハイを更新した堂々たる傑作長編である。
 物語は、極めてショッキングな場面から幕が上がる。一九七八年十一月十八日、中南米のガイアナ共和国にある、密林を切り拓いた小集落ジョーデンタウン。そこはジム・ジョーデンを教父とする教団「人民教会」の信者たちが、世俗に背を向け、奇蹟を信じて暮らす楽園だった。しかしジョーデンの号令のもと、二百六十七人の子供たちを皮切りに、計九百人以上の人間が服毒自殺に走り、ジョーデン自身も拳銃で自らの命を絶ってしまう。いったい彼らは、なぜこのような終局を迎えることになってしまったのか。ジョーデンが嵌められたと憤りを覚える“あの男”とは、何者なのか。
 この集団自殺(あるいは大量殺人)事件は、ジム・ジョーンズを教祖とする実在した教団「人民寺院」がたどった惨劇をほぼそのまま下敷きにしている。古くは横溝正史が『八つ墓村』で“津山三十人殺し”とも呼ばれる津山事件を、『悪魔が来りて笛を吹く』で銀行員ら十二名を毒殺して現金と小切手を奪った帝銀事件を、また近年では中山七里作品などで実際に起こった重大事件にアレンジを加え、作中に取り込んでいるが、本作もその流れに連なるひとつといえる。
 ここで物語はいったん時間を遡り、日本を舞台に改めて進み始める。探偵の大塒(おおとや)は、十年間足取りのつかめなかった殺人犯“108号”が絡んだ事件に取り組み、優秀な助手である有森りり子の絶大なサポートによって解決にこぎつける。するとりり子は、明日からニューヨークへ行き、一週間ほどで帰国すると告げて日本をあとに。ところがその後、消息不明になってしまう。大塒が調べを進めてみると、どうやらりり子は「ジョーデンタウン」なる場所に向かい、なんらかの望まない理由で日本に帰ることができないらしい。大塒は小学生時代からの腐れ縁であるルポライターの乃木野蒜(のぎのびる)に声を掛け、ともにアメリカへ飛び、ジョーデンタウンを目指す。するとそこで謎多き連続殺人事件に遭遇する……。
 教父を崇め、失った腕や足さえも甦るという信じ難い奇蹟をも頭から信じて疑わない信者たちを相手に、探偵はいかに説得力のある推理を繰り広げ、犯人を突き止めるのか。いわば本作は“特殊設定ミステリ”ならぬ、(担当編集氏の言葉を拝借すれば)特殊条件ミステリと呼ぶべき内容になっている。
 そしてなんといっても本作の白眉は、後半百五十ページに及ぶめくるめく解決編だ。著者は多重解決を得意とし、これまでにも駆使してきたが、その周到さと密度もさることながら、本作における多重解決を行なうための理由付けと目的には思わず目を見張ってしまった。これまで、アンモラルな世界観、毒気の強いユーモアセンス、グロテスクな描写、異形の動機など、熱烈に惹き付けられる読者を獲得してきたいっぽうで、つい腰が引けてしまう向きも多かった印象の白井作品だが、そうした要素があからさまではなく物語内に自然に溶け込んでおり、より本格ミステリファンからの正当な評価を集めることは間違いない。終盤で明かされるタイトルの真意もじつに衝撃的で、そういうことか! と大きく天を仰いでしまった。
 本作は、特殊性際立つ作風を貫いてきた書き手が、特殊設定ミステリが活況を呈するシーンに全力で投じた、ど真ん中の勝負球である。ゆめゆめ読み逃してはならない。


 (うだがわ・たくや 書店員)

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